悪役令嬢ハーレムに君臨す

第十話 母后様との対立

 母后様はハーレム名をジャヌジェ様とおっしゃいます。本名は分かりません。


 その髪と瞳が黒いことから分りますように、彼女はハーシェスなどと同じ民族です。この民族は帝国の東南部に近接する国に住んでいるそうですが、その国は政治が乱れているのだそうです。そのため、多くの難民が発生してしまい、それが帝国の奴隷となっているのだという事でした。


 この民族出身のシャーレは沢山います。多くは下働きですね。有力貴族が献上してくるようなシャーレは、希少性を重視するからか、西方や北方の女性である場合が多く、そのため夫人や女官はどうしても西方出身者になる事が多いようです。


 そんな中、ジャヌジェ様も最初は下働きとしてハーレムにお入りになったそうです。どこかの奴隷商人から購入されたのでしょう。ハーレムに入るくらいですから選りすぐりの奴隷だったのだろうと思います。


 そこからジャヌジェ様は様々な方法を使って出世を果たします。当初から性格は酷かったという証言がありますが、上位の方に取り入るのが上手く、更にライバルを陥れて蹴落として夫人付きの女官に成り上がります。


 そしてどういう作戦を使ったのかは分りませんが、ある時に皇帝陛下の寵愛を賜り寵姫になり、更に皇帝陛下のお子を身籠り、そしてアルタクス様を産むのです。


 皇帝陛下の第三子、第二皇子を産んだ功により、ジャヌジェ様は夫人となり更に「皇子の母」という称号も手にします。同時期には先帝陛下の母上である夫人がいたものの、身体がお弱く控えめな性格だった事もあり、ジャヌジェ様は遂にハーレムの頂点として君臨したのです。


 その生活は物凄く派手だったそうですよ。毎日毎日特別な高級料理を食べきれないくらい作らせ、宝石商人から最高級の宝石を何十個も購入し、部屋を黄金で飾らせ、ドレスは一度着たら二度と着なかったとか。


 そして同時に、自分の息子であるアルタクス様を皇帝にすべく運動していたそうで、各地の有力貴族に手紙を送ってアルタクス様への支持を要請する一方、皇帝陛下にもしきりにアルタクス様を皇帝にするように訴えていたとか。アルタクス様の支持が大きかったのには確かにジャヌジェ様の運動の効果があったらしいのです。


 しかし、先々帝陛下は急死して、先帝陛下が即位なさり、ジャヌジェ様の野望は潰えました。ジャヌジェ様は先帝陛下の即位に伴い嘆きの宮殿に送られていったのです。その際にも色々大騒ぎしてから出て行かれたようですね。


 そして先帝陛下の死去に伴いアルタクス様が即位なされた事で、ジャヌジェ様は「母后」様としてハーレムに凱旋復帰なされたという訳ですね。


 念願の母后様となられたジャヌジェ様はそれはもう得意の絶頂でした。というのは「夫人」はどこまで行ってもシャーレ、つまり女奴隷である事は変わりません。言うなれば夫人でも下働きでも身分は対等なのです。職位が違うだけで。


 ところが、母后様は皇帝陛下の代替わりの時に奴隷身分から解放されています。つまり自由民です。つまり母后様はシャーレではなく、奴隷である私たちよりも身分が上の立場であるという事になります。ただし、自由にハーレムを出られるわけではありませんし、ハーレム内での扱いはシャーレと変わりませんけど。


 ですから、母后様は夫人を含むシャーレよりも上の身分なのです。ハーレムでは皇帝陛下に次ぐ冠絶した立場にあると言えます。それどころか母后様は「私は自由民で貴女は奴隷なのだから、私が貴女の主人なのよ!」とまで言っていましたね。


 一応言っておきますけど、シャーレの主人は唯一皇帝陛下だけです。皇帝陛下以外の者は自由民だろうと貴族だろうとシャーレに命令する権限はありません。私がそう言い返すと母后様はそれは怒り狂いましたけどね。


 職位の問題で言えば母后様が私の上のお立場である事は間違いの無いところでした。これは慣例でもそうなっておりますから間違いありません。私が皇帝であるアルタクス様の寵愛著しい第一夫人でも同じです。


 ですから私は、最初は母后様のご指導に従う気ではいましたよ? ハーレム内部の事には詳しくなく、人望もあまりない私ですから、母后様がハーレムを上手くまとめて率いて下さるならその方が良いとまで思っておりました。


 しかしながら母后様は、ちょっと私とその、色々と相性が良くなかったのです。


 母后様はハーレムにお入りになると、早速現役時代と同じような贅沢を始めます。厨房には高級料理を大量に作らせ、商人を呼び寄せて宝石だのドレスだのを大量に発注します。


 ちなみに商人はハーレムの大外塀と外塀の間までは入る事が許されますので、シャーレは何かを購入する場合は年に数回の販売会の機会にそこで日用品を購入します。夫人や寵姫になると商人を呼び寄せていつでも買い物が出来ます。


 当然、母后様も商人を呼び寄せる事が出来ます。頻繁に商人を招いて物凄い大盤振る舞いを毎回していたようですね。


 そこまでなら母后様には特別な予算が付いていて、ハーレム全体でも途方もない予算が帝国から与えられていますから、ほとんど問題にはならないのですが、問題なのは母后様は自分が贅沢をする一方、自分以外のシャーレが贅沢をするのを許さなかった事です。


 私や女官達が華美な格好をしているのを見つけると、母后様は金切り声で叫ぶのです。


「誰の許可を得てそんな派手な格好をしているのですか! 奴隷の分際で!」


 私たちは困惑しました。私たちにだって予算が付いていますし、それはドレスや宝石をそこそこ購入しても許される額です。それに私たちが着飾るのはアルタクス様のためでもあります。


「そんな格好をしてアルタクスを誘惑したのですね! いやらしい事!」


 私がアルタクス様と出会った頃は私は女官だったので、ろくな宝飾品を身に付けてはいませんでしたけどね。


 つまり母后様は自分とシャーレの間に大きな格差を付けたがるのです。事あるごとに私や女官と自分との身分の差を言い立て、私たちを蔑みます。私の部屋までやってきて、部屋の飾り付けが派手過ぎる! 奴隷のくせに! 地味にしなさい! と叫ぶ始末です。


 私は少なからずうんざりしましたが、ある程度は仕方がないかと思っていう事を聞き、身に着ける宝石の数を減らしたりお部屋の飾り付けを外したりしましたよ。母后様にハーレムの統率をお願いするのなら、ある程度の譲歩は仕方がありませんでしょう。


 しかし、母后様の横暴はこれだけではありませんでした。


 母后様は一日に何度も私を呼び付けるのです。私が寛いでいようがお風呂に入っていようがお構いなしです。そして少しでも遅れると金切り声で私を非難します。


 そして呼び出しておいて言う事は、商人を呼ぶから手配しろとか、朝食には何を食べたいから準備をさせろとか、そこのゴミを捨てよ、とかおよそどうでも良いことばかりです、私が流石に呆れて「それはご自分の女官にでもお命じ下さいませ」と言うと、母后様は真っ赤になって叫ぶのです。「私の言うことが聞けないのですか!」


 聞いていられませんよ。周囲の者の話では私以外の女官達にもこの調子で横暴な命令をしているそうでして、みんな迷惑しているそうです。皆、それなりにやる事があるのですから、どうでも良い事で頻繁に呼び出されたら困ってしまうのです。


 つまり、母后様は私や女官に無理やり言うことを聞かせて、自分が上位である事を確認して、優越感に浸りたいらしいのです。そんな自己満足のために私の行動を邪魔されてはたまりません。


 私は自分が呼び出された場合は代理の女官を行かせる事にしました。母后様は激怒し、私が来るようにと叫んだそうですが、私は取り合いませんでした。私だって夫人になってからやる事が山積みなのです。この頃は何とか人望を手に入れようと、下働きの仕事を手伝ったり、女官達とのコミュニケーションを図っている時期でした。母后様のお守りをしている場合ではなかったのです。


 母后様は怒り狂い、ハーレムにお帰りになったアルタクス様に向けて叫びました。


「この女は私を蔑ろにしました! 今すぐハーレムを追い出しなさい!」


 アルタクス様はうんざりした顔を隠しもしませんでした。


「ヴェアーユが気に入らぬのなら、母上がハーレムをお出なさい。嘆きの宮殿にはまだ部屋の空きがあるでしょう」


 母后様は愕然とし、次に口から火を吐かんばかりの勢いでアルタクス様に「親の恩を忘れて!」とか「母を迫害するなんて大女神様に対して許されない!」とか叫んでいましたが、アルタクス様は一切聞き入れずに逃げるように私と一緒に私室に入ってしまいました。


 実はアルタクス様はお母様の事がお嫌いでした。苦手とか相性が悪いとかではなくて、はっきりと嫌いだと仰っていましたね。


 なんでも、幼い頃から可愛がられた事が一度もないそうです。母后様のまで泣こうものなら「うるさい!」と怒鳴られたそうですよ。父親である先々帝陛下は事あるごとに私室に招いて可愛がってくれたそうですが、母后様は同席していてもアルタクス様を邪魔者扱いしていたそうです。


 そのくせ、アルタクス様が七歳でハーレムを出る直前になると「貴方は皇帝になるのです!」としきりに言うようになったそうで、お兄様である先帝陛下に負けぬようにと強く命じたそうですよ。


 ……まぁ、これではアルタクス様が母后様を嫌っても仕方がありますまい。幸い、アルタクス様は優しい乳母とシャーレ達に囲まれて育ったそうで、お兄様ともハーレムで遊んで楽しい生活を送っていたので、ハーレムにはいい思い出しかないそうです。今も私がいれば良いので、母のことなど一切気にする必要はない。あんまり母が煩いようなら慣例を破ってでもハーレムを追い出すからと仰ってくださいました。


 ただ、この頃のアルタクス様は皇帝位を突然継ぐことになったために物凄くお忙しかったのです。ハーレムにお帰りになるのも遅く、疲れているからか食も細くなってご寝所に入られてもすぐに寝てしまいます。


 そんな状態ですからハーレムの事に構っている場合ではありませんで、そのせいで母后様に強い注意や指導を行えない状況でした。私だってお疲れのアルタクス様にハーレムの事を相談する事なんて出来ませんでしたよ。ハーレム内の事はシャーレ達が自分で解決するのが当たり前です。そして私はアルタクス様に任じられた第一夫人なのです。


 ですから母后様の引き起こす問題を解決するのは私のお仕事なのです。私が何とかしなければなりませんでした。


  ◇◇◇


 母后様は性格があんななので人望はありませんでしたが、取り巻きはすぐに沢山出来ました。


 まず、第一夫人である私に反感を持っていた女官が母后様に擦り寄りましたね。年嵩の女官などは母后様の性格を知っていて、嫌っている筈なのですが、それよりも私の事を憎む感情の方が勝ったのでしょう。彼女たちはしきりに母后様にわたしの悪口を吹き込んでいるようでした。


 それと、母后様は金遣いが荒く、その分気前が良いのです。まぁ、元より使ってるお金はハーレムの予算から出るお金で、母后様の資産ではありませんけどね。


 毎食食べる豪勢なお食事もほとんどは残り物になりますから、それは女官や下働きが下げ渡されて食べる事が出来ます。なにせ豪勢な食事ですので、下げ渡される方は喜びます。


 毎日のように新しくするドレスもどんどん気に入った女官に下賜します。ドレスは下働きは白、女官は黄色と決まっていますが、これは公務の時だけで、自由時間にはその限りではありません。その為、自由時間に下賜された豪華なドレスを着る分には問題ないのです。


 そして呼び付けて何かを命ずるたびに、ちゃんと小遣いを出しますし、何かというと側にいるものに褒美を渡します。そのため、母后様の取り巻きの女官は頻繁にもらう褒美と下賜されるドレスや宝飾品などで見るからに派手になって行きました。


 そういう母后様付きの女官を見れば、それに憧れたり自分もおこぼれに預かりたい女官が出てもおかしくはありません。そういう感じで母后様は欲望に釣られた多くの女官達に囲まれるようになっていきました。


 一方、私もきちんと褒美は出しているのですが、私はあんまり贅沢は好みませんし(これは昔からです。ローウィン王国がそれほど裕福な王国ではなかった事と、お父様が華美を好まなかったからですね)、食事にも甘いもの以外はこだわりがありませんから、母后様程は私付きの者たちに褒美を与えたり品や食事を下賜出来ません、


 このため、私は母后様よりケチであるという評価になってしまっているようでした。人の上に立つ場合、この「あの方はケチだ」という評価は時に致命傷になりかねません。人は利益を自分にもたらさない者には絶対に従いませんからね。


 危機感を抱いた私は、下げ渡すためだけに料理を注文し、褒美に渡すためだけに商人を呼んで物を買い、ドレスを作りました。そうしてみて初めて、私はクムケレメ様や母后様が贅沢三昧をして頻繁に女官に褒美を出していた理由を知ったのです。特にクムケレメ様は本来は質素なご性格でしたからね。不思議には思っていたのです。


 ただ、アルタクス様の寵姫だった頃にはしなかった贅沢を、夫人になった途端にするようになった私に「夫人になったら豹変した」「調子に乗っている」というシャーレも少なからずいましたよ。そういう意見には一々「これは女官に下賜する為だからやむを得ないのだ」なんて説明していられません。耐えるしかありませんでした。


 当然ですが私が母后様への対抗上止むを得ず贅沢を始めると、母后様は怒りましたよ。「奴隷のくせに生意気だ!」と。これも裏読みすれば、私まで贅沢をして他のシャーレに大量に褒美や下賜品を出す事になると、母后様の気前の良さが際立たなくなってしまうのを嫌っていると読めますね。実際はどうだかは分かりませんけど。


 こうしてお互いに私と母后様が自分の支持をシャーレの間に広げていくと、それはだんだん女官をどちらが多く味方に付けるか、という勢力争いになってきます。そうなると必然的に私の勢力と母后様の勢力が敵対的に対峙することになり、私と母后様は結局、ハーレムの覇権を巡って争う関係になってしまいました。


 ……性格上、私も母后様も他人に傅く事が出来ません。お互いに敵対する相手を徹底的に叩きのめして、平伏させないと気が済まない性格でもあります。そんな二人ですから遅かれ早かれ対立は不可避だったのかもしれません。


 階位としては母后様の方が第一夫人である私よりも上です。これは自由民である母后様と奴隷身分である私ですから圧倒的な差があります。職制上も母后様は夫人を指導監督する権限があります。


 一方、ハーレムの主人は皇帝陛下、アルタクス様です。そしてアルタクス様は全面的に私を支持して下さいました。彼は他の女官達の前ではっきりと「母后よりもヴェアーユの意向を優先するように」と仰って下さり、母后様の喧しい抗議を一切受け付けませんでした。


 当たり前ですが母后様の権威は全て皇帝陛下に依存しています。皇帝陛下には母親であっても従うしかありません。その皇帝であるアルタクス様が私を全面支持して下さっている事には、身分や職制を超えた意味がありました。


 このため、私と母后様の関係は拮抗したのです。逆に言えばアルタクス様の支持を全面的に受けながら、私が母后様を圧倒するに至らなかったという事ですね。


 これは母后様が味方を作るのが上手かったという事もありますけど、私にやはり人望が無かったという事も大きいかと存じます。私はシャーレと信頼関係を作るべく奔走しておりましたけど、どうしてもそれ以前の素行があまりにもよろしくありませんでした。


 一方母后様も、かつてハーレムにおられた頃の素行は酷かったようなのですが、その頃を知るシャーレは既に少なくなっていたのです。ですから、出戻ってきた後の気前の良さだけに惹かれて、多くのシャーレが母后様を支持するようになってしまったのです。


 私も懸命の巻き返しを図りましたけども、そもそも私は人望争いなどこれまでした事がありません。むしろ嫌われる事を次々としでかして平然としておりましたよ。ですから経験豊富で人を籠絡する術を知っていらっしゃる母后様にはなかなか対抗出来ませんでした。


 むしろ母后様の支持集めの方法を見て「そういう方法があるのか」と気が付いて真似をする有様でしたね。スパイを送り込んで陰口を広める方法とか、私がお茶会の予定を変更せざる得なくなるように仕向けて、私の信用を失墜させる方法とかですね。


 私も色々考えましたよ。女官のプロフィールをなるべく覚えて、誕生日に特別な贈り物をするとか。出身地の話題を出してそれに絡めてその女官を褒めるとか。あるいは私が手ずから髪を梳かしてあげたり爪に紅を塗ってあげたりしてスキンシップを図るとか。親密になれるようなコミュニケーションのやり方を色々試しました。


 その結果、私は女官達に段々と信用され、親密な関係を築けるようになりました。大きな進歩です。そうやっている内に、私は流石にこれまでの自分の行いを多少は反省致しましたね。王国時代の私は、身分高い私に皆が従うのは当然だと思っていましたし、その後は友人なんて信用出来ないから要らないし、他人に信頼される必要などないと思っていました。


 個人に出来る事には限界があるのです。一人で出来ない事を行い、やりたい事を実現するには他人の助けが必要で、それには他人から信頼され、仲間にならなければいけません。私はハーレム統率と母后様との対決でその事を段々と学んで行く事になります。


 ハーレムの状況を私はなんとか母后様と五分の勢力に持って行く事が出来ました。これは私が優れていたというより、母后様の我がままにうんざりしていた者が多かったという事ではないかと思います。これで母后様が人誑しだったら、私は完全に孤立していたでしょうね。


 そしてここで、ハーレムは新たなシャーレを大量に迎え入れる事になります。


 そうです。アルタクス様の即位を祝って、有力貴族達が新たなシャーレを何人もハーレムに送り込んで来たのです。同時に、奴隷商人から新たな下働きのシャーレを買い入れます。


 これによって、私と母后様の対決は新たな場面を迎える事になります。

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