第111話 外伝「この胸の炎」1

 このところ毎日、我らが太陽神殿の主は街の西向こうにある古神殿にお出かけだ。

 そこには、この国のお姫様がいらっしゃる。10年前、そのお姫様と神官様は相思相愛だったらしい。

 仲間みんなが大盛り上がりなんでいちおう話を合わせちゃいるが、ほんというと、俺が気になるのはこの神殿がどうなるかってことだ。

 神官様はルネ・ド・ヴジョー伯爵様といって、この大陸でも有数の名門貴族のお生まれだ。そこに、隣のモーリア王国から王女を嫁にもらわないかっていう話がきた。

 なにせ、仰々しいナリをした宰相閣下がお出ましになってのお指図だ。

 ここにいる奴らはみんな揃いもそろって世間知らずっつうか、我らが神官様の立場ってものを考えちゃあいない。

 エリゼ公国の未来がかかってるのに。

 俺だって、本音をいえば神官様には幸福になってもらいたい。

 だが、そうはうまくいかないのが世の中だってことくらい、俺はちゃあんとわかってる。

 好きあってるからって、結婚できる貴族なんているわきゃない。

 言ったが最後、エミールあたりに目ン玉ひんむいて反論されっからいわないけどな。

 子爵家のお坊ちゃんは、世の中のイイとこしか見てねえんだよ。

 そんなわけで俺がひとりむしゃくしゃして菜園の草をむしってるところへ、この神殿でいちばん年長のニコラが足を引きずりながらやってきた。

「どうした、ジャン。さいきん苛々しているようだが、気になることがあるんだろう」

 単刀直入に決め付けるところがニコラらしい。歳は40と、おれの倍近くになる。この男は、かつては神官様の父上の従者であったらしい。つまり、元は貴族っつうことだ。そんな高い身分じゃないといってたが、帯剣が許されるってのは立派なもんだ。足が悪いのは野盗と戦った名誉の負傷というやつで、身体つきは頑丈だ。長衣から突き出た腕なんか、俺の太ももくらいありそうだ。

 だが、背は俺のほうが高い。腰をあげると俺より下になった赤ら顔を見おろすと、ぎょろっとした薄青の目に見据えられた。

「神官様がモーリア王国の王女様と結婚されたら、この神殿はどうなるんすか? そしたら今までのようにこの神殿にお住まいになられないでしょう? 神官様がいなくて、どうなるんですか?」

「なんだ、そんなことを心配してるのか」

「大事なことでしょうが」

 俺が声をあげると、ひょいと分厚い肩をすくめ、

「おまえが神官になればいいだけだ」

「俺は、資格を剥奪された身分ですよ」

「伯爵様がひとこと帝都の大神官様にお願いすれば、そんなのすぐに取り下げられるさ。おまえの覚悟が決まらんだけだろう? もういい加減、その女と、他でもない自分のことを許してやれ」

「俺はっ」

 声を荒げた俺の腹を固めた拳で突く真似をして、ニコラは下から顔をのぞきこんできた。

「自分のことを許したというなら、なんで作男なぞに甘んじてる? おれは、おまえがここの神官に無事おさまってくれれば、伯爵様がこの国の政に携わることができて安心だがな」

「……あんたも、あの方がこの国のお姫様と結婚すると思うほうか?」

 俺がわざと話をずらしたことを察した顔で、ニコラが苦笑した。

「いや、それはわからんさ。だがな、どちらに転んでも、あの方はこのちっぽけな神殿の炎を守るだけでは勿体無いお方だ」

「俺は違うと?」

「おまえは志があって神官職を目指したんだろうに。神童と呼ばれて帝都へ赴いたくせに、なに言ってるんだか」

 このオヤジ、厭なことを思い出させてくれるぜ。

「そんなの、二十歳すぎりゃただの人でしょ?」

「あと一年あるじゃないか。神官はただびとと違い、ひとを導く立派な身分だぞ?」

「俺は、あのちんけな村から出たかった。野心があっただけですよ」

「今も、あるか?」

 ニコラの問いに、自問していた。

 俺は、いまの大神官様が14歳で神官資格をとったのと同じだけの速さで出世した。

 ちなみに、太陽神殿の神官資格は試験に通れば誰でも取れる。10代で教義をおさめ終わる人間も極少数ではあるが、いる。寝る間も惜しんでガリガリやれば、どうにかなるもんだ。ただし、その後、神殿を任されるか否かは人間性がものをいう。身分はたしかに有利に働く。だが、俺のような農民出でも、あからさまに待遇を変えられることはない。だからこそ、俺は、太陽神殿に勤めようと思った。

 正直、この国の守護神である死の女神の神殿は、貴族のほうが圧倒的に有利だ。そんななかで努力したってしょうがないと思っていた。もっといえば、そんな腑抜けたところにいるやつらは愚かだと呆れた。

 ところが、そう思っていたくせに俺は貴族の娘との結婚に憧れ、その好機をつかんだと思ったとたん、その娘に捨てられた。

 14歳のときだ。

 その結婚で、俺は貴族の家の養子に入れるはずだったが、娘にふられて何もかもを失った。俺は自棄をおこして聖なる炎の番を怠った。

 最悪なことにその不始末は大神官様の耳に入り、俺は取ったばかりの神官資格と、見習い資格まで剥奪され故国に帰された。

「自分でも、なんで農夫に戻らなかったのかと思うことはありますよ」

 手についた薬草の香りに気をとられたふりで、それだけ口にした。

 給金は返せといわれなかったから、自分の生まれた村に帰って、少し大きな土地でも借りればよかったとも思う。そうすりゃあ、去年なくなったお袋だって、もう少し楽をできたにちがいない。

 俺なんかに目をかけて帝都まで行かせてくれた領主様は、俺の嘘をそのまま信じた。勉学したがモノにならなかったと聞いて落胆はされたが、叱らなかった。田舎で神童と呼ばれた少年が、帝都学士院で潰れていくことは珍しくはない。

 あんな田舎じゃ帝都なんて地の果てほども遠いし、この神殿の人間が話さない限り、俺の嘘はばれっこない。この神殿の奴らはみな神官様に似て、そういうところでひとを貶めるような真似をしなかった。それが居心地よくて、ここに居座った。

 それでも、領主様は、俺がいつか自分の領地に小さな神殿を設けてくれるものと信じていた。なんつうか、ほんと田舎領主らしく善良なお方なのだ。

 俺はただ、あの方の希望を挫くのが嫌で、かといってそのための努力もせず、ここでのうのうと暮らしていた。

「ジャン、おれはさ、エミールがおまえに癇癪おこす前に、おまえ自身がもうちょっと頑張ってくれりゃあ、おれの仕事も楽になって有り難いと思ってるがな」

「あんたに楽させるのはまだまだ早いでしょ」

 憎まれ口をたたくと、みぞおちをズンと小突かれた。

「いてっ、乱暴はよしてくださいって」

「五体満足の若いもんが何いってるか。エミールの健気さを少しは見習えよ」

「あいつは真面目だから」

「おまえだって、まじめだったから神官資格を取れたんだろ? それは立派だが、女にふられたくらいで何年もいじいじしてちゃ、伯爵様を笑えんだろ?」

「俺、べつに神官様を笑ってなんていませんよ。畏れ多い」

「嘘つけ。おまえは自分のことばっかりで、伯爵様のおこころを慮ってなんていないよ」

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