第三十話 疾風のカロリーネ

 私はバックーガ率いる騎馬部隊と共にドルトールを発ちました。もちろん、エルムンドに国境の警備を厳重に申し付け、ハーシェスとゾルテーラを残して彼にプレッシャーを掛けました。完全には信用しないぞ? という所を見せたのです。もちろん、私はもうエルムンドが裏切るとはもう思っていませんけどね。彼はそこまで愚かではないでしょう。


 バックーガの部隊は普段は高原で放牧生活を送っている者達で、騎馬が非常に巧みでした。そして五百騎ほどの集団なのに、馬は約千頭、つまり倍連れています。彼らはこれを次々と乗り換える事で、馬を休める事なく進撃することが出来るのです。


 実際、行きは十日掛かった(これでも物凄く急いだのです)ものが七日で着きました。驚異的な速さです。ただ、走りながら馬を乗り換える曲芸のような真似をしますのでさすがに私は付いて行けず(私は降りて乗り換え、少し休憩しましたので)、私は丸一日遅れました。


 ですから私が帝都に着いた時にはバックーガは帝都の大城壁を突破した後でした。一応はムルタージャの命で城門は閉まっていたようですが、城兵は事情を知らず。バックーガの一喝に驚いて門を簡単に開いたそうですね。


 バックーガはとりあえず自分の屋敷に入りユイッチャーマと再開して喜び合った後、情報を集め、一日遅れて帝都に入城した私を迎え入れました。


 あまりにも強行軍だったせいで私は疲れ果て、それから一日寝込みました。それはそうでしょう。流石に走る馬の上で寝られるという。遊牧の民のような真似は無理がありましたね。


 ただ、その間もバックーガとユイッチャーマが奔走してくれて、官僚達や大臣達も続々とバックーガのお屋敷に集まってきました。そうして情報は集まり、私が何とか起き上がれるようになった時には状況は完全に把握出来ていました。


 事件の経過はこうでした。


 まず宰相ムルタージャは私が国境に向けて発つと、密かに大臣達に私を皇妃の位を剥奪する計画を打診し始めます。


 しかし、大臣達は今や私がいなければ帝国政府が動かないことを知っていますし、私の恐ろしさも十分承知ですから、ほとんど誰も賛成しなかったようです。


 すると、ムルタージャはハーレム内のレンツェンと連絡を取り合い、彼女をハーレムから出すと共に彼女を皇妃にしようと動き出します。


 しかしながらこれにも賛成する大臣は皆無で、大司教のノルヴェルトも大反対したそうです。それはそうですわよね。皇妃は皇帝陛下の妻で、その妻の座をどうして宰相とはいえ他人が決めるのかという話ですよ。


 すると態度を硬化させたムルタージャは内廷を封鎖し、帝都城門にも連絡して閉じさせ、籠城の構えを見せたのだそうです。


 とはいえ、ムルタージャの率いる軍勢はせいぜい内廷の警備の兵と宦官兵くらい。しかも彼らも積極的にムルタージャに仕えているのではなく、宰相の命令なのでという事で当惑しつつ従っているだけの様子だといいます。


 状況を把握した私は頷きました。事態が悪化する前に帰京が間に合ったようですね。急いだ甲斐がありました。時間を置いたらムルタージャが大臣達の懐柔や説得に成功してしまう可能性がありましたから急いだのです。


 現状ではムルタージャに加担する大臣や官僚は皆無と言って良いようでした。長く宰相を務めていますムルタージャです。人望も信望もありますし、統率力も並みではありません。その彼に従う者がいないというのは、ムルタージャ自身にも想定外だったのではないでしょうか。


 私は外廷にいた大臣や官僚を集め、一応は忠誠を確認すると、彼らやバックーガ、兵士数十人と共に内廷の入り口の門に向かいました。


  ◇◇◇


 内廷と外廷は低いとは言え城壁で区切られています。外廷と内廷を繋ぐ門はだからちょっとした城門です。帝宮の有事にはここで敵を迎え撃つ事を想定していますから、実戦の事も十分考えられています。


 その門が閉じられ、城門の左右の楼閣には兵士の姿が見えました。ただ、私が兵士を引き連れて城門の前にやってくると、兵士たちはあからさまに慌て出しました。右往左往しています。


 私はこの日は濃い青のドレスに身を包み、ヴェールは被っていませんでした。兵士やその他の者達に間違いなく皇妃が来たと分からせる為です。


 私は周囲を兵士で守らせた状態で進み出ました。そして大音声で叫びます。


「皇妃の前に門を閉じるとは何事ですか! 門を開けなさい!」


 すると楼閣や門の上の兵士がバタバタと動き出します。門の向こうから何やら押し問答のような声も聞こえてきました。私は更に叫びます。


「この私の命を聞かぬとは良い度胸です! 覚悟は出来ているんでしょうね!」


 門の向こうの騒ぎは大きくなります。そしてやがて門の大扉が音を立てて左右に開きました。


 その向こうには数十人の兵士に守られた女性が一人立っていました。桃色掛かった金髪の女性。しかと覚えがあります。第四夫人レンツェンです。私を見て目を見開き、動揺しています。


 おそらく門を開くなと兵士に命じていたのに言う事を聞いてもらえなかったものと思われます。彼女の周囲を見ると、少し下がったところに白いタルバンドと黒衣の細身の男、ムルタージャの姿がありました。髭の中に表情を隠して沈黙しています。


 私は門の中までズカズカと進み出て、レンツェンを怒鳴り付けました。


「レンツェン! これはどうした事ですか! 誰が貴女にハーレムを出て良いと許可を出しましたか! シャーレがハーレムを出ることは大罪ですよ!」


 私の怒声にレンツェンはのけ反って怯みましたが、なんと気丈にも私に言い返して来ました。


「う、うるさい! わ、私も今や皇妃です! 貴女と私は同格なのですよ!」


 私はフンとその言葉を鼻で笑いました。


「バカな事を言うものではありません! 帝国に皇妃はただ一人! この私、カロリーネのみです!」


 私がガッと一歩を踏み出すとレンツェンは悲鳴を上げ、彼女の護衛の兵士は一歩下がりました。


「皇妃は皇帝陛下がお決めになるのです! そして皇帝陛下がお決めになった皇妃は陛下に最も愛されたこの私! この私だけが皇妃の座に相応しいのです! たかが二、三度寵愛されただけのシャーレ風情がつけ上がるのではありません!」


 私がグイグイ進めば進むほど、レンツェンの周りから兵士が消えていきます。私がへたり込む彼女の目の前に立った時には、彼女の周りには人がいなくなっていました。


 私は震える彼女を見下ろしながら言います。


「その程度の度胸でよくもまぁ、私に逆らえたものです。しかも皇妃ですって? 貴女のような浅薄な女が帝国を背負えるものですか」


 私は右手でレンツェンの胸元を掴んで無理矢理引き上げました。恐怖に震えるレンツェンの水色の瞳を間近から睨んで宣告します。


「貴女は処刑されます。首は帝都の門前に反逆者として晒される事になるでしょう。……安心しなさい。貴女の息子のロイマーズは私が私の子として責任をもって育ててあげます。安心して死になさい」


 その言葉を聞いてレンツェンが驚愕します。バタバタと暴れて叫びました。


「ど、どうして! ロイマーズは私の子供ですよ! それがなぜカロリーネ様に……!」


「思い違いをするのではありません。シャーレは皇帝陛下のお子を産むためだけの存在です。尊いのは皇子なのであって、産んだ母親などどうでも良いのですよ。生まれたお子は皇帝陛下のお子なのであって、貴女の子供ではありません」


 あまりの言葉に呆然とする彼女を、哀れには思います。私だってシャーレでした。あのままシャーレであれば私も彼女と同じ立場だったのです。何かあればサルニージャを奪われ、私のみが排除される可能性は十分にあったのですから。


「私は皇妃。皇帝陛下の妻です。陛下のお子は誰が産もうと私の子供ですからね。反逆したシャーレの子供でも分け隔てなく扱う。それだけです」


 まだ二人しかいないアルタクス様の皇子を減らすわけにはいかないという事情があります。まだロイマーズは生まれたばかり。今引き離せば産みの母など覚えてはいませんでしょう。育てているのは乳母なのですし。


「というわけです。さようなら。レンツェン。貴女がもう少し賢ければ、ハーレムの主にはなれたかも知れなかったのにね」


 私はそう言い残すとレンツェンから未練なく手を離しました。ガックリと項垂れるレンツェンを兵士がすぐに拘束します。ま、一応は最終的な処置はアルタクス様に確認してからにしましょうかね。それまでは牢獄に入れておくことにします。


 私は更に進んで、ムルタージャの前に進み出ました。むっつりと押し黙るムルタージャに私は厳しい視線を投げ掛けましたが、すぐには声を掛けません。


 かわりに私は周囲で固唾を飲んで成り行きを見守っている大臣や官僚、宦官、そして大勢の兵士たちをグルリと見回しました。


 そしてニッコリと微笑んで言います。


「皆に問います。この帝国の皇妃は誰ですか?」


 すると全員が一斉にこう答えました。


「「それは貴女様です。偉大なる帝国の月よ!」」


「皇妃に相応しいのは誰ですか?」


「「それは貴女様です。我が皇妃よ!」」


「他に皇妃が必要だと思いますか?」


「「いいえ思いませぬ。唯一の皇妃よ!」」


 全員が期せずして声を合わせて応えたのを見て、私は満足しました。ウンウンと頷いて、そしてムルタージャを見ます。


「だそうですよ。ムルタージャ。貴方にしてはお粗末な事でしたね」


 ムルタージャは私と目線を合わさず、静かにこう言いました。


「私の考えが浅そうございました。我が皇妃よ。完敗でございます」


 素直に負けを認めるとは良い心がけです。……もっとも、私はこの時彼の考えを見透かしていましたけどね。


「そうそう。貴方が陛下に出した使者は私が抑えましたよ」


 私の言葉にムルタージャの表情が驚愕に歪みました。私の方を見ます。私はニーッと笑いました。


「今回の事件を陛下にお伝えする。それがこんな事をした目的だったのでしょう?」


 説明すればこういうことです。


 ムルタージャは今回の西征に強く反対していました。西征が始まる前から、始まった後にも何とかアルタクス様を撤退させられないかと私に相談していた程です。


 彼が恐れたのは帝国の領土が拡張し過ぎて、国の防衛費用が国家予算の限界を超えることでした。


 帝国の領土が拡大すれば、それだけ国境は遠く長くなります。そうなればそこを防衛しなければなりません。帝国軍はこれまで、帝都に帝国軍の基地を置き、有事には帝都から軍を派遣することで国を守っていました。


 しかし、ヴィーリンまでは帝都から普通に行軍しても三ヶ月も掛ってしまいます。これまでのように有事に帝都から軍を派遣するのは難しいと言わなければならないでしょう。ですから、ヴィーリンを防衛するにはヴィーリンかその周りに帝国軍の大規模な駐屯地を築く必要があると思われます。


 これには莫大な費用が必要になるでしょう。軍隊は生産する事のない組織ですから、維持管理にもの凄いお金が掛るのです。そんな軍隊を帝都から遠く離れた場所で維持するのには天文学的費用が必要になってきます。その費用は帝国の予算を圧迫するでしょう。


 それなのにヴィーリンを手に入れても大した収入があるわけではありません。人口も少なく土地も痩せており、巨額の租税が期待出来る訳ではないですし、周辺の土地も寒冷で痩せているという話です。


 それにヴィーリンは聖地ですし神聖帝国の帝都です。つまり西方世界にとって重要な都市なのです。これを帝国軍が奪うことは西方の諸王国を刺激し、必ずや団結した諸国家による奪還軍の編成を招く事でしょう。


 西方諸王国の連合軍となれば、無敵の帝国軍と言えど苦戦は免れ得ません。これに対抗出来るほどの大軍勢を遠く離れたヴィーリンで維持しようとすれば、それはもう途方もない費用が必要になってきます。更にヴィーリン防衛の為に帝都から再び十万人規模の大軍勢を派遣するなどという事態になれば、帝国の屋台骨を傾かせる程の事態になるに違いありません。


 そんな巨額の費用を費やしてヴィーリンを手に入れ守る必要性など無い、というのがムルタージャの主張でした。彼に言わせればそんな予算があるのなら、拡大する一方である帝都の整備に予算を投入し、街道を整備して諸都市との連携を強化し、海路の要所にある要塞を整備して海賊を取り締まって貿易を振興した方が、帝国にとって遙かに有益なのだという事でした。


 しかしながら、アルタクス様は自説を曲げずに西征を敢行し、勝ち続けて遂にヴィーリンにまで達しました。皇妃である私もアルタクス様をお止めしません。このままではムルタージャの想像した、帝国の破産という最悪の未来が本当に到来してしまいます。


 そこでムルタージャは私が国境へと向かった事を奇貨として一計を案じました。


 帝都でクーデター騒ぎを起こして、その事をアルタクス様に伝えるという計略です。宰相たるムルタージャがレンツェンとロイマーズを擁して帝都でクーデターを起こしたという事になれば大事件です。これをアルタクス様が遠い戦地で知ればどうでしょうか?


 これは流石にアルタクス様もヴィーリン攻略を中止して撤退するしかありませんでしょう。帝都の危機を放置して遠征を続けるなんて事は出来ませんからね。


 これがムルタージャの狙いなのでした。つまり彼はアルタクス様に軍を返させるためにこのような騒乱を起こしたのです。最初からこんな愚かな計画が成功するとは思っていなかったのですよ。


 彼はおそらくレンツェンの野心を知っていたのだと思われます。彼女は元々私に対する強い対抗心を持っていましたから。ですからその彼女の野心を利用して計画を立てたのだと思います。皇帝陛下の寵姫と第二皇子を擁して宰相がクーデターを企てれば、帝国政府は大きく動揺して戦争の後方支援どころではなくなります。そうすればアルタクス様はやむを得ず軍を返し、ヴィーリン攻略は頓挫するでしょう。


 そんな事になれば帝都にお帰りになったアルタクス様は怒り狂ってムルタージャとレンツェンを攻め滅ぼして処刑するでしょうけど、そうすればムルタージャは自分の命と引き換えに帝国の危機を救えると考えたのです。


 我が身を捨てて帝国の危機を救おうとは呆れるほどの帝国への忠誠心です。彼は元々先帝陛下の岳父でした。そのためか、その忠誠心はアルタクス様ご本人では無く、帝国そのものに向いているようなのですよ。先帝陛下は内政重視の政治をしていました。ムルタージャにはその思いを受け継ごうという気持ちがあるのかも知れません。


 ただね。


「ムルタージャ。貴方は陛下と私を見くびり過ぎですよ。貴方の懸念は私も陛下もちゃんと共有しています」


 私の言葉にムルタージャは動揺を隠しきれないという様子でしたね。当たり前ですけど、帝国の事を考えているという面では、私もアルタクス様もムルタージャに劣るとは思っていません。アルタクス様が西征に踏み切ったのは帝国の未来を考えたからこそです。ムルタージャは今回の西征の負の側面にだけ捕らわれプラスの面をちゃんと見ていないと思えます。


「アルタクス様がお帰りになったら、ちゃんとご自分の口から説明してくださるでしょう。それまで自邸で謹慎しなさい。ただ、書類は届けるから仕事はするように。貴方に政務から抜けられたら困りますから」


 今度こそムルタージャは大きく動揺して口を開けてしまいました。


「き、謹慎ですと? な、何故です?」


「貴方はレンツェンに脅されて仕方なく動いた。そうですね? そういうことに致します」


 大嘘です。しかし、有能で実直で帝国を思うこと人一倍なこの宰相を失う事は帝国の損失です。彼には帝国への叛意はないし、アルタクス様への敵意もないのですから、処刑する意味はありません。全ての責任はレンツェンの首に押し付けてしまえば良いのですよ。


 今回の件で明らかになったように、彼には動かせる兵もありません。中央の貴族に兵権を与えていないのは、こういう事態に備えたからなのでしょうね。昔の皇帝陛下の深謀遠慮に感謝です。兵を動かせない彼には、アルタクス様か私が帝都にいる限りこのような事態は二度と起こせないでしょう。


「まだまだ貴方には働いてもらいますよ。今回の償いのためにもね」


 呆然とするムルタージャに私は笑いかけると私は身を翻しました。青いドレスの裾を靡かせてクルリと回転して両手を挙げます。


「さぁ、終わりです! みな仕事に戻りなさい!」


 私が歩き始めると、ムルタージャも含めてその場の者達が一斉にひれ伏しました。そして唱和します。


「「カロリーネ! カロリーネ! 帝国の白い月よ! 帝国の偉大なる皇妃よ! 大女神の恩寵が貴女の頭上に常に輝きますように!」」


  ◇◇◇


 私が一番心配していたのはハーレムの状況でした。特にレンツェンがサルニージャを害していないかが一番気になる所でしたが、ハーレムに向かって確認したところ、サルニージャも他の婦人や寵姫たちも無事でした。ホッと一安心です。


 第一夫人のアレジュームが平伏しながら申し訳なさそうに言いました。


「ハーレムのご留守を預かっておきながら、このような事態になり誠に申し訳ありません……」


「気にすることはありません。よくハーレムを守ってくれました」


 アレジュームはシャーレや下働き、宦官も動員して黄金の廊下や門を守り、レンツェンの差し向けた兵士の立ち入りを認めなかったのです。やってくる兵士達に「ハーレムは皇帝陛下のご住居、無断で立ち入ったらどうなると思っているのですか!」と脅して怯ませたとのこと。お陰でハーレムの中には誰も入れず、サルニージャを奪われる事もありませんでした。


 ロイマーズはハーレムを出されて、宮廷の私の執務室で乳母に世話されていましたから、すぐにハーレムに戻しました。彼はアルタクス様の皇子ですから大事な存在です。このままハーレムで七歳まで育てられます。生みの母の事は言わない方がいいでしょうね。ロイマーズには関係がない事です。


 ちなみに、レンツェンの岳父であるアルドーラは今回の事態に加担していませんでした。ムルタージャとレンツェンの出兵要請を拒否したのです。それどころか二人を熱心に諫めたのだとか。私は彼を呼び出して忠誠への感謝の言葉を伝えました。アルドーラは真顔で言いましたよ。


「皇帝陛下と皇妃様に逆らうような、恐ろしい事は出来ぬませぬ」


 私は彼に、ロイマーズの後援を変わらずするように頼みましたよ。彼は快諾しました。しかし。レンツェンの助命を嘆願するような事は一切しませんでしたね。所詮レンツェンはアルドーラにとって献上した女奴隷の一人に過ぎません。何の情も義理もないのですよ。


 レンツェンはその辺りを勘違いしていたのだと思います。シャーレは女奴隷です。ハーレムの中での職位はハーレムを出てしまえば何の意味も持ちません。彼女の言う事など庶民の兵士ですら尊重してはくれないのです。


 今回の騒乱はほとんど帝都内だけの事でしたし、一ヶ月も経たないうちに終息させることが出来ましたから、混乱はすぐに収まりました。私の行動の速さは後々まで語り草になり「疾風のカロリーネ」などと私を呼ぶ者も出たようですね。


 私はバックーガに感謝の意と褒美を渡し、彼を再び国境方面に送り出しました。つかの間の新婚生活を楽しんでいたらしいユイッチャーマには嫌な顔をされてしまいましたけどね。帝国西征軍の撤退の補助をしてもらわなければならないのだから仕方が無いのです。


 私は再び忙しい政務の日々に戻りました。あまりに忙しいのでムルタージャの謹慎も半月で解除したくらいですよ。


 そして季節は進んで南国の帝都にも冬の気配が漂うようになった十月の終わり。アルタクス様が帝都にご帰還なされました。近衛軍団を引き連れ、歓呼に迎えられて帝都に入城し、帝都の市街をパレードします。


 何しろ遙かに遠いヴィーリンにまで帝国の威光を及ぼし、帝国史上空前の広さにまで帝国の領土を拡大したのです。その功績は建国帝や帝都を手に入れた征服帝にも匹敵するとしてこの頃からアルタクス様は「偉大帝」と呼ばれ始めます。白馬の上で手を上げる若き偉大帝に、帝都の市民は熱狂的な歓声を浴びせて花を街路に舞い散らせました。


 アルタクス様が帝宮にお入りになり、外廷に入る城門で待つ私の前にいらっしゃいました。私は今日は朱色のドレスとダイヤモンドで飾られたティアラを着けています。偉大帝のご威光に負けないように盛々です。


 ただ、アルタクス様は軍装は薄汚れ、緋色の髪はボサボサ。日に焼けて顔は真っ黒。髭も生やしているというなかなか野趣に溢れるお姿でしたよ。しかし目は輝いていますし、何よりいつも通り笑顔は優しく魅力的でした。


 変わらぬ彼の様子を見て、私は安心と嬉しさでうっかり涙ぐんでしまいました。


「お帰りなさいませ。皇帝陛下」


 アルタクス様は馬から飛び降りると私の元に駆け寄って来ました。そしてそれは幸せそうに破顔しましたよ。


「ああ、ただいま。カロリーネ。どうだ。変わりはなかったか?」


「ええ。アルタクス様。万事つつがなく」


 私とアルタクス様はしっかりと抱き合って無事と再会を喜び合いました。それを見て兵士や官僚は大歓声をあげました。こうして、アルタクス様の西征は完了したのです。


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