第3話 太陽神殿神官ルネ・ド・ヴジョー伯爵、死の女神と亡き父の思い出を語る
ヴジョー伯爵たる父が壮絶な死を遂げたのは、私が六歳のときだ。
父は河船を襲う盗賊団を征伐にいき針鼠のような姿になって、五日間さんざん苦しんだ末に身罷った。
生来頑健であった父は、並みの男なら半日もしないで事切れたであろう矢創や骨折の数々にもよく耐えた。名門ヴジョー伯爵家の生まれらしく、弱音は一切はかずに逝った。
そんな父が、最期に私を呼び寄せて語り聞かせた。敵が天晴れな騎士でなく下賤の盗賊であったのが心残りではあるが、民人を守る務めを果たした自分の働きに満足していると。さながら騎士道物語のごとき言葉だった。
父はしばらく目を閉じて胸を上下させていたが、不遜ではあるがと断って、自身も《歓びの野》に散った先祖と同じ栄誉に浴し、死の女神の腕に抱き取られることを願っていると切れぎれの声で口にして、西の彼方へと顔を向けてから私を見て微笑んだ。
子供はあいにく私だけであったが、世継の長男をもうけていたので安泰だと思ったのであろう。語り終えた父は、己の血と汗と腐臭ただよう寝台で、ひどく穏やかな顔をして息をひきとった。
二十二歳の若さだった。
私はそのときにも、母の涙を見ていない。
母は、壊疽をおこした父の足を切断するときも眉ひとつ顰めず、すぐそばで燭台をかざして医師を手伝った。気丈な人ではあるが、棺を閉じる際、小さく洩らした吐息のほうが、つまりこれでもうこの学のない粗野な夫の世話をしないですむという安堵のため息こそが、彼女の本心であったと思う。
私は当時すでに父の想い人がエリゼ公爵夫人、すなわちこの国の主の妻で《死の女神》の末裔であると、幼心にも気づいていた。
かつて、父は彼女の熱心な求婚者であったそうだ。本人は表立たぬよう気をつけていたのかもしれないが、父の青い瞳はいつも母をすりぬけて、手の届かない高貴な女性へとむかっていた。
母は帝都の貴族の家に生まれ、何も知らずに嫁いできたのだろう。
しかしながら母はすぐにも事情をのみこんだものと思う。父が母と結婚したのは貴族としての務めのためでなく、公爵夫人にこれ以上つきまとうわけにはいかないという覚悟の故か、はたまた思い詰めやすい性格故の自棄であったかもしれないということを。
父の棺には青い雛罌粟がおさめられた。
季節はちょうど花の盛りの五月のことで、遺骸を埋め尽くす花々は、死の女神に抱き取られたいと願った父の、その切なる想いを受け止めているかのように優しかった。
私は、父が死の女神のいる《歓びの野》にいったものと信じている。
だが、私の死のときにも、あの麗しい女神がたおやかな白い腕をさしだしてくれるとは思っていない。
何故なら、私は死の女神の《真実の娘》たるエリス姫を裏切った。
女神と同じ、黒髪に黒い瞳をしたあのひとを、誰よりも深く傷つけたから……
こんなことを考えるのは、ここが亡き父の憧れた女神の
我ながら未練がましいと思いつつ姫さまの執務室の扉を見ていたが、ため息をついて踵を返す。
「おや伯爵、もうお帰りかい? 今日もなんの成果もないとは本当に意気地なしだね」
女戦士の姫君アレクサンドラだった。
私は背の低い娘を凝視する。
こんなすぐ近くに人がいるとは思ってもみなかった。
「せっかく気をきかして二人きりにしてあげたのに、毎日毎日すごすご引き返してきちゃうなんて、それでも名にしおう騎士の末裔かな」
己の半分ほどしか生きていない十五歳の娘に嘲弄されても反論できなかった。
エリス姫が帰郷してからこうして古神殿に日参している。しかし、今日も結婚の承諾を得られなかった。
アレクサンドラ姫は左手にもった私の剣をくるくると玩具のような勢いで回しはじめた。革甲冑とはいえ、常に戦装束の女たちのいることが、私には不思議でしようがない。だが、彼女たちがこの国に来て一か月も立てば、みなそれに慣れてしまっていた。
着飾ればさぞかし美しいだろうと思うのは、私だけではないはずだ。
ところが、彼女は一切の飾りを身につけていない。そのかわり腰に佩いているのは、その腕で扱えるのかと危ぶまれるほど大きな広刃の剣だ。しかもこの姫君は、それを片手でやすやすと振り下ろす。
「アレクサンドラ姫、貴女の心遣いには感謝していますが」
「ああもう感謝なんてしなくていいから、早くどうにかしちゃってよ。あたしたちはすぐにもこの仕事をやっつけて帝都に帰りたいんだからさあ」
女戦士の声高なものいいにぎょっとして、出てきたばかりの執務室を振り返る。エリス姫に聞かれたらどうするつもりなのだろう。
「エリスは知ってるよ。気にしなくて平気。頭のいいひとだからね」
「そうであったとしても、あなたのその言葉は不躾ではないかな?」
「伯爵とエリスをひとまとめに片付けようとすることが、どうして悪いの?」
大きな緑色の双眸を瞬かせて尋ねられて、自分の口から苦笑がもれるのを聞いた。
「悪いとはいっていませんよ」
「自分たちの立場をもっと尊重してくれっていうこと? でもさ、それはあなた方の都合で、あたしたちと皇帝陛下のそれじゃあないってことなのよね」
ふいに彼女は剣を振り回すのをやめた。カツンと音をたてて床に剣先をつけて、挑むようにこちらを見た。
「あのさ、陛下はエリスにこの国を掌握せよと命じて帰国させた……と、あたしたちは思ってるけど、エリスはそうは思ってないみたいよ?」
「では」
「それは自分で訊きなよ。あたしは知らない。エリスは基本的には嘘をつかないけど隠し事は山とするひとだから。どれが嘘かほんとか掴めない陛下よりはましだけどね。
あたしたちはひとまずあなたをエリスの味方と認めた。けどエリスがいらないと言えば、ヴジョー伯爵のあなたでさえ追い払う。単純なこと」
「御眼鏡に適ったと感謝すべきところかな」
「感謝なんてものはいいから、ともかく時間が惜しいんだよ」
彼女は苛々した調子でひとつに束ねた紅い髪をはらいあげた。私には、その髪が人の血を吸ったかのように見えた。
「それとも、伯爵はモーリア国の出戻り王女と結婚するつもり?」
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