第1章 幼年期
第1話 異世界を知る
少女が目を開くと、辺り一面白世界が広がっていた。
紙や布のそれとは違う、黒すらも塗り替えるチタニウムホワイトの塗料をぶちまけたような、目の眩む白さが。
「どこ、ここ……?」
視線を落とすと、周囲とほぼ同色になった自分の身体が映り、それが一層異常さを引き立てる。
「私は……どうなったんだろう?」
「知りたいかい?」
まごまごとしていると、前方から合成音声のように無機質な声が響く。
その声にハッとすると、いつの間にか——はたまた最初からか——目の前に人影が立っていた。
「あなた何——いえ、誰?」
少女が初め”何”と問おうとしたのは、最初それが人だと認識できなかったからである。
シルエットは人型。
しかしそれは曖昧に人型と感じ取れるというだけであり、身長・体格をはじめとした、個人を判別する要素全てが絶え間なく変化し続けている。
人物像のモンタージュ作成途中に飛び出してきたような、そんな不安定な存在が立っていた。
「初めまして。僕はレフ・ウシル。
君が住んでいる世界を創った者だよ。
自分の現状は正しく理解できているかな?」
少女は問われるままに直前の記憶を掘り返す。
「えっと……海で読書していたらナンパ男達に絡まれて、そこから逃げようとした結果溺れ、救助された場所でまた気を失った……で合ってますか?」
「その過程で違和感は覚えなかったかい?」
「違和感……?
そういえば救護室にいた人達の中に日本人がいなかったのは気になったかも。
あと、なんか1人は見た目がちょっと変わってた……コスプレかな?」
少女の回答にレフは苦笑していたが、やがて手を振った。
すると、どこからともなく二人分の大型クッションが出現し、レフはそれに座るよう促したため少女もそれに倣う。
「まず大きな勘違いを1つ正しておこうか。
あの時君は海で溺れた後引き上げられはしたけど助かっていない。
特段救援が遅れたというわけではないけれど、君はあのまま死んだんだ」
「え……な、なんでですか?」
あまりにもあっさりと告げられた言葉を、少女は理解できなかった。
しかし、理解が追いつく前に口は更なる回答を求める。
「水に落ちた際に水を大量に飲み込んでいたからね。
肺が水浸しで機能が駄目になっちゃったのが要因としては大きいかな。
次に、目を覚ました時に見た彼らはライフセーバーではなく、今回の君の両親だ」
「それってどういう……?
いや、死んだなら目を覚ましたあの場所は生まれ変わった所?
いや、それよりも先に……私は本当に死んだんですか?」
必死に脳内を整理しながらひねり出した少女の質問にレフはニヤリと笑って——とは言っても常に顔が変わっているのでどんな表情なのか明確には分からないのだが——言葉を続けた。
「まぁ信じるかどうかは君の自由だけど、僕の言葉は全て真実だよ。
あの海で君の生は一度終わり、次に目を覚ました場所に生まれ変わったんだ。
ここは君と僕の意識の波長をリンクさせて生成している、いわば精神世界のようなものだね」
「ならリンクは上手くいっていないんじゃないですか?あなたの顔が全く見えないんですけど」
そう告げるとレフはきょとんとした顔になって——とは言っても常に顔が変わっているのでどんな表情なのか明確には分からないのだが——首を傾げると姿を消した。
そして外見上の特徴を極力削った、SNS等で言うところの「白ハゲ」状態となって再度現れた。
「これでいいかな?」
「……何だったんですか今のは」
「普段は相手の好みの顔に見えるようにしているんだけどね……こんなことは初めてだから気付かなかったよ。
まぁ、それはそれとして……君をあの場所に生まれ変わらせたのは、頼みたいことがあるからなんだ。
あぁ、無理難題を課す気はないから心配しなくていいよ」
わずかに上体を引いた少女を見て最後の言葉を付け加えると、レフは軽く手を振って空中に無数のホロウィンドウのようなものを表示した。
少女がおずおずと覗くと、それぞれには別の場所にいると思われる人々の様子が映し出されている。
「頼み事は2つだよ。
1つは現地で僕のデータ収集を手伝ってもらいたい」
そう言いながらレフは再度手を振り、今度は球体のホログラムを表示した。
少女はそれが地球だと直感したが、よく見てみると地球とは異なり、陸地は巨大な一塊になっている。
「まず前提情報として、君が今まで生活していた地球は僕が趣味を兼ねて作った超大型のシミュレーションゲームで、君はその中の生命ユニットの1つだ。
でも、とある事情で君は異色のユニットになっていてね……適正が出来たから今回僕の協力者として選出したんだ。
君には今回生まれ変わった地を拠点にして生活し、将来的にはできる限り多くの土地を回ってもらいたい」
「それはつまり、現地でデータ収集をする調査員にのようなものということですか?
というかもう1つの地球って……ゲームってどういうことですか?」
内心の揺らぎを覚えながら少女は食ってかかるが、レフには一片の動揺も見られない。
「ゲームはゲーム、君の身の回りにもあったあれらと同じさ。
今回君が生まれ変わったのは、元いた地球をベースにして、過去のとある時点で変化を加えた上で発展を分岐させたIFルートの地球なんだ。
科学とは別のもので発展した異なる地球——そうだね……異世界とでも呼べばしっくりくるかな?」
レフの言葉はどれも突拍子のない非現実的なものだったが、不思議と少女にはレフが嘘を言っているように視えなかった。
追加の質問が出ないのを確認すると、レフは少しほっとした雰囲気になる。
「現地でのデータ収集と言っても、特別に何かをする必要はないよ。
あえて言えば、データ収集は君が認識した範囲でしか行えないから、視野を広く持って周りを観察してほしいってくらいかな」
「つまりその場にいるだけでは不十分で、見聞きした情報があなたに伝わるということですか」
「そうそう、理解が早くて助かるよ~」
ヘラヘラと笑いながら人任せの姿勢を崩さないレフの態度に、少女は一瞬憤りを感じたが、少女は状況整理を優先して感情を押し殺した。
「だから各地を回ってほしいということなんですね。
特に何かに注意して見る必要はありますか?」
「うーん……それは適時指示するから今は後回しにしよう」
「決まっているものがあるのなら今知りたいです。
やることが決まっていた方がモチベーションを維持できるので」
少女の僅かな反抗にレフは一瞬訝しむような素振りを見せる。
しかし、すぐ何かに納得したように頷くとわざとらしく首を竦めてみせた。
「そんなに知りたいの?欲しがりだなぁ~。
まあこっちとしては協力してもらう立場だから教えるのは構わないけどさ……覚えられる?」
「もの覚えが良いのが数少ない自慢でしたので」
「ふふふ……そうだったね」
回答にレフは意味深な笑顔を浮かべ、少女の前に新たなホロウィンドウを表示させた。
「そこに書いてあるのが各地方で特に観察してほしい項目だよ。本当に大丈夫かい?」
レフの声は、言葉とは違いあまり心配しているようには聞こえなかった。
「……ええ、これくらいでしたら問題ありません」
断言した少女にレフは満足そうに笑いかけると、球体ホログラムを挟んで少女の顔を覗き込む。
「それじゃあ2つ目の依頼だ。
この世界をクリアに導いてほしい」
「さっき無理難題はなしって言いませんでしたか?
しかもそんなフワッとした内容で……」
少女がジトっとした視線を向けるも、レフに悪びれた様子は見られない。
せめてもの抵抗として少女は当たり前の事実を提示する。
「私に勇者は務まりませんよ。
ただの一般人だったんですから」
「直接住民を扇動して攻略しろなんて言わないよ。
元々あっちの住民には、世界の攻略を潜在的な目標として刷り込んである。
君は関係を持った人達にそれとなく攻略を促してくれれば十分さ」
「わざわざ私がする必要があるんですか?」
少女の疑問が分かっていたようにレフはスラスラと答える。
「あくまで潜在的なものだから、刺激しなきゃ表に出てこないんだよ。
何かの才能があっても、実践する機会がなければそれに気付かずに花開かないのと同じさ」
レフからの補足を受けて少女は内心ホッとした。
いきなりジャンヌ・ダルクになれと言われれば流石に断っていたが、仲を深めた上で促していく程度ならば、それほどハードルは高くない。
「分かりました……それで、世界の攻略とは具体的に何を指すんですか?
というか、地球をベースにしているのなら何故こんなにも陸地の形が違うんですか?」
レフは陸地の中央に存在する黒い丸を指し示す。
「世界のクリア条件はここ——大陸中央に黒く表示した部分があるだろう?
ここは壁に囲われているんだけどね、その壁を解除して内部に秘められたものを開放し、それに打ち勝つことをクリア条件の1つにしてるんだ」
「条件の1つ?他にもクリア条件があるんで——」
「——あと、地形の違いだっけ?それは発展を分岐させた影響だね。
この世界は過去に存在していた"魔術"という因子を定着させて創ったんだけど、それの定着過程でめぼしい大陸内部の因子が互いに引きつけ合った結果、大陸が1つになっちゃったんだよ。
だから陸地の総合面積は元の地球とそこまで大差ない筈だよ」
少女は質問を遮るように答えたレフの強引さに少々不信感を覚えた。
しかしこの場の主導権を握るのはレフであるため、そういうものかと納得しかけると同時に、ふと身体が軽くなる感覚があった。
レフもそれに勘付いて要点をまとめる。
「どうやら時間みたいだけど、君が寝ている間ならまたいつでも来られるよ。
とりあえず当面は新しい環境に慣れることに専念して、成長したら世界各地へ移動、もしくは世界の攻略に動いてくれればいいかな。
せっかくの新しい人生なんだから、思い残しのないように楽しんでね」
レフの声が遠くなり、視界が薄れていくのとともに少女は意識が薄れていくのを感じた。
——————————
少女が異世界に転生し、半年の年月が流れた。
その頃にはハイハイ程度はできるようになり、少女は家の中を縦横無尽に——とは言っても移動範囲は限られているが——動き回る日々を送っていた。
そんな生活の中で、少女はここが元いた地球とは全く異なる世界なのだということを実感させられていた。
レフの言葉を疑っていたわけではない。
最初の会話に加えて都度知らされる情報と日々の観察結果を重ねれば、疑うという思考も馬鹿馬鹿しいほどに元の生活とは異なる文化が築かれている。
中には見ていて思わず目を覆いたくなるようなものもあった。
元来少女の生きていた世界において剣とは、実在しながら実用とは少し離れた位置にあるものであり、一部武道や競技以外ではフィクション味を感じる物となっていた。
少女自身、生家が剣道場を営み、剣道を修めていなければ触れる機会もなかったと考えているほどである。
そんな剣、それも真剣を言えの庭にて打ち合う父親とその同僚を初めて見た時には、チャンバラと勘違いして顔から火が出そうになり、逃げるようにその場から離れた。
その時は羞恥で視野が狭くなり、すぐ傍にある障害物(家具)に気付かないままに手足を動かしていた。
その結果、身体の動かし方が未熟な赤子が障害物に衝突するのはごく当然の結果である。
「~~~~!!」
なんとか痛みを堪えることはできたが、赤子の身体で痛みへの耐性が低くなっている少女は、そこから動けなくなってしまう。
そうしていると、やがて家事を終えた母親が少女を探しにやって来る。
固まっている少女と患部を押さえるその姿勢から状況を素早く察した母親は、少女が押さえる手をどけさせて患部に指を添える。
「~~~、~~~、~~~、ヒーリング」
まだこの世界の言葉に不慣れな少女にも聞き取れた最後の言葉は、間違いなく前世でも使用されていた"英語"だった。
それに気付くと同時に母親と接触した箇所から何かが流れ込んでくるのを感じ、呆気にとられている間に痛みがすっと引いていく。
「~~~」
自分に笑いかけながら優しく頭を撫でる母親。
その顔を見ているうちにふと少女の心の中に決意の芽が出る。
レフの目的は分からない。
自分に見せているものが全てとは限らず、腹の中で何を画策しているのかを知る術はない。
しかし、彼から依頼された"世界の攻略"が自分や家族にとって悪い結果を生むとは考えられなかった。
レフからの依頼はしっかりと完遂する。
そして、それを念頭に置いた上でレフからの依頼など関係なく、この世界の全てを知るために全力を尽くして生きようと。
—備忘録 追記項目—
・異世界
元の地球をベースにして作られた異なる世界。
科学ではなく魔術的要素によって発展した文化を築いている。
・レフ・ウシル
主人公の前世と今世の地球を創った上位存在。
何らか謎の目論見があり、死亡した少女の魂を異世界へと転生させた。
まだその大半が謎に包まれている。
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