第十一話 女官争奪戦

 シャーレは皇帝陛下の代替わり時に大きく入れ替わります。


 まず、夫人と寵姫はハーレムから嘆きの宮殿に移ります。そして希望するシャーレはハーレムを出て自由民になる事が出来ます。


 アルタクス様への代替わりの際には、合計で百人程のシャーレがハーレムを去りました。当然ですが、残り二百人ではハーレムを維持するには足りないため、補充が行われます。


 下働きのシャーレは帝都の奴隷商人から購入が行われます。この際、奇形でないことと大きな病歴がない事、そして処女である事は厳重に確認されます。ジャヌジェ様の例にもあるように、下働きから夫人にまで成り上がることは十分に可能であり、皇帝陛下の寵愛を受ける可能性があるからには、下働きのシャーレといえど健康と処女である事は絶対に必要なのです。


 そして、新皇帝の即位を祝って各地の大貴族から女奴隷が贈られてきます。当然こちらは寵姫候補という事になりますね。貴族達が何らかの理由によって確保した選りすぐりの女奴隷をハーレムに献上してくるのです。


 寵姫候補たちは私もそうだったように、いきなり女官となります。もっともこれは最初だけで、皇帝陛下が気に入らなければ下働きに落とされる可能性はあります。しかし、大貴族から献上されたシャーレを皇帝陛下が邪険に扱えばその貴族との関係が悪化する可能性があるので、普通は最悪でも女官として厚遇されるのが普通ですね。


 そういうシャーレがアルタクス様が即位して二ヶ月後くらいから、続々とハーレムに入宮してきました。この頃には私と母后様の対立はもう明らかでしたから、私も母后様も新たに入宮したシャーレを自分の派閥に入れようと画策する事になります。


 ハーレムの序列的に、新女官はまず母后様にご挨拶をし、それから私のところに来ることになります。これはちょっと私にとっては不利な事でした。


 母后様は新女官にご馳走を振る舞い、新品のドレスを下賜し、他にも褒美を与えているようでした。母后様お得意の贈り物攻勢です。自分の部下に対する気前の良さは、いくら見習っても敵いませんね。


 そして母后様は新女官にしきりと私への悪口を吹き込みました。驚くような贈り物をもらい、私の悪い所ばかりを知った新女官達は、私の所に来る前にすっかり先入観を植え付けられてしまっていました。


 これでは私が同じように接待してあげても、彼女達の気を引くことは出来ません。元々母后様の方が上位の存在なのです。新女官は次々と母后様の周りに集まるようになりました。第一段階は私の完敗です。


 私は焦りましたけど、ある意味安心してもおりました。母后様はなにしろ人格に問題がある方なので、最初は利に惹かれて集まったシャーレが、母后様の横暴さに耐えかねて私の方に寝返って来る事がかなりあったからです。


 今回もそうなるだろうと思っていました。そうしたら私はそういう物たちを快く受け入れるようにしないといけません。ダメですよ。以前の私のように「オホホホホ! だから言ったではないですか! 最初から私を選んでおけば良かったのに!」などと高笑いしては。


 しかし、母后様は思いもよらぬ方法で新女官達を自派に縛り付けたのです。……それは、恐怖による支配でした。


 新女官の一人が母后様の性格に耐えられず、私のところにご機嫌伺いに来た時の事です。私は内心しめしめと思いながらも快く彼女を受け入れ、彼女の厚遇を約束致しました。


 しかしその女官はその後来なくなってしまいました。不思議に思った私が調べさせると、その女官は母后様の所に戻っていました。


 更に調べさせると、どうも彼女は私の所に行った事を母后様に責められ、周囲の母后様派の女官に囲まれて殴る蹴るの折檻を受けたようです。そして閉じ込められて脅迫され、その女官が泣いて許しを乞い母后様への忠誠を約束すると、ようやく解放して褒美を与えたとの事でした。


 その報告を聞いて私は唖然としました。そこまでやるかという気分と、その手があったかという思いが半々でしたね。私の性格的には、そういう恐怖での支配の方が合っている気はします。しかしながらすぐに私は気が付きました。それでは根本的解決になりません。


 私がハーレムの掌握を志しているのは、ハーレムの運営のためです。ハーレムを恙無く運営し、お帰りになるアルタクス様をお迎えして寛いで頂き、そしてお子を作り育てるためです。そのために私は、夫人はハーレムを束ねシャーレを引率しなければならないのです。


 そのためには和が必要です。ハーレムがギスギスしていたらお帰りになるアルタクス様がお休みになれないではありませんか。私が恐怖でシャーレを支配したら、ハーレムの雰囲気は暗く陰鬱なものになってしまうでしょう。そうなったら私はアルタクス様の不興を買う事になるでしょうね。


 何でもいいから自分に従わせればいい。私の周りに行かせなければ良いという母后様と、私は立場が違うのです。母后様は既にアルタクス様の母であり、その身分が変動する事はありませんが、私はあまりにも横暴に振る舞えばアルタクス様の寵を失って格下げになる危険性を持っているのです。


 私はアルタクス様の愛は疑っていませんが、何をやってもその愛が永遠に保たれるとも思っていません。愛を維持するには私がアルタクス様に嫌われないように、彼が好きな私でいられるように心掛ける事が必要です。


 まぁ、アルタクス様は私の激しい性格はご存知ですし、多少のことは許して下さると思いますけどね。


 そんなわけで、私は母后様の暴力と恐怖で支配するというやり方を真似する訳にはいかなかったのですが……。


 ……ふむ。私は考えました、違うやり方なら良いのではないかと。暴力と恐怖の使い方を変えれば、母后様のやり方は私にも有効だなと思ったのです。私もここまで随分我慢してきました。以前ならとっくにやり返している母后様派のシャーレの私への振る舞いにも忍耐忍耐でよく我慢してきたと思います。


 ……そろそろ少しぐらい自分を解き放っても良いのではないでしょうかね?


  ◇◇◇


 私はある日、母后様派の気が弱そうな女官を勧誘致しました。お茶会でゆっくり接待をして、褒美を与えます。彼女は母后様の横暴にはもうこりごりだと話し、私の優しさに感動したと言いました。そして、私の派閥に鞍替えすると匂わせました。


 私は鷹揚に貴女を歓迎致しますよ、と言いました。彼女は嬉しそうに私が与えたお土産を持って退出していきましたよ。


 ……私は彼女を尾行させました。


 すると案の定です。その女官は自室に帰り着きもしない内に母后様派の女官に囲まれたのです。そしてそのまま一室に連れ込まれます。


 七人の母后様派のシャーレはその部屋で、くだんの女官を取り囲み、激しく裏切りを責めました。この恩知らずだの母后様の恐ろしさを教えてやるとか、あんな悪辣女(私です)を信じる馬鹿者とか、今に母后様があんな女(私です)をハーレムから放逐して下さるとか好き勝手な事を言っていましたね。


 女官は泣いて許しを請いましたが、母后様派のシャーレ達は口汚く罵り、終いには殴る蹴るの暴行に及びました。……私は暫く待ちましたが、母后様が登場する様子はありません。まぁ、あの母后様が一々女官を折檻する為に足を動かすとは思えません。この程度の事は部下に任せているのでしょう。


 それなら安心です。そしてこっちは私が動く必要があるのです。役回り的に。


 女官が大きな悲鳴を上げたタイミングで、私は悠然と部屋の中に姿を現しました。


「何をしているのですか」


 余裕たっぷりに現れた人間に部屋の中の者達が驚きます。そしてそれが第一夫人である私だと気が付いて更に驚愕します。


 なにしろ人を囲んで暴行していたのですから、気まずいのでしょう。何人かがばつが悪そうに視線を私から外します。暴行されていた女官は驚きに目を見張り、そして私に涙ながらの声を掛けました。


「ヴェアーユ様!」


「よしよし。可哀想に。こちらへおいでなさい」


 私が招くと彼女は転がるように私の元へ走ってきました。ドレスはボロボロ。髪は乱れお化粧は涙でぐしゃぐしゃ。酷い状態です。私は彼女を抱き留めるとヨシヨシと頭を撫でました。


「後は私に任せなさい。さ、この娘を部屋へ」


 私は女官を部屋の外で心配そうにしていた彼女付きの下働きに任せます。女官は泣きながら何度も私にお礼を言いいつつ、自室の方へと逃げて行きました。ヨシヨシ。これで彼女の私に対する忠誠心はかなり上がったと考えられますよ。我ながら上手い方法を考え付いた物です。


 暴力で虐めて無理矢理従わせるよりも、暴行から助けて恩を売った方がよほどスマートだし、相手の感動も大きく、得られる忠誠も大きくなるでしょう。


 そして私のストレス解消にもなりますしね。


 私は母后様派のシャーレ達に向き直りました。冷然とした表情を作り、緑の瞳で彼女達を睨み付けます。


「さて、申し開きはありますか?」


 私が睨むと、ほとんどのシャーレは俯きました。彼女達は母后様に命じられて参加していただけなのでしょう。


 しかし、三人だけいた女官は挑戦的に私を睨みました。中でも黒髪黒目の私と同じくらいの年格好の女官は私に向けて一歩踏み出して吠えました。


「申し開きすることなんてありません! 私達は不心得者を指導していただけですから!」


 思い出しました。この女官はブリュートといって母后様が嘆きの宮殿から伴った、側近中の側近です。ウェーブした黒髪が輝く中々の美人ですよ。胸も大きいですし。


「母后様のご命令で、不心得者はああして指導することになっているのです!」


「指導……、とな?」


「ええ! 母后様のご命令でね! 貴女は母后様のご命令を妨害したのですよ!」


 ブリュートは勝ち誇って私に言いました。その後ろで女官がニヤニヤと笑っています。何を笑っているのでしょう? ああ、そうですか。私よりも母后様の方がお偉いのだから、母后様のお名前を出せば私が恐れ入ると思っているのですか。おめでたいこと。


「どうしてくれるのですか! ヴェアーユ様! 貴女は母后様に罰せられるでしょう! どう申し開きをするつもりなのですか!」


 なんで今更私が母后様に申し開きをする必要があるんでしょうかね。もう私と母后様は徹底的な対立になってしまっているのに。私は思わず口元に笑みが浮かんでしまいます。母后様の忠臣であり、寝返りは期待出来ず、そしてこうも無礼な相手であれば遠慮は要らないでしょう。


「そうね。指導ね。指導は大事ね……」


 私がそう呟くと、鈍いブリュートは怪訝な顔を致しました。しかし、後ろにいる勘の良い何人かは身構えましたよ。そうですね。身構えるくらいはした方が良いですわよ。逃がしませんけど。


「確かに不心得者には指導が必要ね!」


 私は次の瞬間、右手を一気に振り抜きました。


 それは間抜け面をしていたブリュートの左頬に突き刺さります。単なるビンタですけどね。手加減はしませんでした。左足を踏み込み、腰のひねりを利かせましたからかなりの威力になったのではないかと思います。


 その証拠にブリュートの身体は縦に回転しましたからね。ブワーンと吹っ飛んだのです。そしてそのまま頭から床に叩きつけられて、ブリュートは動かなくなります。


 場の雰囲気は一瞬凍り付き、そしてシャーレ達から悲鳴が上がります。


「ぶ、ブリュート様!」「な、なんて事を!」


 私は構わずズカズカと前進し、右足で思い切りブリュートの腹を蹴りました。


「ぶふぉ!」


 多分その衝撃で失っていた気が戻ったのでしょう。ブリュートはのたうち回りながら咳き込んでいます。私は更にガシガシとブリュートを踏みつけにして蹴り上げます。


「ぎゃぁあ!」


 ブリュートが悲鳴を上げますがお構いなしです。蹴って、立ち上がろうとすれば足払いで転がして、更に蹴ります。


「お、おやめ下さい!」「ブリュート様!」


 助けに入ろうとする女官も遠慮無く蹴り飛ばします。悲鳴が上がり、それ以外のシャーレは逃げ惑い、その中で私は執拗にブリュートを追い回して折檻します。なかなかカオスな空間ですね。


「不心得者には折檻をして良いのでしょう? 良いことを教えてくれました。他の者も私に従えないというのなら、同じようにしてあげますから待っていなさい」


 私は泣きながら頭を抱えて転がるブリュートを蹴り続けながら、他の女官にニーっと笑顔を向けました。とっても楽しそうな笑顔に見えたと思います。なにせこの時の私はここ数ヶ月の鬱憤が晴らせてとても楽しかったですから。


「ひ! ひやぁぁああああ!」「お許し下さいー!」


 遂にシャーレたちは悲鳴を上げて部屋から逃げ出しました。あらあらはしたない。まぁ、顔は覚えましたから、無礼へのお礼はゆっくりしてあげるとして。とりあえずは。


 私は私の足によってがっつりと踏みつけられているブリュートを見下ろしました。嗚咽を上げて震えています。お漏らしもしているんではないでしょうかね。臭いですから。


「さて、ブリュート」


 ブリュートがビクンと跳ね、ガタガタと震え出します。私は身をかがめてブリュートに語りかけました。


「母后様と私のどちらが恐ろしいか、よく比べなさいね。分からぬようなら何度でも同じ目に遭わせてあげますから」


 そして私は最後にけりっとブリュートを蹴り転がすと、清々した気分でその部屋を後にしたのでした。


  ◇◇◇


 まぁ、母后様は怒りましたよ。激怒して私を呼び付けましたが私は完全に無視しました。


 アルタクス様がお帰りになった時にも彼に私の罪を訴えましたが、アルタクス様が聞いて下さる訳がありません。アルタクス様が罰しなければ私が罪に問われる事はありません。


 ただ、私はちゃんとアルタクス様に事実をお話しましたよ。隠し事は良くありません。事情を聞くとアルタクス様は大笑いして私に言いました。


「この所君らしくもなく我慢して頑張っていたのだ。少しぐらいは許す。ただ、やり過ぎるな。恨みを買ってもつまらぬぞ」


「分かっております。貴方に迷惑が掛かるような事はしませんわ」


 私の言葉に彼は驚いたような表情を見せました。そして私を抱き寄せると苦笑気味に言いました。


「君に迷惑を掛けられるのは望む所なんだがな。しかしそうも言っていられないのが現状だ。すまない」


 ……私は無言で彼の胸に頬ずりしました。大丈夫です。ガラにも無い我慢や忍耐や辛抱をして、愛想を振りまくのは全て貴方の為です。貴方の為だから耐えられるのです。そうでなければ私はとっくに母后様に苛烈な復讐を企んだ事でしょう。


 私の(暴力的な)恐ろしさはハーレム中に知れ渡ったようでした。まぁ、前から復讐となると限度を知らないことは女官身分の者達は知っていたと思いますけどね。


 ただ、今回は私が暴行された女官を助ける為に蛮行に及んだのだということはしっかり喧伝しましたよ。横暴や我が儘で暴力を振るったのではない。庇護する者を護る為に戦ったのだと。つまり美談に仕立て上げたのです。私の鬱憤晴らしがかなりの割合含まれていたなどとは言いませんよ。もちろん。


 その結果、私の評判は良くなったようでした。同時に、暴行され私の忠臣になった女官から母后様派の暴力行為は知れ渡り、母后様派の女官は反感に苦しむ事になります。


 そうなると母后様を消極的に支持していた女官は私の元に走る事になります。私は彼女達を鷹揚に受け入れ、保護しました。私は配下の女官達に髪に紫色のリボンを結ばせました。私は第一夫人になってから紫色のドレスを許されています。ですので、紫色のリボンは私の庇護の証となるのです。私は事ある毎に言いました。


「紫色のリボンを襲う者は私を襲ったのと同罪と見做します。私が必ず復讐してあげますから報告なさいね」


 もっとも、あれだけやれば母后様派の女官達には言わないでも分かっている事でしょう。暴行事件はあの後はもう起きませんでした。


 ただ、私派のシャーレがこの事で強気になった事もあり、母后様派のシャーレとあちこちで衝突を起こしました。口げんかや嫌がらせ合いなら良いのですが、結構深刻な争いになった事もあるようです。


 派閥の対立が先鋭化すると、派閥の固定化硬直化を招きます。裏切りを許容せず、内部監視をしてギスギスするようになると、派閥を抜ける事も入ることも難しくなってしまうのです。


 実はまだ私の派閥は母后様派に勝っているとは言い難い状況でした。この状況で派閥が固定化されてしまうと、母后様に対する劣勢が固定化されてしまう事になります。私は女官達に言いました。


「私が嫌いだと思う者はいつでも私の元を離れて母后様のところへ行きなさい。裏切りなどとは思いません。そして、母后様のところを離れて私の元に来る者を責めてはなりません」


 もちろん本心ではありませんよ。私は裏切りがこの世で一番嫌いな行為です。しかしながら、鷹揚で寛容な態度こそ、味方を増やすのだということを、私はもう随分痛い目を見て学んでいたのです。我慢我慢です。


 実際、私の元を離れた者もいましたが(理由は何となくとか、母后様派の友人に勧誘された、とかでしたね)母后様派は既に硬直化が始まっており、母后様は派閥の者達に絶対服従を誓わせていました。何でも杯を回し呑んで誓うのだそうで、これには血を分けるという意味があるそうです。そんなですから抜けるのも難しければ入るのも難しく、結局私の元を離れた者達は私の派閥に帰ってきました。


 相変わらず母后様は横暴で我が儘な上に、猜疑心も高くなっているようで、配下のシャーレは寝返りを疑われると厳しい尋問と折檻を受けるらしいですね。相変わらず気前は良くて褒美は貰えるそうですけど、あまりのギスギスした雰囲気に、母后様のところを逃げ出してくるシャーレは少なくありませんでした。


 そしてこの頃から母后様にとっては致命的な噂が流れ出します。


 それは母后様がアルタクス様と不仲であり、どうやらアルタクス様に言う事を聞いて貰えていないという噂です。これは完全に事実であり、今更な話ではありました。しかしながらこれがなぜ致命的なのかというと、シャーレ全員の目標に関わってきます。


 シャーレの目標、それは皇帝陛下からの寵愛です。


 シャーレは皇帝陛下のご寵愛を賜って、皇帝陛下のお子を産むためにハーレムにいるのです。そして皇帝陛下のご寵愛を賜って出世するために、私や母后様に近付いているのでした。


 その母后様が皇帝たるアルタクス様と不仲であり、皇帝陛下への推薦が望めないとしたらどうでしょう?


 皇帝陛下からの寵愛を賜り、次代の皇帝の母になるという野望を持っているシャーレにとっては母后様に従う意味がないという事になってしまうのです。これは母后様の致命的な弱点でした。


 出世を目指さないシャーレもいますから、そういうシャーレは褒美さえ与えておけば繋ぎ止める事が出来るでしょう。しかし出世を目指すシャーレは、母后様がアルタクスへの紹介が出来ないのなら、従う意味が無いということになってしまいます。


 実際、母后様は何度も配下の女官をアルタクス様に紹介し、寝所に送り込もうと試みました。


 しかしアルタクス様は一顧だにしませんでした。あからさまに迷惑そうな顔をして、女官達を追い払ったのです。このような事がかなりの回数続いたために、母后様とアルタクス様の不仲が噂になった訳ですね。


 母后様に見切りを付けた野心あるシャーレは、それならば私の元に来て推薦をして貰おうと考える訳ですが、話はそう簡単ではありませんでした。


 なぜなら私も配下の女官をアルタクス様の寝所に送り込む事が出来ていなかったからです。


 というより、即位以来半年も経つのに、アルタクス様は未だにそのご寝所に、私以外のシャーレを伴った事が無かったのです。お食事の際に側に侍らせるのも私だけ、抱き寄せて語らうのも私だけ。そして閨で愛して下さるのも私だけ。


 ……これでは野心ある女官が私に付く利点に疑いを持つのも当たり前でしょう。私はアルタクス様に私以外のシャーレを近付けないつもりだ、疑われているようでした。こちらの噂はアルタクス様即位当初からあり、母后様が積極的に広めてもいるようでした(私が淫乱でアルタクス様をたらし込んでいるという話も込みで)。


 この噂は私の派閥の女官達も信じているようでした。どうもそれで母后様派に鞍替えした女官もいたようです。これ以上この状況が続くと、私の求心力はどんどん低下してしまう事になるでしょう。何と言っても女官達は各地の貴族から「皇帝に寵愛されるように」と使命を受けてハーレム入りしています。彼女達が貴族達に「ヴェアーユ様が皇帝陛下を独占しているから陛下に愛される事が出来ない」とでも訴えれば、貴族とアルタクス様の関係にもヒビが入りかねませんし、第一夫人である私の名誉にも関わってきます。


 ……私だってアルタクス様を独占したいです。彼を愛し愛されているのは私だけ。そういう存在でいたいです。私は浮気や裏切りをこの世で一番嫌っています。アルタクス様が皇帝になってなお、私への愛に忠実に生きて下さっている事には女性としての幸せを強く感じています。


 しかし、私は第一夫人です。ハーレムの長です。私の権力の最大の源は、私が皇帝陛下にシャーレを推薦出来て、寵姫に任命出来るという点です。母后様がアルタクス様と遠い状況である今、私のその権能はもの凄く大きな意味を持っています。


 上手く使えば、膠着している母后様との対立関係に大きな衝撃を与えられる事でしょう。私人としては絶対に使いたくないとしても、公人としては使わない手はないのです。


 私は決断を迫られていました。

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