閑話 ヴェアーユ様の事  ハーシェス視点

 私はハーシェスです。ヴェアーユ様にお仕えしている奴隷です。まぁ、それを言ったらヴェアーユ様だって奴隷なんですけども。


 私は物心ついた時には奴隷になっていました。私の容姿を持つ民、黒髪黒目の民族は帝国の東の南というような所に本来は住んでいるのですが、たまに奴隷狩りがあって奴隷として帝国に連れて来られるのだそうです。私もそうして奴隷になったのだと思います。


 でも、帝国における奴隷の待遇は、実はそれほど悪くはありません。奴隷というのは言うなれば「高価な万能機械」です。なんでも言いつければ理解してやってくれるなんて、便利だと思いませんか? そうです。奴隷というのは大変便利な存在なのです。


 あまりにも便利であるために、奴隷は高価です。普通の奴隷の値段は、一般庶民の三年分の年収は軽くしますし、奴隷には十分な衣食住を与えなかればいけないと法律で決まっていますから、維持費用もかなりのものなのです。


 そんな高価な奴隷を粗略に扱うなんて出来ません。奴隷は大事にされるべき資産なのです。むしろ帝都の自由民の貧民階層の方が、食事にも事欠くような、奴隷以下の生活を送っている事など珍しくありませんね。


 ですから、子供の頃から奴隷だった私もスクスクと育ちましたよ。ただしそれは奴隷ですから、子供の頃から洗濯とか荷物運びとか色々な重労働には従事しました、ただ、私は成長するに従ってそういう重労働からは外されていきました。


 どうも私の容姿はそこそこ整っていると見做されたようで、最初の所有者は私の髪を伸ばさせ、軽い化粧をした上で奴隷商人に高値で売り飛ばしました。


 容姿の良い奴隷には需要があります。……主に娼館ですね。後は貴族が身辺に侍らせるために買い求める事もあります。いずれにせよ性的な目的での需要です。


 これも奴隷を購入して働かせるような「きちんとした」娼館は、食い詰めた一般庶民が自ら身体を売る店より上等な事が多いです。何度も言うようですが、奴隷は非常に高価なのです。ですからそんなに無茶な扱いはされないのですよ。


 ただ、私は娼館には売られませんでした。私を買い求めたのはエルムンド様という大きなお屋敷の貴族様でして、私はエルムンド様のお屋敷で礼儀作法その他の教育を仕込まれました。エルムンド様はこの頃から皇帝陛下のハーレムに送り込む女奴隷を探していたようです。私もその候補の一人だったのでしょう。


 しかし、私は結局ハーレムに入るには入りましたが、それは付き添いとしてでした。ヴェアーユ様が来たからですね。


 ヴェアーユ様は私なんかとは次元の違う美少女で、最初に見た時には驚きました。光を纏うような金髪に神秘的な緑の瞳。聖典にある大女神様の御使ではないかと思いましたね。ヴェアーユ様(この時はまだそのハーレム名ではなく本名のカロリーネ様と呼ばれていましたが)を見るなりエルムンド様がすぐさまハーレムに贈る事を決めたのも無理はありません。


 私はヴェアーユ様のお世話係に付けられました。年が近かった事と、やはりお世話係としてヴェアーユ様と一緒にハーレムに送り込む意図があったのでしょう。私以外にも数人のお世話が係が付いたのですが、結局ハーレムに伴われたのは私だけでした。


 私が選ばれたのはヴェアーユ様が私を気に入ったからでしょう。気に入ったと言うよりは、ヴェアーユ様は私以外のお世話係とはあんまり関係が良くなく、最終的には私以外の候補がいなくなったというのが正しいですかね。


 というのは、ヴェアーユ様はお世話係に好かれなかったからです。


 ヴェアーユ様は美人なのですが、あんまり笑わないタイプです。というか、愛想笑いが出来ないんですね。楽しいことがあれば笑いますし、リラックスすると表情が緩むことはあるんですよ。でも、人付き合いの為に微笑んでみせることがないのです。主人であるエルムンド様の前でもお愛想を振らないのですから良い度胸です。それに気位がバキバキに高くて、頭を下げるような真似もしません。


 そのため、なんだか意地悪な、威丈高な、嫌な女に見えてしまうのです。それで他のお世話係はヴェアーユ様を敬遠していました。


 私がヴェアーユ様に気に入られた理由は、恐らく私が無口だったからでしょうね。


 私は生まれ付きあんまりしゃべるのが上手くありませんで、自分から話し掛けるような事がまずありません。ヴェアーユ様のお側に控えていても、ヴェアーユ様が話し掛けてこなければ何時間でも黙っています。ヴェアーユ様自身も無駄な会話を好まないので、私達は二人だけでいると延々と沈黙の中に居る事が出来ます。


 ヴェアーユ様はそこが気に入ったのでしょう。超然とした態度で誤魔化していますが、ヴェアーユ様は人見知りで、人と会話するのが苦手です。急に話掛けられると緊張してしまうのが私には分かります。ですから、無口な私が気に入ったのでしょう。


 ヴェアーユ様はかなり頭が良く、教養もあり、帝国語も帝国の礼儀作法もあっという間に覚えてしまいました。帝国風のドレスを着こなすのも上手く、立ち振る舞いは元より優雅です。これなら皇帝陛下がお気に召すのは間違い無いだろうと、エルムンド様はヴェアーユ様をハーレムに私と共に送り込みました。


 ヴェアーユ様は故郷に近く、馴染んだエルムンド様のお屋敷から離れるのを嘆いていらっしゃいましたね。故郷に帰る事を密かに望んでいたのでしょう。帝都は馬車で何日も掛かる遠くにありますからね。半島の先端に築かれた巨大な都市で、それを遠くから見た私は随分驚きました。ヴェアーユさまは澄ました顔をしていましたけど、内心はどうだったのでしょうか。


 ハーレムは高い塀に囲まれた美しい宮殿で、眼下のほど近い所に海が見える素晴らしい立地でした。ヴェアーユ様は奴隷に与えるとは思えないような良いお部屋を与えられてご満悦でしたね。ヴェアーユ様はお生まれが貴族ですから、根が贅沢です。こんなに良いお部屋なのに殺風景だと仰って色々飾り付けをしていましたよ。ちなみに私も直ぐ横にお部屋を与えられました。個室です。役得です。


 ヴェアーユ様には私以外に宦官のルシャードという者が付けられました。私と同じ民族で、四十歳くらいの気の良いおじさんでしたよ。宦官というのは男では無いそうですけど。


 私のハーレムでの身分は下働きだそうですけど、結局やることはヴェアーユ様のお世話です。ただ、お部屋には水道が通っていて、井戸から水を汲む必要はありませんし、洗濯も専門部署に頼めばやってくれますし、食事も同様。掃除はルシャードの仕事です。せいぜいお茶を用意するとか、ヴェアーユ様の言い付けに応じてお使いに行くとか、後はヴェアーユ様の御髪の手入れとかお化粧とかお風呂の手伝いとか、後は着替えのお手伝いとか衣類や装飾品の管理くらいしか仕事はなかったので、エルムンド様のお屋敷にいる時より格段に仕事は楽でしたね。


 私は白いドレスを与えられましたが、これは皇帝陛下の御前に出る可能性がある下働きに与えられるもので、私は下働きの中ではかなり上位の地位を与えられた事になります。ヴェアーユ様が特別に優遇されていきなり女官から始まったので、お付きの私も引き上げられた形です。これはヴェアーユ様が有力貴族であるエルムンド様が強力に推しているシャーレだったからです。


 そしてヴェアーユ様はすぐに夫人であるクムケレメ様の側近になりました。ヴェアーユ様は面白い事に、同僚や目下の人には愛想がなさ過ぎて敬遠されるのに、上位の方にはその愛想の無さが逆に好かれるみたいなのです。実際、ヴェアーユ様は上位の三夫人には何故か可愛がられていました。同僚にあたる女官の方々はそれを見て嫉妬した事もあってヴェアーユ様を毛嫌いしていましたけど。


 夫人の側近といえば、夫人のお側にべったりと侍って夫人のご機嫌取りをするものなのですけど、ヴェアーユ様は必要以上にクムケレメ夫人に近寄りませんでしたね。ヴェアーユ様はどうもハーレムで出世をする気は無くて、上手く年季をやり過ごして国に帰る気でいたみたいです。何度か聞きましたが、お国の国王とか王太子とかに復讐するんだと言っていました。


 ヴェアーユ様は怒るともの凄く怒り狂うタイプで、特に反論をされるのがお嫌いでした。エルムンド様のお屋敷にいた頃から、付けられた奴隷が何かミスをすると遠慮無く怒鳴り付け、反論されると火が付いたように怒り狂ってその奴隷が泣くまで追求するのが常でした。これでは好かれませんよ。もちろん、私に対しての態度もそうでしたが、私は無口だから反論なんかしませんからね。ヴェアーユ様が私をお側に置き続けたのはそういう理由もあるでしょう。


 同僚や先輩の女官が嫌がらせでもしようものなら大変で、物でも隠されようものなら女官の部屋に乗り込んで戸棚から引き出しからひっくり返して無茶苦茶にし、ドレスを汚されようものなら犯人と思しき女官のドレスを全部持ち出して噴水の池に叩き込んでしまいました。後で人違いや冤罪だと分かっても謝罪もしません。私を敵視しているは間違い無いのだから相手が悪いという理屈でしたね。


 賢いし知識もあるので口げんかでは無敵で、意見が対立したシャーレを炎のような勢いで論破して泣かせている事も良くありましたね。よく聞いていると相手が正しい場合も多々ありましたよ。それを屁理屈と語彙力で無理矢理論破してしまうのです。兎に角過ちを認めないんよですね。あの方は。


 まぁ、かなりの問題シャーレでしたよ。ヴェアーユ様は。彼女を特に気に入っているクムケレメ様はヴェアーユ様が何をしでかしても面白そうに爆笑するだけでしたけど、他の夫人は大量の苦情を持ち込まれて頭を悩ましていましたね。何度か私が呼び出されて「主人の行動をなんとかするように」と言われた位です。私だってヴェアーユ様に恨まれたら大変ですから何もしませんでしたけど。


 そんなわけでヴェアーユ様はハーレムのほとんどのシャーレからハブられてしまい、いつも一人ぼっちでした。ヴェアーユ様は孤独は苦にしないタイプでしたけど、広いとはいえ閉鎖空間のハーレムで一人ぼっちだと暇を持て余してしまうようでした。それで図書室に通うようになったのですね。


 図書室には他のシャーレはまずいないというのが足げく図書室に通った理由の一つだったようです。ああ見えて人見知りですから、他のシャーレと会いたくなかったのでしょう。図書室から本を借りてきて、自由時間にはひたすら私室で本を呼んでいました。私としてはお化粧も着替えもしないで良いし、お相伴に預かってお茶を飲んでいれば良いのですから楽で良かったですけど。


 その図書館でアルタクス様と出会うわけです。


 アルタクス様は緋色の髪とアメジスト色の瞳をお持ちの、長身の美男子でした。皇帝陛下の弟殿下で、下働きの間では有名な方でしたよ。みんなして「素敵な方だ」ときゃあきゃあ騒いでいたのです。人気のある方でしたけど、寵愛されたら殺されるかも知れない(理由は誰も知りませんでした)と言われていて、シャーレはみんな近寄りませんでした。


 その殿下が図書室にいらっしゃったのですね。それでヴェアーユ様に話し掛けたのです。


 ヴェアーユ様は人見知りですし、特に男性が苦手です。アルタクス様に話しかけられても無表情で相手にしていなかったのですが、アルタクス様は闊達な方で、恐らく殿下も暇だったからでしょう。ヴェアーユ様と会うたびに塩対応にもめげずに話掛けていました。


 後で伺いましたが、アルタクス様はむしろ当時はシャーレを避けて(寵愛を与えるシャーレが出ないように)していたそうです。ですからシャーレに話し掛けるような事は普通はなさらなかったそうですが「あまりに無愛想なので逆に興味を惹かれた」と仰っていました。普通は殿下に話掛けられれば、畏れるか、逆に媚びを売ってくるかのいずれかなので、あんなに塩対応をされた事は無かったのだそうです。それはそうでしょうね。


 ですがそうしてお話をしている内に、お互いに気易い関係になったようで、お二人は図書室や庭園で語らうようになりました。ヴェアーユ様の初めてのお友達ですね。私はお二人のお側に控えてお茶を用意したり日傘を差しかけたりしていましたから、お二人の会話は聞こえていましたけど、本の内容や言語の話ばかりで甘い話はこの事は全然ありませんでしたね。


 ですけどヴェアーユ様のご機嫌は格段に良くなり、華やいだ笑顔が増えましたから、全くその気が無かった訳ではなかったようですね。ドレスやお化粧にも少しは気を遣ってアルタクス様とお会いしていました。アルタクス様の方は比較的早い段階からヴェアーユ様を女性として意識していたのではないでしょうか。ヴェアーユ様とお会いすると格段に表情がほころびましたからね。


 しかしここから変な風に状況が動きます。ヴェアーユ様が皇帝陛下から寵愛の証である指輪を頂いたのです。これにはヴェアーユ様も随分と驚いていましたね。私も驚きました。ヴェアーユ様はあんまり男には好かれなそうだと思っていましたのに、いきなりアルタクス様ばかりか皇帝陛下にまで寵愛されたというのですから。


 ですが、ヴェアーユ様が皇帝陛下の寝所に招かれたという訳ではないようで、その辺がどうにも私にはよく分かりませんでした。この事を知ったアルタクス様は真っ青な顔をしてしまいましたよ。


 寵愛の指輪は寵姫の証だそうで、ヴェアーユ様の扱いはハーレムの中でも特別なものになりました。お食事は女官までは統一されたメニューが支給されるだけ(女官と下働きにも差はありません)だったのに、ヴェアーユ様の意向通りのメニューが用意されるようになったのです。これは夫人と寵姫だけの特権です。ただ、ヴェアーユ様は好き嫌いが無く、帝国の料理がよく分からないと仰って、この特権をほとんど使用せず、統一メニューを食べていました。


 皇帝陛下がハーレムに居る時は皇帝陛下のお側に侍り、それ以外はアルタクス様とお話をするという妙な状況になりまして、この事について他のシャーレはあからさまに嫉妬していましたね。皇帝陛下と皇弟を計りに掛けるとはどういう了見だ、と怒っている者も多かったです。三夫人もいい顔はしていませんでした。皇帝陛下に望まれたなら、アルタクス様とはお別れして皇帝陛下に傅くべきだというのは、シャーレが皇帝陛下の所有物である事を考えるともっともな意見でした。


 この頃ヴェアーユ様が何を考えていたのかは分かりませんが、お二人の内どちらに心が向いているかといえば、やはりアルタクス様に向いていたと思います。会っている時間も長かったのもあると思いますけど、やはりアルタクス様の方が親密なお付き合いだったからでしょうね。皇帝陛下のお立場を考えれば仕方が無いことだったとは思いますけど。


 結局、ヴェアーユ様が選んだのはアルタクス様で、皇帝陛下を振って皇弟を選ぶという前代未聞の出来事にハーレム中は騒然としましたよ。しかし、皇帝陛下はこの事を随分と喜び、三夫人や寵姫に「ヴェアーユを責めたり罰したりしてはならない」と強く申し渡したそうです。桃色のドレスを身に纏うことになったヴェアーユ様は皇帝陛下のお迎えもしないで良いという特別な待遇になったのです。


 ヴェアーユ様とアルタクス様はそれからはもう見ていると恥ずかしいくらいのベタベタカップルになってしまいまして、毎日毎日飽きもせずもうイチャイチャイチャイチャとしていました。お側に侍る私もうんざりしましたので、遠目に見ているシャーレも皆うんざりしていたと思います。何しろ庭園を腕を組んで散歩して、時には抱き合って口付けを交わしていましたからね。女の園であるハーレムで人目も憚らずに男女でイチャイチャするというのはどういう了見なのでしょうか。


 勿論、毎日のように閨を共にしていらっしゃいます。隣室に控えて、終わった後のお世話をする私の身にもなって欲しいものです。ただ、本来はアルタクス様のお風呂や身支度はアルタクス様付きの女官か下働きの仕事なのですが、ヴェアーユ様は私すら近付けず、ご自分でアルタクス様のお世話をしていましたね。アルタクス様に他の女を近付けたくなかったのでしょう。男が苦手だったヴェアーユ様でしたのに、変われば変わるものです。


 そうしてアルタクス様とお過ごしになる内に、ヴェアーユ様の性格に少し変化がありました。私が何かお世話をしても、これまでは当然ですよ、みたいな顔をして何も仰らなかったのですが「ありがとう」などと言って下さるようになったのです。なんでしょうね。最初は驚きましたが、どうもアルタクス様がヴェアーユ様にお世話をされると大げさなほど喜び、お礼を言って下さるのが嬉しかったようですね。それで、自分にお世話をしてくれた相手にちゃんとお礼が言えるようになったようです。


 他にも他人への当たりが随分と柔らかくなり、下働きのミスを怒鳴り付けるような事もしなくなりました。特別な身分になって嫌がらせを受ける事も無くなって、ヴェアーユ様は随分と穏やかに落ち着いた方に変わって行きました。このせいか、この頃からヴェアーユ様に好意的なシャーレは少しずつ増えていきまして、私も随分とヴェアーユ様のお世話をし易くなりましたね。元々人格者であったアルタクス様のお陰でしょう。


 こんな風に段々とヴェアーユ様が穏やかになり、お二人で仲良くお過ごしになり、それを私もずっとゆっくりとお世話出来たら良いな、と思い始めた矢先、なんと皇帝陛下が崩御なさりアルタクス様が皇帝陛下に即位なさったという大事件が起こったわけですね。

 

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