第16話 エリス姫、「悪女の深情け」との誹りを受ける

 その日、朝からおれは機嫌が悪かった。

 ――エリス、いい子にしてれば誰かが助けてくれるなんて、そんな甘いことを考えてちゃ生きてけないよ――

 大叔母様、いや、この場合は大教母と呼ぶほうが正しかろう人物に、こっぴどく叱りつけられた夢をみたせいだ。

 大教母には、今のおれの生きかたが我慢ならないらしい。つまりは、我慢なぞする奴は愚か者だと罵られ、欲しいものは奪えというので、危うくそそのかされそうになって飛び起きた。

 その言い種が誰かに似ていると思ったら、皇帝陛下のものいいだ。

 亀の甲より年の功とはよく言ったものだ。

 おれは、ルネにまだ話していないことがある。

 おれが行くのはレント共和国だけではない。

 商用でなく、あちらの神殿からの要請だった。

 その旨を、ゾイゼ宰相自ら足を運んで伝えてきた。

 ゾイゼはぞろぞろ共を引き連れて歩くことを良しとせず、そういうときはそこらの神官職ほどの身軽さでやってきた。逆にいえば、ゾイゼ宰相が威儀を正してこないときは、かえって面倒ごとだとわかるのだ。

 ちかごろ、他国の《死の女神》の神殿に迫害の兆しがある。

 モーリア王国の騎士たちが神殿に押し入り、そこにつとめる若いむすめを魔女と蔑み攫っていこうとしたそうだ。神殿騎士たちがそれを防ぎことなきを得たが、それはただの劫略でなく、モーリア王のことばに意を得た《死の女神》を貶めての行為だった。

 もともとレント共和国は太陽神でもなく死の女神でもない、商いの神の信徒が多い土地だ。その光と闇は拮抗している。ただし、商いの神の生みの母はやはり《死の女神》であり、それが汚されることを嫌う気持ちは強い。

 おれは宰相ゾイゼに、モーリア王に嫁ぐよりもレント共和国と結ぶほうがよろしかろうと話をした。

 兄のオルフェが帝国の姫と結び、

 ヴジョー伯たるルネがモーリア王国の王女を得る。

 ならば、おれがレント共和国と通じるほうが三方に円くおさまると説明すると、ゾイゼは笑った。

 貴族とはいえ、数年おきに国家の頭がすげかわる共和国とどうやって通じるつもりかと問うので、おれはこたえた。

 あの国に大神殿を建てる。

 ゾイゼは顔色をかえておれを凝視し、その後すぐにかぶりをふって述べた。

 葬祭長、それは無理だ。黒死病の嵐はあの国にも吹き荒れたのです。それだけの体力はありますまい。

 おれは、それに反論した。

 実際に建造できなくともかまわない。女神の教えを説いて諸国を勧進してまわることこそが、肝要だ。

 諸国と申しますと?

 せっかくだから大陸の端から端まで歩いてやるかと思っている。先代の大教母の果たせなかった夢をおれが継いでも悪くなかろう?

 大教母ということばに、ゾイゼはしばらく考えこんだ。それから、たしかに黄金宮殿で各国大使とよしみを通じた貴女なら可能でしょうと返し、平らかな顔を顰めて問うてきた。

 ですが、生きて戻ってこられますか?

 おれはそれを聞いて微笑んだ。黒髪に闇色の目をして生まれたくせに、おれはひとの生死を見定める能力のない人間で、神の御業を真似ることは不遜だと感じた。

 ゾイゼもその気持ちをたしかに汲んだ。彼はのっぺりとした顔を撫で、私は死の女神の信徒にあるまじきことを口にしたようですなと苦笑した。

 それから数刻もたたず、おれのレント共和国いきは確定した。

 別れ際、ゾイゼは振り返った。

 ヴジョー伯爵はどうするおつもりで?

 おれは肩をすくめた。

 さきほどの問いと違い、おれにこたえはなかった。

 ゾイゼはそうしたおれの気弱さを哂った。

 葬祭長、我々女神の信徒はあの方への借りがある。あの混乱のとき、伯爵が我らの神殿の前に幾人の遺骸を運び、葬儀を執り行うこともままならぬ我らにどれほど手を貸してくれたか、貴女はご存じない。

 おれは苛々と腕組みして、そのくらいのことは知っている、だからそれがどうしたのだと頤をそらして言い返した。するとゾイゼはにやりと笑い、続けた。

 どうもこうもしませんが、ああいう人物はどうにもこうにも扱いづらいので遺恨なきよう慎重な行動をしてくださいとお願いしているのですよ。

 おれは短慮で行動することはないぞと反駁するつもりが諦めた。今朝の夢が祟っていた。ゾイゼはおれがうつむいたのを勘ぐった。

 葬祭長、伯爵の件はともかく、こちらは団長のアランにいって生え抜きの神殿騎士を用意します。ですが、レント共和国の国境沿いは、街道にもモーリア王国からの逃亡農民が屯して追いはぎと化しているようですから、くれぐれもお気をつけて。

 ゾイゼはまるで父親のようなことばをかけて、帰っていった。

 はなしの途中、このおれを干したくせにと軽い調子で罵ると、分厚い掌で汗をぬぐうようなそぶりをして、この世の半分は女性だとおっしゃったのは貴女でしょうと応酬された。

 おれは宰相閣下を嘲笑い、その不明を正してやった。

 それはおれがいった言葉ではないよ、大教母の口癖だ。

 ゾイゼははっとして、おれの顔をまじまじと見つめ、そうでしたな、と肩をおとした。亡きひとへの想いをつかのま共有し、それからおれたちは地図を広げて喧々諤々はなしあった。

 皇帝陛下のような派手な韜晦のない分、ゾイゼとの会話は進みが速かった。

 そして、この土地の神殿機構の隅からすみまで掌握している男はまた決断も早く、正式な宣旨もすぐ下された。

 さすがのおれも舌を巻いた。

 ゾイゼはおれの賛嘆をすなおに受けて、今までの神殿は何事も大仰にすぎましたよ、と笑ってみせた。

 おれは同意して、事後を託した。

 そうしておれが大教母と皇帝陛下の教えに従う気になったのは、やはりこの先、自分が無事でいる可能性を考えたからだ。

 アレクサンドラ姫を呼び寄せてルネの許に行くよう頼んだところ、あのむすめは可愛らしい口を尖らせてから、おれに吼えた。

 エリスってほんと性悪だよね。

 ほめ言葉と受け取っておく。

 あんなに邪険に追い払って、よその女と結婚するとなったら呼び出すなんて。そういうの、悪女の深情けっていうらしいよ。

 ああそうだ。おれは別れた日の神を追い回し、夕には捕まえて呑み込む貪欲な《死の女神》の娘だからな。

 サンドラは肩をすくめて認めたが、おれは正直、己の未練がましさを恨んでいた。

 来てほしいと息ができなくなるほど願いながら、来ないでほしいとも思っていた。

 ルネを呼び出してどうするつもりなのか、おれは考えられなかった。

 いや、幾度も考えて、そうした己の欲望に辟易した。おれはもしかするとただ恨みをはらしたいと思っているのかもしれぬとまで思いつめた。

 十年前、おれを帝都へ送るさいに何の約束もしなかったあの男の、類稀な「誠実さ」を、おれは憎んでいたのかもしれない。

 だから、ルネがあの扉をあけて姿をあらわしたとき、おれは、ただこの男のそば近くにいたかっただけなのだと歓喜した。

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