第110話 外伝「神官さまの恋」

 ちかごろの神官さまはまったく元気がありません。

 僕の知るかぎり、太陽神殿の神官であらせられるルネ・ド・ヴジョー伯爵は、めったなことではため息などつかない方でした。

 少なくとも、僕が見習いとしてこの神殿に寝起きするようになってこの三年、あんなに苦しそうなお顔をされるのを見たことがなかったと思います。

 表向きはいつものように振る舞っておいでですが、僕たちに気を遣い、こっそりと人目にたたないところで吐息をついているお姿には、暗澹たる気持ちになります。

 そんなときは、光り輝くような純白の式服でさえ、心なしか灰色がかって見えるのです。

 火の消えたよう……とはまさにこういう時につかう言葉かと、聖なる炎を見守りながら、僕もうっかり肩を落としてしまいました。

 もしかすると、なにか重いご病気に罹っているのではないでしょうか。

 神官さまは医術の心得がおありですから、さしでがましいことをいうのは控えていましたが、あの冴えないお顔の色といい悩ましげなそぞろ歩き、あまりお眠りになっていらっしゃらないご様子の何もかも、ただ事ではないに違いありません。

 とうとう我慢できず声をおかけしようとしたところ、作男のジャンに腕をつかまれて止められました。そのまま回廊のはしまで引きずられ、柱の影で僕は懇々と説教されました。

 いわく――


 馬鹿かお前、黒死病だって避けて通るあの方が病気なわけあるものか。

 ありゃあ、病はやまいでも、恋の病ってやつだ。

 見りゃあ、わかるだろ?

 え、わからなかった? お前ってやつはしょうがねえなあ。

 なあエミール、本ばっか読んでねえで、すこしは俗世のことも勉強しろや。

 10年前に事情があってお別れしたお姫様がこの街に戻ってこられたんだよ。それは知ってるだろ?


 世事に疎いと自覚する僕でも、さすがにそれは知っていました。

 なんでも皇帝陛下の一番の寵姫でいらしたくらい才長けて美しい方だそうでございます。それなのに、今は男装をなさっておいでだとか。

 奇矯なお振る舞いとは思いますが、神官さまがよろしいのなら、僕は取り立てて気にとめません。人間大事なのは中身だと、僕は思っていますので。

 それから、ジャンは僕の知らなかったことも教えてくれました。

 神官さまが結婚していたこと。

 そしてすぐに奥方と死に別れたこと。

 近ごろ毎日お姫様に会いたいと使いを出していることなどです。

 ジャンは四つ年上の19歳、僕より2年はやくこの神殿に入った男です。

 僕がこの神殿でいちばん若輩者のせいなのか、年齢が近いなのか、何かと面倒をみてくれるのはとてもありがたく思っています。

 でも、ときに不必要と思われる下世話なことまで耳に入れようとするのには閉口しているのです。もちろん、たった5人しか人間のいない神殿のなかのことですから、波風はたたせたくはありません。だからいつもは頷くだけにとどめます。

 彼は作男といっても僕と同じ神官見習いの資格をもっているようです。ひととおりの教義はおさめているらしく、たまに神官さまに意見を聞かれることがあります。

 僕にはそれが羨ましいのです。しかも、こういう時にここぞとばかりに馬鹿者扱いしてくるのも、少々癇にさわります。

 僕は温和な性格ですし、年配者のいうことには従うつもりですが、せっかく神官さまに認められているのに精進しようとしない彼が腹立たしくもあるのです。

 僕のそんな気持ちも知らず、ジャンがしたり顔でつづけました。

「お姫様から色よい返事がないんだよ。たぶん、もうダメなんだろうさ。

 そうとあっては心安くなれるわけがねえよなあ。そこを察して遠巻きにそっとしてさしあげるのが、俺たちの役目だと思わねえか?」

 たしかにそうかもしれません。

 それでも僕は、ジャンへの常々の不満や反発もあって、頷きたくありませんでした。

 それより何より神官さまの憂いようが気がかりで、何かできることはないかと考えを巡らしたのです。

「ジャン、今の神官さまに必要なのは冷淡な優しさより、熱烈な応援の姿勢ではないでしょうか?」

 ジャンの濃い眉がぴくりとあがりました。

「古来、恋する者の宿痾を癒せるのは唯その恋人の心と決まっています。僕は神官さまに元気になっていただきたいので、使いではなく、ご自身が足を運ばれるほうが早く結果が出て宜しいとお伝えしてきます」

「お、おいっ、待てよ、エミール!」

「なんですか?」

「なんでお前、そんなに自信満々なんだよ?」

「この手は『恋愛作法』という本に書いてあります」

 ジャンが呆れ顔で、お前、ほんっとに本の虫だよなあと肩をすくめました。

 僕も自分でそう思います。

「だがなエミール、恋愛っつうのはそうそう本の通りにはいかねえんじゃないか?」

 今度のジャンの懐疑は、僕にもまっとうなものに思われました。

「そうですね。それでも僕は、神官さまに諦めてほしくはないです。それに、我らが神官さまほど素晴らしい男性を袖にするご婦人がいるとは思えません」

 僕のその言葉には、ジャンも珍しく同意してくれました。

 そして、神官さまが自由に出歩けるよう、仕事をみんなで手分けしようといってくれたのです。


 僕の応援の効果でしょうか、それから数日後、無事、神官さまはそのお姫様にお会いできたようです(自惚れすぎではない証拠に、神官さまは僕にわざわざ御礼をいってくださったのです!)。

 といって、太陽神殿が明るくなったわけではありません。

 神官さまは前よりもっとお辛い顔をされるような、うきうきされているような……大層複雑なごようすでおいでです。

 お顔を拝見できたら拝見できたで、また悩みも深くなるのだとジャンがいいました。

 難しいことです。

 正直なところ、あんなに大変そうなら恋なんて一生しなくてもいいと僕は思うのですが、そう口にしたとたん、神殿のものが一斉に声をそろえて、それは違うと述べました。

いつもはなんのかんのと意見を違えることが多いのに、なんとまあ、このことに関しては気が合うことです。

 そんなわけで、近ごろは皆が一致団結しています。


 一日も早く神官さまの恋が成就するよう、僕たちは毎日お祈りしています。


 終

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