悪役令嬢宮廷で暗躍す

第十八話 結婚式

 ハーレムから直接繋がる所を内廷と言うそうです。ここは皇帝陛下の執務室で、昔は皇帝陛下の居住スペースもあったのだとか。


 だから豪華で結構広いのです。大きな庭園の中に幾つかの建物が点在していて、それが回廊で繋がれているのはハーレムと同じ形式ですね。


 その中のアルタクス様の執務室に、私たちは入りました。入る前にアルタクス様に小声で注意を受けます。


「内廷では基本的に喋ってはならない。特にこの部屋では声を出さないように」


 室内は青と金の紋様でびっしり埋め尽くされていました。足元はフカフカの絨毯です。流石は皇帝陛下の執務室ですね。


 部屋の中央は少し高くなっていて、天蓋で覆われた大きめのソファーがあります。アルタクス様は当然のように私の手を引いてソファーの所に上がり、私を座らせようとします。私は狼狽しました。


「私が座るわけには……」


「良いから」


 アルタクス様に押されるように、私はサルニージャを抱いたまま青い豪奢なソファーに座ります。その隣にアルタクス様が腰掛けました。彼の装いは濃紺の長衣。頭にはタルバンドを巻いて、その額のところに数個の色とりどりの宝石を組み合わせたブローチを着けています。皇帝らしい威厳のあるお姿です。


 そして彼が宦官に頷くと、私たちの正面にある大扉が開いて、一人の立派な身なりの人物が入室してきました。ほっそりとした焦茶色の髪の男性です。口髭を生やしています。


 事前に聞いていた人相から類推するに、彼が宰相のムルタージャでしょう。アルタクス様は彼を信任していると聞いています。


 彼は私がアルタクス様と座っている事に驚くような表情を見せました。しかし、無言でアルタクス様に拝礼すると、控えている宦官に巻き紙を手渡しました。


 宦官はそれをそのままアルタクス様のところまで持ってきます。跪拝して捧げ持つ宦官から巻き紙を受け取ると、アルタクス様はそれを開いて目を通します。


 私が見ても良いものかどうか分からないので私は正面を見たままでいましたが、アルタクス様は自分が読み終えるとその書類を私にも見せて下さいました。


 それは帝都のなんとかという礼拝堂の補修工事についての報告書で、工期がどれくらい予算がどれくらいという数値的な報告が書いてありました。こんなの私が見たって分かりません。


 ただ、末尾にサルニージャの誕生を喜び、私とアルタクス様の婚姻を寿ぐ言葉と大女神様を讃える文句が記されていました。一応は私たちの結婚は宰相にも祝福されているようです。


 私はサルニージャを抱いたままスッと立ち上がって微笑み、膝を沈めました。それを見て宰相は目を丸くしましたね。アルタクス様は無言で苦笑していました。


 そんな風に、私は入室してくる大臣一人一人に挨拶をしました。アルタクス様は「君は皇妃なのだから家臣に挨拶などする必要はないのだぞ」と後で仰いましたけど、お愛想を振り撒くだけならタダですし、損のあることではございません。むしろ愛想が足りなかったせいでハーレムをまとめるのに苦労した反省を踏まえるべきでしょう。


 帝国の大臣は合計二十名くらいです。帝国政府は色んな部門に分かれていて、そこには貴族出身の官僚が沢山所属しています。そこの長が大臣ですね。


 これに対して帝国の地方の各地を皇帝の命に従って治めているのが大守と呼ばれる者達で、私を買ってハーレムに献上したエルムンドなどがそうです。太守と大臣は身分的には同格らしいですね。


 午前中は大臣からの挨拶でほとんど終わりました。その間、執務室はずっとシーンと静かで、遠くから波の音が聞こえたり、帝都の街の騒めきが届いたりするくらいでした。私は前日から緊張していたせいで昨夜はよく寝られなかった事もあり、うっかりすると居眠りをしそうになって困りましたよ。


 泣かないか心配していたサルニージャですが、静かなのが良かったのでしょうか。ずっとおとなしく寝ていましたね。


 大臣との謁見が終わると、アルタクス様と私は休憩室に下がって昼食を摂りました。地方の重要な太守が来たり、隣国からの施設などが来た時にはこの時間に会食を設定する事もあるそうです。


「疲れただろう」


 アルタクス様は私とサルニージャを労って下さいました。ちなみに、この時私とアルタクス様は初めて食事を同席しました。皇帝と皇妃が食事で同席してはいけないという慣例がなかったからです。皇妃がいた前例がほとんどないのですからそれは慣例もないでしょう。アルタクス様は私と食事を共に出来て嬉しそうでしたよ。


 ちなみに、内廷で出る食事は内廷の専用の厨房で作っているそうで、ハーレムとは微妙に味のクセが異なりました。ちょっと濃い気がします。内廷で食事をするのは皇帝と大臣と宦官だけで男性か元男性だけですから、男性向けになっているのかもしれません。


 食事を終えると少し休憩時間があるので、内廷をお散歩しました。内定には皇帝陛下の執務スペースの他、大臣の専用室があるそうです。ただ、内定は沈黙が尊ばれますから仕事がし辛いそうで、アルタクス様との朝の奏上を終えると、大臣は早々に外廷に出てしまう事も多いそうです。


 なら喋れないなんてそんな風習は止めれば良いのにと思うのですが、伝統と慣習はそう簡単に変更出来ないのです。お散歩をしてもアルタクス様とお話が出来ないのですから、物珍しくはありましたが、あまり面白くはありませんでしたよ。


 午後はアルタクス様も外廷に出ます。当然私も連れられて内廷と外廷を区切る瀟洒な門を潜りました。外廷に出ると一気にザワザワとした物音が聞こえて参ります。煩いですけど、こちらの方が活気を感じますね。


 外廷は内廷とは一変して大きな建物が立ち並ぶ空間でした。いつもはアルタクス様はその一つの大謁見室に入られて、そこで各地からの陳情者を謁見をなさるそうなのですけど、今日は午後の謁見は取り止めにしてあるそうです。


 アルタクス様と私は廷臣たちが平伏する中を進み、外廷の幾つもの建物を抜けて進み、帝宮の南の外れにある大礼拝堂に辿り着きました。ドーム型の屋根が重なり合うような建築形式で、アーチ型の窓が連なり、神への祈りの言葉を意匠化した紋様がびっしりと描かれています。


 ハーレムにある礼拝堂は二十人も入れば一杯でしたが、こちらは大きくて軽く二百人くらいは入れそうです。


 内部に入ると、とにかく信じられないほど高い丸天井に驚きます。紋様がタイルでびっしり描き出されていて、柱や梁の彫刻も本当に見事です。偶像を禁ずる教えがあるので神像などはありませんが、大女神のおわす神の世界を表現したいう祭壇はより一層精緻な彫刻や細工に覆われています。


 その前に白い布地に金で紋様をびっしりと刺繍した服を着た男性が立っていました。おそらく司教でしょう。帝宮のこんな立派な大礼拝堂にいるのですからただの司教では無いのだと思います。恰幅が良く、厳しい顔立ちの方です。


「おお、来たな」


 しかし威厳のあるそのお姿とは裏腹にその方、大司教ノルヴェルト様は砕けた口調で私たちを迎えて下さいました。


 後で聞きましたが、この方はアルタクス様のご学友なのだそうです。ノルヴェルト様が認めて下さったおかげで、私とアルタクス様は結婚出来る事になったということでした。


 今日はここで私とアルタクス様の結婚式をするのだそうです。結婚式というと、私は故国のいわゆる神殿で多くの来賓に見守られながら大女神様に誓うあれしか思い浮かばなかったのですが、帝国では結婚式自体は神殿で司教様立ち合いの元、大女神様に誓えば終わりなのだそうです。


 私はサルニージャを用意されていた寝籠に寝かせて(私と離れるのを嫌がってここで初めてぐずりました)私はアルタクス様と聖地の方角を示す祭壇に向けて平伏します。


 礼拝の後、私とアルタクス様は大司教様の前にある書類にサインをします。この時、大司教様から「大女神様に誓う結婚のは神聖なもので云々」と書類に記された契約の文言について説明を受けました。これは文盲の者もいるからでしょうね。


 サインが終われば結婚の儀式は終了です。大司教様から「おめでとう」と言われるのが唯一の祝福で、なんとも味気ない結婚式でした。


 ただ、このサインをした瞬間に、私は正式にシャーレから自由民身分になり、同時に帝国の皇妃になったのです。全然実感は湧きませんがそうみたいなのです。


 ついでに言えば、この婚姻届のサインで私はハーレム名のヴェアーユではなく、本名のカロリーネと署名しました。ですので私はこの後「皇妃カロリーネ」と呼ばれる事になります。ただ、ヴェアーユという名前も気に入っていましたから、ハーレム内では相変わらずそう呼ばせましたけどね。


 結婚式を終えますと、私はサルニージャを抱き上げて、またアルタクス様の後ろに続きます。外廷は建物が連なって迷路のようですし、全然知らないところなので何も考えずにアルタクス様の後ろに続くしかありません。


 なので気が付くのが遅れました。


 不意に建物から出て明るくなりました。え? っと思って見ると、そこはバルコニーの上でした。バルコニーというより、城壁の張り出しと言った方が正しいですかね。磨かれた白い石で出来た美しい場所です。そこを進み、バルコニーの端にある屋根の付いた東屋のような所に向かいます。


 なんでしょう。あそこで休憩してお茶でも飲むんでしょうか。などと私は呑気なこ事を考えたのですが、その少しバルコニーより高くなった東屋に上った瞬間、突然足元から大歓声が聞こえてきたのです。


 私は本気で驚きましたし、ウトウトしていたサルニージャも驚いて泣き出しましたよ。それを見ながらアルタクス様はニコニコと笑っています。


 バルコニーの下。三階建ての建物から見下ろすのと同じくらいの位置に、かなり大勢の者たちがうぞうぞとひしめいていたのです。彼らは硬直する私と大泣きしてしまったサルニージャと、優雅に手を振るアルタクス様を見上げてこう叫びました。


「「皇帝陛下万歳! 皇妃様万歳! 皇子様万歳! 大女神よ、帝国と聖なる一族を護りたまえ!」」


 地鳴りのような大歓声でした。


 ここに集まっているのは宮廷に使える官僚達の他、帝宮を守る兵士たち、そして帝宮の中で様々な事で働く者たちです。奴隷も勿論います。総勢五千人くらいはいるでしょうか。それが帝宮の中庭に集まって私達に歓声を上げてくれていたのでした。


 驚く私を見て、アルタクス様がクックックっと笑いました。


「ずいぶん驚いているな」


「それはそうでしょう」


 私はサルニージャを宥めながら頬を膨らませました。


「ならばサプライズは大成功だ。結婚式なのだから、やはり大勢の者に祝福されねばな」


 アルタクス様は満足そうでした。


 ただ、皇帝の結婚なのでもちろんこれだけで終わらせる筈がないという事で、後日盛大な結婚披露宴を行う予定なのだという事でした。今日はあくまで儀式的な結婚式なのであって、披露宴は別だということですね。


 ただ、帝国各地や近隣各国から祝賀の使節が膨大な数やってくる予定ですので、準備が非常に大変になります。私にもドレスの仮縫いや来賓の皆様を覚えたり式次第を暗記したりとやることが山のようにあるとのことで、ハーレムを自由に出入りできなければ無理だろうと、結婚を前倒しにしたそうですね。


 ただ、それは建前で、披露宴の準備が終わるまでアルタクス様が結婚を待てなかったという理由が本音なのでしょうけど。


 歓呼の声を存分に浴びた後は、私たちは別室に移り、今日の来客と接見を行いました。今日に皇子であるサルニージャのお披露目をすることはある程度周知されていましたので、地方の太守や帝都の有力貴族がかなりの数お祝いの品を抱えて接見を申し込んでいました。


 しかし、まさかアルタクス様と私が今日結婚するとは思っていなかったようです。アルタクス様は結婚の話をかなり内々に進めていたみたいですね。反対意見を少なくするためでしょう。


 だから来客の者達は、私がサルニージャを抱いて皇帝たるアルタクス様の横に座っている事に仰天し、結婚を寿ぐ挨拶もしどろもどろでしたね。アルタクス様は後日披露宴を開くから、その時は改めてよろしく頼むと言っていました。私は愛想良くニコニコ笑っているだけでしたよ。


 来客は後から後から尽きることがありませんで、あまりに多いのでサルニージャが疲れてしまう事を考慮して、私は最初の二時間くらいでサルニージャと共に離脱しました。アルタクス様は私には残って欲しいようでしたけど、サルニージャを知らない者に任せたくありませんので、私は内廷の休憩室にまで戻り、サルニージャをあやしながらアルタクス様をお待ちしました。


 私は幸い乳の出が良いので、サルニージャが飢える心配はありませんでした。オムツはこの日のために前から用意して持ってきましたしね。オムツの変え方を乳母から教わっておいてよかったです。


 アルタクス様が内廷にお帰りになった頃には外は暗くなっていました。もう日暮れが早い季節とはいえ、中々お帰りにならないので心配しましたよ。もっとも、ハーレムにお帰りになるのは、そういえばいつも暗くなってからですね。皇帝陛下のお仕事はかなりの激務であるようです。


 私たちは黄金の廊下を通ってハーレムに帰りました。ハーレムに戻るのですがもう私はシャーレではありません。全然実感はありませんが、身分が今日中に大幅に変わってしまったのです。


 太鼓の音と共にハーレムに入りますと、三夫人を筆頭にシャーレが平伏して私達を出迎えます。二人は皇帝と皇妃ですので十分に平伏されるべき身分です。


「皇帝陛下、皇妃様。お帰りなさいませ」


 私が抜けた今日から、第二夫人だったアレジュームが繰り上がって第一夫人になります。彼女が代表して出迎えの挨拶をします。昨日まで私がしていた出迎えの挨拶を自分で受けるのは、実に不思議な気分でした。


「ただいま戻りました。変わりはありませんでしたか?」


「万事恙無く」


 私は皇妃となり、ハーレムの絶対者になります。母后様の権限を超えて、ハーレム内では皇帝陛下以上の権限を得たのです。ハーレムというのは妻の管理空間の意味ですから、妻の意思が夫の意見よりも優先されるのです。


 しかしこれは見方を変えれば、ハーレムで起こった事の全責任を皇妃は負わなければならないという事でもあります。これまでも事実上はそうでしたけど、今度は法的にも慣例的にもそう定められてしまったのです。三百人の運命と命を一手に握るのですから責任は重大です。


 私はサルニージャを乳母のクリュープに預けると、アルタクス様と共にお食事を摂りました。ハーレムで一緒にお食事をするのは初めてでしたから、変な気分でしたね。


 その日は流石に疲れ果ててしまい、私はお風呂に入ると自室に帰り、一人でぐっすりと寝てしまいました。アルタクス様のお世話は夫人と寵姫に任せたのです。たった一日でこんなに草臥れるのですから、それは即位当初のアルタクス様が疲れのあまり何ヶ月か閨を取り止めたわけですよ。今日にアルタクス様に求められても応じられる気がしません。


 しかも、実は私はこれからも、毎日は無理ですけど、ハーレムを出て宮廷に出なければならないのです。流石にサルニージャは置いてですけどね。アルタクス様の公務を皇妃として手伝う事になっているからです。


 内廷ではアルタクス様の代わりに大臣から書類を受け取る接見を代行します。その間にアルタクス様は別室で大臣と打ち合わせが出来て時間が節約出来るという寸法です。あの大仰な謁見はどうせ書類を受け取るだけなので、私にも出来るでしょう。


 外廷での来客の対応も、アルタクス様が謁見室で陳情を受けている間に私が出来る範囲でやれば、アルタクス様のご負担を減らす事が出来ます。


 今日のお仕事ぶりを見れば分かりますように、アルタクス様の皇帝としてのお仕事は激務なのです。私が代行出来る範囲で代行して彼が身体を休められるなら何よりでしょう。


 幸い、私は王太子妃教育も受けていますし、エルムンドのお屋敷で帝国の知識も詰め込まれております。こなせないという事はありませんでしょう。


 しかし、長らくハーレムでのんびり暮らしていた私ですから、いきなりそんなに忙しくなって大丈夫なのか? という不安はありましたよ。それに、ハーレムに目が行き届かなくなるのも困ります。


 でも、まぁ、何もかも愛するアルタクス様のためです。彼は私のために女奴隷を皇妃にするという無茶を通して下さったのです。そのご恩は返したいと思います。そのためなら私も多少の無理はしようと思っていましたよ。


 しかしながら皇妃のお仕事が、私が想像していたよりももっと遥かにとんでもない、困難なお仕事であることが分かったのは、皇妃として出仕を始めてまもなくでした。

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