第112話 外伝「この胸の炎」2
さしもの俺もその言い振りにはとさかにきて反抗した。
「俺だって、神官様がこの国のお姫様と結婚できたらいいと思ってますよ」
「そう。できたらいい、それがおまえの本心だ。おまえの心配はこの神殿がどうなるかで、またはこの国がどうなるかだ」
「なっ、だ、だってそりゃ」
「勘違いするな。おれはそれを責めてるんじゃないさ。上つ方の立場は庶民と違うことくらい、おれもよく知っている。だが、それはあの方の人生を自分たちの平和のために犠牲にしてくれと願っていることだと、一度でも考えたことがあるか?」
「……貴族なら、あたりまえのことじゃないですか」
俺の不貞腐れたこたえに、ニコラがうなずいた。
「そうだな」
「ニコラ」
「なあジャン、おまえ、本当になんでここにいる」
「なっ、そんなに俺が邪魔ですかっ!?」
「そういうことではないよ」
ニコラの声はそのままで、血がかああっと耳の後ろにのぼるのを感じた。
「おまえが苛々してるのは、この国の先の状況が読めないからじゃなくて、伯爵様の恋の行方が気になるからでもなくて、おまえ自身の問題だと思うぞ」
「……誰だって、そうじゃないんですか? そんな、広い視野で、目的もって、高い志で、そんなふうに生きてる人間ばっかじゃないでしょう」
「それはそうだ。だがな、おまえは、おまえ自身がどうなのかは、おまえしか、決められないんだよ。おまえがどうなりたいかは、おまえにしかわからない。
おれが決めてやれればいいが、そういうわけにはいかないんだ。わかるか?」
それは、わからなくはなかった。
俺がイライラしているのは、自分の将来がわからないからだ。ここで一生暮らしてもいけるが、俺はたぶん、それでは満足できないのだろう。
俺は、あの村に、小さな神殿を建てたいと思っていたはずだ。
帝都に送り出してくれた領主様は、お若いころたった一週間、帝都に滞在されたときのことが忘れられず、太陽神殿で歓待された思い出を、羊皮紙に描かれた麗しい絵のように大事にされていた。俺は、普段あの方が胸の奥にしまっておいでの宝物を惜しげもなく見せてもらった子供で、あの方の見た、夜闇を明るく照らす炎の揺らめきを胸のうちに燈していたはずだ。
だが、俺はあの方が何よりも大切にされた炎を蔑ろにした。
そのことを、あの方にどうしても口に出せなかった。
それに、俺をふった女は、こちらの野心に気がついていた。貴族に生まれたのに、17歳になってもまだ結婚の見込みのたたなかった娘の焦りに、俺はつけこんだ。
直前になって断ってきたあの娘の判断は、正しかったとしかいいようがない……。
薄情なもので、もう、あの女の顔も忘れていた。そんな相手のことを許すも何もない。
そう、俺は、こずるくて嘘つきな自分を許せなくて、かといって己を心底省みず、ただイライラと、資格試験の勉強中のエミールを茶化したりして日々すごしている。
そしてニコラは、ずっと黙り通しの俺を、何も言わず見守ってくれていた。
それに気づき、少なくとも、自分はいい仲間をもったと認めることにした。
この男に、ここを追い出されるのは御免だ。
そう思ったとたん、ついと言葉が口をでた。
「資格試験受けなおすよ。あんたを楽にさせる気はないが、甘ったれのエミールに遅れをとるのも何なんでね」
「エミールは甘ったれか?」
「あいつなんて、蝋燭代を気にせずいつでも本が読めて家庭教師付で学んだ子爵のお坊ちゃんじゃねえか。んなの、出来て当たり前ですよ」
「おまえ、ほんと、他人に厳しいなあ」
ニコラが感心したようにこちらを仰いだ。褒め言葉だと受け取って、俺も笑う。
「俺の知る大神官様もひとに容赦なくて、そのうえ根性ひん曲がってましたよ」
「ま、うちの伯爵様もあれで実は大いに捻くれているところもあるからな。偉くなる人間ってやつはそんなもんだ」
ふたりして顔を見合わせて、吹き出した。
エミールが神官資格試験を受けに帝都にのぼると言い出す前に、俺がさきに受かってやる。あいつのことだ、あの白い顔を真っ赤にしてあわてるに違いない。
いや、もしかすると、そんなことくらい実はお見通しってやつかもしれない。
あれで、あいつはちゃんとひとのことを気にかける余裕がある。そこが、お貴族様ってやつかもしれんが、意外と器量がでかいんだ。
ま、本人の前じゃ、口が裂けてもそんなこといわねえけどな。
神官様のご結婚相手がこの国のお姫様か、それともよその国のお姫様か、そのどちらになるのかわからない。だが、どっちにしろ、神官様がこの神殿を出て行かれることになる準備はしておいて損はない。
俺は、さっそく図書室に向かうことにした。
やるとなったら負けるのはナシだ。
そう思ったら、ひさしぶりに祭壇の炎が見たくなった。だが、いまはエミールが火の守りをしている。瞑想の邪魔をしちゃあ悪いので、それは遠慮した。
人間に、炎をもたらしてくれた太陽神。
獣とひとを分ける炎。
それは、智慧の明かりであり、恐ろしい死の闇からひとを隔て守るものでもある。
俺たちは、その聖なる炎を守っている。
いつか、あの炎を故郷の村に持ち帰る。
俺は、胸の奥で燃えつづける炎の熱に、そっと息を吐いた。
この熱がある限り、自分は大丈夫だと信じて。
終
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