第15話 ヴジョー伯爵、エリス姫と語らう

「それは、遺骸の検分をなさったということですね?」

 《死の女神》の神殿は、死に関わるありとあらゆる知識があるとされている。そのなかには、死亡要因をつきとめるという業もある。

「ああ、そうだ。モーリア国の神殿の祭司がいうには、王女殿下の夫であった公爵は毒殺されたそうだ。遺骸を隠しもしなかったという話だから、そうとう胆の据わった女らしい。翻って、さきのモーリア王の死は毒物の使用や暗殺の気配は見当たらない」

「では、毒殺という噂は」

「若きモーリア王の喧伝であろうな。つまり、妹姫のしてきたことを恐れて頭を働かせたというわけさ」

「してきたということは、他にも前科があるのですか?」

「あるようだが、さすがに宮廷内は守りが堅い。未確認だ」

 至高神とやらの祭司たちが葬儀を執り行っているのだろう。

「ルネ、決断が早急すぎたのではないか?」

「そうともいえないでしょう。いずれにせよ、モーリア王に野心のある今、和平条件としての婚姻は悪い話ではありません」

「だから早急だと申しておる。婚姻など、怯えた兄の厄介払いに過ぎぬように思うがな。それに」

 姫さまはそこでことばをとめた。

「どうされました?」

「いや、ありえぬ話ではないということを思いついただけだ。いいついでだ。おれはモーリア王国にいくことにする」

「本気ですか?」

 私が声をあげたので、エリス姫は破顔した。

「ああ。ゾイゼの奴がモーリア王に嫁げと煩くてかなわんので、神殿を逃げ出してきたのだ。皇帝のお古はいらんという話だと教えてやったのに、ひきさがらん。まったく、あの石頭には困りものだ。

 まして物々交換のように女をやり取りすれば平和がくるなぞと思うのは男の考えでしかないと言い返してやったら、こめかみに青筋たてて怒っていたよ。癇癪をおこして声をあげるのは女の特権だと思っておったが、違うらしい」

 姫さまが笑っていた。

 私は、なにもいえなかった。いや、問うべきことがあった。

「あの国へ」

「布教活動なぞに勤しむのも悪くなかろう」

「あの戦乱の地に?」

「遺骸がゴロゴロ転がっているらしいから、仕事は山ほどありそうだ」

「危険です」

「それは承知のうえさ」

 エリス姫が喉をそらして杯を干しあげた。目を射抜くほど白いそこがあらわになり、私はあわてて顔を伏せた。

「ルネ、どこに生きていても死は平等にやってくるものだ」

「ですが貴女様は女性で」

「おれが盗賊や傭兵どもに犯されて挙句の果てに殺されては哀れと思うか?」

 声を失った私に、姫さまは晴れやかに笑った。

「ルネ、案ずるな。よほどのもの知らずでもない限り、おれを捕らえたらまずは身代金だ。そうでなくとも、《死の女神の娘》に何かすれば末代まで祟るとみな信じておろう」

「モーリア王国の惨状は、そうしたこちら側の常識を覆すほどのもののようですが」

「おれだとて、何も知らずに飛び込む気は毛頭ない」

「貴女様を侮っているわけではないのです」

 私の言い訳を、エリス姫は冷然と視線をむけた。

「ルネ、おれはたまたま運よく公爵家の姫君という身分に生まれ、他人から貶められずに生きてきた。それと同時におれがこの国でレースをつくってよその国へ捌くことができるのも、おれが帝国金貨というこの大陸でいちばん強い財貨を持っている故のことだ。またはおれはまがりなりにも公爵位をもっているため、宰相ゾイゼにも否といえるし、わが兄オルフェにも否という」

 そこで姫さまは蝋燭の炎に顔をむけ、目を細めた。

「おれには身分があって権力と財力という力がある。それを使ってできることをするのがおれの使命だと思うがな」

 それは、否定できるものではない。

 しかし。

「貴女様は、その御力を手に入れるために、手放されたものもあるはずです」

 不躾なことを問うて傷つけようとしたわけではなかった。姫さまはそれをご存知のようすで苦笑した。そのまま諦観に満ちた表情で、ことばをつむぐ。

「力を手に入れるためという積極的な行為ではなかったな。あのころのおれは、そこまで考えられるほど強くも賢くもなかった。まずは己の地歩を固めるために、誰かの庇護を受けたいと願って、おれはあの男に身を売ったのだ」

 私は瞼をとじた。

 夜のしじまに、河のせせらぎの音が聞こえていた。

 気がつくと、姫さまがすぐそばに立っていた。

 しずかな、平らかな声が聞こえた。

「おれの手放したものが何であったか、そなた、本当にはわかるまい」

 私が顔をあげると、姫さまの指が私の頬に触れた。

「姫さま?」

「動くな」

 命じられた私は、椅子に腰かけたまま石のように固まって、ただ焦点の定まらない瞳だけをわけのわからぬ怯えに泳がせていた。

「この、くるくると巻いた癖のある髪に、一度でいいから触れてみたかったのだ」

 私の髪は姫さまの細く長い指に巻きつけられて、解かれてはうれしげに跳ねてまとわりついていた。私はそれが乱れて頬にかかるたびに、くすぐったさに頭をふりたくてたまらなかったのだが、姫さまに逆らうのを躊躇ってこらえていた。

 そして、姫さまが手放されたものがなんであったかに考えを巡らそうとして、そのたびに姫さまの冷たい指が頬やこめかみをかすめて、すべての思考を奪い去っていくのを感じていた。

「近いうちに、おれはこの国を離れる。事後は兄とゾイゼに託してきた。

 ゾイゼとは共にあの古神殿で大教母の教えを学んだ仲だ。彼は至高神からの改宗教徒なのだ。大教母に拾われたのだから、恩は忘れまい。そなた、兄とゾイゼが仲違いせぬよう、見守ってくれ」

 ことばの意味をおうことが、難しくなっていた。

 姫さまの唇がこめかみのうえに落ちたのだ。

「姫さま……」

 うろたえた私が身体をひくと、その細い手が私の頤をとらえた。

「亡くなられた奥方を裏切りたくないというなら、おれも無理に迫るのはやめる」

「そ……」

 なんと返せばいいのかわからなかった。

 ほんとうに、わからなかった。

 私は情けないことに、神に助けを求めたいほど音をあげていた。そうしてその神が、自分の奉じる太陽の神でなく、この方の御母である《死の女神》であることに気づいて愕然とした。

「だがな、おれも一生に一度くらい好きな男と寝てみたい。そう願っても罰はあたるまい。そうではないか?」

 首を縦にも横にもふれないでいる私に、彼女は微笑んだ。

 その顔は、《死の女神》そのもののように麗しく艶やかで、そしてこの地上の何もかもを覆い尽くす夜闇のように貪欲であった。

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