優先順位


窓ガラスの向こうには、どんよりとした雲が青天を喰らっている。

時折隙間が鋭く光り、遅れて地響きのような音が聞こえて来た。



USBメモリに残っていた、加宮嶺衣奈の日記。

朝早く羅観香からニューワンスタープロダクション本社に呼ばれた智彦と上村は、それが印刷されたコピー用紙を読み、唸っていた。

目の前では、星社長と羅観香が、緊張感を持ち二人を凝視している。


「愛が深い」

「それよりも、大事な事が書かれていませんな」


二人とも、男としては聞きたい部分があった。

だがそこは自制して、別の観点での感想を漏らす。


「上村君の言う通り、とんでもない事は書いてあったんだが……な。大事な部分が無いんだ」

「あの時見たファイルの最終更新日は嶺衣奈が死ぬ前だったから、誰かが消したって事もないと思うの」


枕営業の部分はともかく。

結局は、嶺衣奈の死に関係あるような事が書かれていないのだ。


「でも、嶺衣奈は、絶対に自殺してない、ってのは解った、かな」


複雑そうな羅観香の表情に、三人は頷いた。

残された文章には、彼女が自ら命を絶つような要素は見当たらなかった。

むしろ、羅観香のマネージャーに成るという将来を見据えていた。


自殺の現場とされている、テレビ局の屋上。

彼女は夜景を取りに行った際、何かトラブルに巻き込まれたのだろう。


「推測はできるんだ。嶺衣奈を脅してた奴や、その・・・接点があった連中と何らかのトラブルがあり、あの夜屋上で事故が起きた、とな」


星社長は陰鬱な表情を浮かべ、しかし、と続ける。


「推測だけで、事実が解らない。羅観香に仕事を回してきた奴らも、知らぬ存ぜぬを決め込むだろう」



沈黙。

誰も何も話せないまま、室内に冷房の音だけが響く。

雷鳴の音はすっかり遠くなり、智彦が窓の方に目を向けると、青い空が広がり始めていた。


「……あ、そういえば」


ふと、何かを思い出した智彦は腰を浮かせ、向かいに座る羅観香の肩の上へと、手を伸ばす。

羅観香は驚くが、短い期間ながらも培った智彦への信頼より、何も言わない。

首を傾げブツブツ何かを漏らした後、羅観香の背後に、異変が生じた。


「……嶺衣奈!?」

「え?……嶺衣奈ぁ!」


智彦が手を触れた場所を起点とし。

常に羅観香の後ろにいた嶺衣奈が、ぼんやりどころかくっきりと存在し始めたのだ。


「なるほど!昨日のあの老婆の言葉を参考にしたわけですな!」

「うん、霊力云々言ってたから、もしかしたら俺もできるかなって。よかった、成功した」


自らの中に生まれた異能……霊力っぽい力を、智彦はこの瞬間、モノにした。

昨日の老婆の使役していた霊のように、霊力の注がれた嶺衣奈は、視覚化され、触ることもできる。


「あ、ぁぁぁ!嶺衣奈!嶺衣奈ぁぁ!私、あんな事、求めてなかったのに!バカぁ!」


二人の会話の最中も、羅観香と星社長は涙を流しながら、嶺衣奈を抱きしめる。

だが、嶺衣奈は無反応だ。

羅美香へと、ずっと深い眼差しを向けているだけだ。


「……やっぱ自我は目覚めない、か。ごめんね羅観香さん」

「ううん!いいの!嶺衣奈がずっと一緒にいたんだってはっきりわかったから!ありがとう!」


智彦は自身の霊力は高い方だ、と自覚していた。

そして、それを注ぎ込む事で嶺衣奈がまるで生き帰るように自我を取り戻すと、思っていた。

だが、残念ながら、そう都合よくは行かなかったようだ。


「……半信半疑ではあったが、どうやら信じざるを得ないようだ。八俣君、今までの無礼を済まない」

「いえ、もっと早くこうできてればよかったんですが。昨日方法を知ったもので……」


智彦が嶺衣奈から手を離すと、徐々にぼんやりとなり、消えた。


「ふむ、充電みたいな事もできないみたいですぞ」

「なかなかうまく行かないもんだね」


上村と智彦は落胆するが、羅観香の目に、強い光が芽生える。


「社長、私決めた!嶺衣奈が一緒にいるんだもん、3週間後のライブに集中する!」

「いいのか?まだ嶺衣奈について何も進展が……」

「そりゃ真実や犯人は気になります。でも、嶺衣奈はずっと私の為に、暴走はしてたけど、してくれてました」

「……犯人などはとりあえず置いておく、って事か?」

「はい!嶺衣奈との約束……一緒にライブするってのを、まずは叶えたいと思います!」


智彦達としては、嶺衣奈の件が全く進んでいない、むしろ複雑化した事に、不安を抱いてはいる。

だがそれでも、嶺衣奈との約束を優先する羅観香の姿勢を、前向きと評した。


(死人との過去に思いを馳せても事は発展しない、ならば死人の為に何かするのは、良い事だ)


死人にしがみ付きそのまま取り込まれた存在を、智彦は多く見てきた。

故に、羅観香の決心は嶺衣奈の魂を癒すはずだと、考える。



「あっ、そうだ!八俣君、ちょっと見てて!」



羅観香はそのまま立ち上がり、ファストフード店で聴いた歌を口ずさみながら、機微にステップを踏む。

茜色の髪が弾み、朱色の軌跡を残した。


「嶺衣奈はどうかな?一緒に踊ってくれた?」

「うん、羅観香さんと一緒に歌いながら、体をずらして踊ってたよ」


これには智彦も驚いた。

嶺衣奈が、羅観香の後ろから右側へと移動し、対照的なステップを踏んだのだ。

茜色とあさぎ色……赤と青の対比は、智彦の網膜を躍動感で染め上げた。


「えへへ、なら、嶺衣奈と一緒にライブできるんだ!うれしいなぁ」


他人どころか、自分自身にも嶺衣奈は見えないのに。

それでも嶺衣奈とステージに立てることを喜んでいる羅観香を、智彦はいじらしいと感じてしまう。


「あ、ライブの件をマネージャーにも伝えないと!社長、ちょっと行ってきますね!あとやま……智彦君!謙介君!ありがとう!またメールする!」


まるで台風のように元気をばら撒き去っていく羅観香。

男二人は呆気にとられながらも、なんとなくパワーを分けて貰った気がして苦笑いを浮かべた。

それは星社長も同じようで、台風が収まった途端に笑い出す。


「正直ライブが近いので、色々と焦ってはいた所だったんだ。君たちのおかげで何とかなりそうだ」

「だが、良いのですかな?さっきも仰ってましたが、嶺衣奈氏の事がまったく解決してませんぞ?」

「勿論放置はしないが嶺衣奈の件については、時間をかけるしか手がない。局の奴らも関わっているだろうしな。……あぁ、それと」


二人の向かいのイスに座り、星社長が軽く息を吐いた。


「羅観香の歌に混ざった嶺衣奈のゆるさない、って声だがね。番組に携わっていた連中の仕業だったよ。まったくふざけた事を……。詰め寄ったらおかげで認知度が上がっただろうと開き直ってな」

「……えと、大丈夫なんですかな?そんな大事な事を自分達に」

「君達のことはもはや部外者だとは思ってないよ。……あいつ等の事だ、なおも嶺衣奈を辱める行為を続ける可能性が」

「あ、それはたぶん大丈夫です。その人達が頼りにしてる裏の人、もういませんから」


まるで「蚊が五月蠅かったから殺した」かのような、軽い声。

智彦はそういうつもりは勿論無かったのだが、星社長が戦慄を覚えるのには十分だった。

上村に限っては、ひきつった笑みを浮かべている。


「あの後調べたが、南部梅花、って言う裏の業界ではそれなりな手練れ、なんだが?」

「の割には、幽霊を怪奇現象に見せかけるのに使ったり、仕事がせこいですぞ?」

「楽なアルバイトと言う認識だったんじゃないかな。ですが、これで不用意に手出しはしてこないと思いますよ」


あの老婆が手練れと言うなら、連絡がつかなくなった事を不安に思うはずだ。

つまり、下手に手を出すと火傷では済まない……と認識してくれるはずだ、と智彦は考える。

とは言え、どの道USBメモリには全く情報が無かったので、もし行動に移したとしても骨折り損になるだけなのだが。


智彦がUSBメモリを持ってると思い、老婆が出て来た。

ここから導き出される答えは、嶺衣奈の死には、番組関係者が関係している可能性が高くなったという事だ。

星社長もそれに気付き、憂鬱気な表情を作り出した。

恐らくすぐにでも行動したいのだろうが、下手に番組関係者の罪を暴くと、羅観香のライブが無くなってしまう可能性が高い。

その辺りのジレンマが、彼女の顔を歪めている状態だ。


今日は、邪魔をしないでおこう。

そう思い、智彦は上村と目配せをし立ち上がった……、のだが。


「智彦くーん!謙介くーん!」



「うーわびっくりした」

「ですぞ!」



大きなと声と共に、扉が開く。

星社長は慣れてはいるようだが、二人の心臓は跳ね上がって大変だ。


「ねぇ!さっき智彦君がしたみたいにさ、嶺衣奈の姿を皆に見せる事できないかな?」

「ふむ?ライブの客に嶺衣奈氏を見せたいのですな?」

「そうなの!一緒に居るのを見せたらさ、嶺衣奈が私を恨んでるなんて下らない噂吹き飛ぶよね?何か良いアイディア無いかな?」


無茶を言う。

そう思うも、羅観香の気持ちはわかるので、二人は何とか知恵を出そうと腕を組んだ。


「俺がずっと嶺衣奈さんに霊力を注ぐわけにはいかないしなぁ」

「トーク部分とかならともかく、一緒に踊るのは厳しそうですぞ」


だが、ライブにて羅観香と共に歌って踊る嶺衣奈の霊を第三者に見せる手段。

こんな無理難題に、二人は知恵熱寸前まで頭を回転させる。


「羅観香、嶺衣奈のアバターを作り、スクリーンのみに映すのはどうだ?歌は今まで取った嶺衣奈の声を……」

「それじゃダメなんです、社長。偽物じゃ、ダメ、なの!」


霊が本物の嶺衣奈かと言われれば疑問だが、やはり羅観香の気持ちは解ってしまう。

何か、無いだろうか。

何か。

4人は言葉を放棄し、思案の海へと飛び込み始めた。


「ふぅむ、アバターじゃなく、嶺衣奈氏の霊がスクリーンに映る手段があれば」

「……あっ。それなら何とかなるかも知れない」


上村の言葉に、智彦が頭を上げた。

他三人が、期待の目を向ける。



「メモ借りますね。……えっと、皆。こんな感じの制服の学校、知らないかな?」



なのに智彦は、絵心が無いという弱点を露わにしただけだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る