閑話 カロリーネ様追放騒動  ソフィア視点

 私はソフィア。ローウイン王国の貴族、アザラン伯爵家の長女です。


 私はカロリーネ様が王国においでだった頃は、結構親しかったと思いますわ。彼女がどう思っていたかは知りませんけれど。


 カロリーネ様とは同い年でしたし、エルケティア侯爵家と我が家は親戚でしたから、よく顔を合わせられ、一緒に遊んだのです。一緒によくお茶も致しましたよ。


 カロリーネ様はかなり早くに国王陛下のご長男、後の王太子殿下であるケルゼン様とご婚約なさいました。その事を知った時、私はお父様に「お二人は合わないのではないでしょうか?」と言ってしまって、そんな事を言うなと怒られましたね。


 しかし、明るく華やかなカロリーネ様に対してケルゼン様は地味です。そしてもの凄く気が強いカロリーネ様に対してケルゼン様は気弱でした。この頃のカロリーネ様はご令嬢のお友達も多くて、王宮で既に女王のように振る舞っていましたね。まだ十歳かそこらでしたのに。それをケルゼン様は小さくなって見ている状態だったのです。この頃からこのお二人の行く先には暗雲が漂っていると私は思っていましたよ。


 カロリーネ様は結構性格が苛烈で、侍女や侍従などが不手際をするとカッとなって怒鳴り付けたり、お友達がつい口を滑らせるともの凄い勢いでそのお友達を責め立てて泣かしたりしていました。ただ、この頃は明るい方でしたから、すぐにご機嫌を直して責め立てた方とも仲直りしていましたけど。


 彼女は王太子妃教育を受けていて、それはかなり過酷な物だったのですが、それを優秀な成績で涼しい顔で熟されていましたよ。頭も運動神経も良く、絵も上手く楽器の演奏も巧みでした。剣術の手ほどきをしたらすぐに上手くなってしまい、それ以上上達しては困ると周囲が慌てたという話がありました。ケルゼン様は剣術が苦手だったのです。


 活発なカロリーネ様と内気なケルゼン様。これでカロリーネ様が王太子殿下を支え、立てる性格だったなら、お二人はそれなりに上手く行ったと思うのですが……。


 カロリーネ様は逆に、ケルゼン様を邪険に扱い出しました。頼りにならないとか、殿下はもう少し勉強すべきよね、とか公言していたのです。私は何度かそのような事は言ってはいけない。王太子殿下は将来の国王なのだから、妃になる貴女は殿下を労らなければと忠告を致しましたよ。でも、カロリーネ様は鼻で笑って聞き入れませんでした。


 結局、そういうところでカロリーネ様はケルゼン様に恨まれたのだと思います。まぁ、自業自得ですけど、カロリーネ様にしてみれば自分の未来の夫で王太子なのだからもっとちゃんとして欲しいという思いだったのでしょう。


 カロリーネ様のお父様であるエルケティア侯爵は帝国の大実力者で、王家とも血縁関係にありました。事実上の宰相職にも就いていまして、それに加えて娘を王太子妃に内定させていたのですから、その勢威は王国に並ぶものなしと言われておりました。


 ただ、侯爵自身はカロリーネ様のお父様とは思えないほど謙虚な方でしたよ。それでも、臣下でありながら王家を上回るほどの権勢をお持ちなのですから、それはどうしても嫉妬を呼び対抗勢力を生み出してしまいます。


 王国の貴族の中の少ない家が参加して、反エルケティア侯爵家の派閥が作られます。その派閥が狙ったのが、明らかに不仲である王太子殿下とその婚約者の関係でした。


 反エルケティア派閥は王太子殿下に次々と女性を近付けました。そして遂にバッテン伯爵令嬢ウィーチカ様が王太子殿下のお心を捉える事に成功したのです。


 ウィーチカ様のために弁護をしておくと、彼女は内気でおとなしい女性で、親の言うなりにケルゼン様に近付き、殿下に気に入られただけに過ぎません。悪い方ではないのです。相手が悪かっただけで。


 ケルゼン様はウィーチカ様に傾倒し、彼女を寵愛するようになります。婚約者がいるのに他の女性を寵愛するのは倫理的にはあまり歓迎される事ではありませんが、珍しい事ではありません。結婚は家同士の事情が最優先ですからね。


 しかし、この事を知ったカロリーネ様はそれは怒りました。ケルゼン様の不実を詰り、ケルゼン様が反論なさると物凄い勢いで殿下を論難していましたね。あまりの勢いに周囲の者達が仲裁に入ってケルゼン様を逃したくらいです。


 そんな風にしたらケルゼン様は余計にカロリーネ様を避けるようになりますし、周囲も殿下はお可哀想だと思うようになります。ウィーチカ様は大人しく、カロリーネ様にはどう考えても対抗出来ません。


 それで勝手に義憤に駆られた貴族令嬢が、ウィーチカ派を結成してカロリーネ様に嫌がらせをするようになります。足を引っ掛けようとしたり、ソースをドレスにこぼしたり、陰口を広めたりですね。止めとけばいいのに。


 それを受けたカロリーネ様は「あの女の差し金ですね!」と叫び、全ての復讐を三倍返しでウィーチカ様に叩きつけました。ウィーチカ様が泣き喚くのも構わず池に突き落としたのを見た時には目を覆いましたね。泣くウィーチカ様をケルゼン様が庇うと、怒り狂ったカロリーネ様は殿下にも罵詈雑言を叩き付けました。


 ……どうにも弁護の余地がないのですが、カロリーネ様に言わせれば、自分は王太子妃(予定)なのだから、王太子殿下を指導監督するのは当たり前。浮気など真っ先に断罪されるべきという所だったのでしょう。なんというか、色々間違っておりますよね。


 こんな事をされてまでケルゼン様がカロリーネ様との婚姻を望む筈がありません。殿下はカロリーネ様との婚約破棄を計画するようになります。


 殿下は性格は暗いし大人しいですが、暗愚ではありません。年齢はカロリーネ様より三つ上。その分経験も積んでおります。殿下は反エルケティア派と連絡を取り合い、エルケティア侯爵家の追放を画策したのです。


 国王陛下はカロリーネ様個人の事はお気に入りで、その才能に将来の王妃としての期待を掛けていたのですが、ケルゼン様の運動と、やはりエルケティア家の強すぎる権勢に懸念を抱いていたこともあり、結局王太子殿下の計画に乗りました。


 そして運命のあの日、カロリーネ様の十三歳のお祝いと、王太子殿下とカロリーネ様の結婚式の日取りが発表される筈だったあのパーティで、ケルゼン様が突然カロリーネ様との婚約破棄と、カロリーネ様の国外追放を発表したのです。


 王の階の上からカロリーネ様を断罪するケルゼン様の目はギラギラと輝いていましたよ。温厚で引っ込み思案な殿下とは思えません。カロリーネ様の追放を告げることで、余程長年の鬱憤を晴らし、溜飲を下げたのでしょう。


 王太子殿下への暴言とウィーチカ様を始めとする令嬢方へのイジメをもってカロリーネ様は王太子妃にふさわしくないと断罪し、カロリーネ様の王家を蔑ろにする発言の数々は立派に反逆に当たるとケルゼン様は叫び、カロリーネ様の断罪とエルケティア侯爵を全ての役職から解任して、謹慎を命じたのです。


 階の上から一方的に怒鳴りつける王太子殿下を見ながら、カロリーネ様は最初は呆然としていました。


 しかし、だんだんとそのお顔から表情が消えていきました。しまいには木で作ったお面のような無表情になってしまいます。そして、エメラルド色の瞳だけが爛々と輝き出しました。


 周囲の者が「ひぃい!」と悲鳴を上げています。遠目に見守っていた私にもカロリーネ様のお怒りは伝わって来ました。一方的にカロリーネ様に怒鳴っていたケルゼン様も、思わず口を噤んでしまいます。


 カロリーネ様は緑に光輝く瞳でケルゼン様を睨みながらずいっと一歩踏み出しました。周囲の者が思わず後退ります。


「……言いたいことはそれだけですか? このバカ王子!」


 カロリーネ様はグワっと叫びました。ケルゼン様はさっきまでの威勢はどこへやら、腰が砕けてしまっています。


「この私にそんな口の聞き方をするなんて! どうなるか分かっているのでしょうね! そこへ直りなさい!」


 カロリーネ様はズンズンと進んで階段に足を掛けました。ケルゼン様は悲鳴を上げて尻餅をつきながらも叫びました。


「衛兵! そ、そやつを! そやつを取り押さえろ! 反逆だ! 反逆の現行犯だ!」


 それからはもう大混乱です。階を駆け上ろうとするカロリーネ様を衛兵が数人掛りで押さえつけようとしますが、カロリーネ様は体術も出来ますから、衛兵をぶん投げてひっくり返してしまいます。そして更にケルゼン様を追い詰めようとする所を、もう遠慮している余裕がなくなった衛兵がカロリーネ様の腰にタックルをかまします。


「放しなさい! 無礼者! この私を誰だと思っているのですか!」


 カロリーネ様は衛兵の顔面に肘打ちを喰らわせ、手に噛み付き、蹴るわ引っ掻くわの大暴れです。衛兵を引きずるようにしてケルゼン様に迫ります。


「け〜る〜ぜ〜ん〜!」


「ぎゃぁああああ!」


 王太子殿下の絶叫が響き渡る中、エルケティア侯爵が駆け付けました。そして自分の家臣も投入して何とか殿下とカロリーネ様を引き離します。


 侯爵閣下としては、ここで致命的な狼藉に及んでしまうと本当に反逆罪になって取り返しがつかない事になると思ったのでしょう。賢明なご判断だと思います。


 カロリーネ様は十人くらい掛かりで会場から引き摺り出されて行きました。しきりに「この恨み! けして忘れませんわよ! 首を洗って待っていなさい!」なんて叫んでいましたね。その声を聞いて、私は冗談ではなく震え上がりましたよ。


 ……結局、カロリーネ様は王都を追放され、国境近くの修道院に入れられる事になりました。


 ケルゼン様の事前の根回しはしっかりしていて、国王陛下の内々の承認も得ていました。なので流石のエルケティア侯爵でも状況を覆す事が出来なかったのです。


 私はカロリーネ様が修道院送りになる前に、一度お会いしたいとエルケティア侯爵家に使者を出したのですが、侯爵家のお屋敷自体が封鎖されていて無理でした。


 結局、パーティ以来一度もお会いする事なく、カロリーネ様は修道院に行ってしまったのです。発表が無かったため、カロリーネ様が行ったのがどの修道院かまでは分からず、手紙も出せませんでした。


 カロリーネ様がいなくなって、王都の貴族界は平穏を取り戻した……。とはいきませんでした。いえ、カロリーネ様がいなくなってケルゼン様が上機嫌になり、ウィーチカ様を婚約者扱いしてお幸せそうにしているのは、カロリーネ様と親しかった私には複雑な気分でしたけど、まぁ、良いとしましょう。


 しかし、娘を追放されたエルケティア侯爵は、本当に全ての公職から退いてしまいました。一切を投げ捨てて領地のお屋敷に引きこもってしまったのです。それが願いだった反エルケティア派の皆様は快哉を叫んだ、のですが。


 考えてもみてくださいませ。昨日まで事実上の宰相職にあったエルケティア侯爵がいきなり政権から抜けたらどうなると思いますか?


 侯爵が進めていた懸案や計画は全て何も分からなくなってしまったのです。同時にエルケティア侯爵を支持する貴族も出仕を取りやめてしまいます。そこへそれまで政権から遠かった反エルケティア派の方々が来て何が出来るというのでしょう。


 あっという間に政治は麻痺しました。全ての計画は止まり、税金の徴収さえままならず、お城に納入される食料品の品目さえ分からなくなって国王陛下のお食事が出なくなる有様だったそうです。


 慌てた国王陛下はエルケティア侯爵に使者を送り、出仕を命じたのですが、侯爵は病を(仮病です)理由に断り、他のエルケティア派の貴族も帰って来ません。混乱は次第に拡大し、国境の兵達に与える給料の遅配が原因で暴動が起こったそうです。


 国王陛下は悲鳴を上げ、何とか帰って来てくれないかとエルケティア侯爵に嘆願したそうです。すると侯爵は、例の事件の時の処分を全て取り消す事と、カロリーネ様の身分と名誉の回復と、反エルケティア派の国外追放、そして途方もない額の賠償を求めたそうですね。流石はカロリーネ様のお父様。復讐は三倍返しです。


 当然ですがこれは、カロリーネ様が王太子妃に復帰する事を意味します。単なる復帰ではもちろんないでしょう。ケルゼン様は一生カロリーネ様に頭が上がらない事になると思われます。


 もちろん、ケルゼン様は大反対しましたが、王国の状況は刻一刻と悪くなる一方でした。正直、反エルケティア派の皆様がもう少しまともなら、時間を掛けてでも状況を改善出来たと思うのですが、彼らはとにかく右往左往するばかり。エルケティア侯爵が重用しなかった理由を自ら晒していましたね。


 この時点で既に国王陛下と王太子殿下は詰んでおり、エルケティア侯爵の要求が全て通るのは時間の問題でした。つまり、カロリーネ様の王都復帰は間近だったという事になります。


 ところがそのタイミングで、カロリーネ様が修道院から消えてしまった、行方不明になってしまったという知らせが王都に届いたのです。


 これによって王都は更なる大混乱に陥る事になります。エルケティア侯爵はカロリーネ様を国王陛下か王太子殿下が暗殺したのだと激怒します。国王陛下と王太子殿下はそんな事はしていない、濡れ衣だと弁明しましたが、娘を失ったエルケティア侯爵は収まりません。


 遂には侯爵は兵を集め、王都に進軍しました。資産家のエルケティア侯爵だけにそれは大軍勢で、王都は震撼しました。予算不足に喘いでいた王家に対抗する戦力を用意することなど出来ません。


 国王陛下は王都を出て、自ら頭を下げて、エルケティア侯爵の軍門に降りました。しかし、カロリーネ様を暗殺などしていないのだと必死に訴えたのだそうです。


 エルケティア侯爵は国王陛下の謝罪を受け入れる一方、王太子殿下を王都から修道院に追放してしまいました。これはもう腹いせでしょう。王家唯一の男子であるケラゼン様を修道院に入れたら王家が断絶してしまいます。多分、何年か苦労させたら王都に戻すつもりなんでしょうけど。


 あと、ウィーチカ様も修道院に送られました。こちらはまず帰って来られませんでしょう。それで済んで幸いでした。カロリーネ様がいらしたらその程度では済まなかったでしょう。


 なにしろエルケティア侯爵は反エルケティア派の皆様に斬首を命じましたからね。これには国王陛下が必死に嘆願して罪一等を減じ、財産没収、貴族身分剥奪の上で国外追放にしてもらったそうです。皆様、着のみ着のまま国境の外に追い出されたと聞いています。


 なにしろ愛娘を失ったエルケティア侯爵の怒りは凄まじく、手が付けられませんでした。こういう所は流石にカロリーネ様のお父様です。王国に独裁体制を築いた侯爵閣下は、大々的にカロリーネ様の捜索を始めました。修道院の人間を厳しく尋問した結果、どうやらカロリーネ様は暗殺されたのではなく誘拐されたようだという事が分かりました。


 何でも修道女を専門に誘拐する山賊がいるのだそうです。なんでそんなものがいるのかは私には分かりません。


 侯爵閣下は、山狩りを行い、山賊を壊滅させましたが、山賊は誘拐した修道女を直ぐに奴隷商人に売ってしまうそうで、結局カロリーネ様の行方はようとして知れなかったのです。


 侯爵閣下は嘆き悲しみ、国王陛下と王太子殿下への怒りを強くなさいました。侯爵閣下はそれから何年も国王陛下を幽閉して、事実上の国王として王国を率いて行く事になります。多分ですが、侯爵閣下のまだ小さなご嫡男が後を継げる年齢になったら、彼を王位に就けるか王太子殿下を呼び戻すか考えるのだと思います。国王位は周囲の国との兼ね合いがありますから、侯爵閣下の一存でエルケティア家が奪う訳にはいきません。


 結局見付からなかったカロリーネ様。私たちはもうお亡くなりになっているのではないか、と思って諦めていました。しかし、まぁ、あのカロリーネ様が簡単に亡くなる訳がない。いずれ復讐の為に王国に帰ってくるのでは? とも思っていました。まさか、まさかね……。


 まさかそのカロリーネ様が、まさか隣国の大帝国、レルーブ帝国の皇帝のお妃様に収まっているなんて、まったく想像もしていませんでしたよ。

 

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る