第4話 ヴジョー伯爵、エリス姫にその兄の愛人を問われる

 夫と死別して生家にかえる女性なのは事実だが、他国の王女への敬意も何もないことに鼻白みながら返答した。

「今のままではそうなりますね……」

 私の求婚はエリス姫にはねつけられてばかりいる。跪いて熱心に愛を囁いたわけではないが、無下にされればやはり悲しい。

 私の求婚にいつもエリス姫は冷淡だ。それは冗談ではなかったかと尋ねかえし呆れ顔で私を見たり、早く帰れとおっしゃったり。

 今日は、二人だけで再会したときから事情が変わったことだけお伝えした。

 私には、モーリア王国から結婚の打診が届いていた。

 帝国の顔色を窺い、モーリア王国やレント共和国と反目せずにやっていくには政略結婚は重要だ。エリゼ公国の次期公爵であるオルフェ殿下が帝国の姫君を娶るのであれば、モーリア王国としてはヴジョー伯たる私に白羽の矢をたてるのもわかる。

 我が家はもとより親帝国派ではあるが、だからこそ、そこに意味があると宰相ゾイゼは考えていたようだ。そしてまた、オルフェ殿下もそう思っておいでのようだった。

 故に、エリス姫は苦笑して私を追い払った。

 十年前に別れて以来、私はエリス姫の望まぬことばかりしてきたに違いない。

 姫さまは故国への音信を途絶えさせたことはなかった。兄のオルフェ殿下はもちろん、ご両親である公爵夫妻、それから教育係であったわが母にまで心のこもった優しい手紙を返し、誕生日には異国の珍しい贈りものまで届けさせた。

 私は、自分にだけ便りがないことで、自分だけが疎まれたのだと思った。

 では、あのころの私に何が言えただろう。

 もしも貴女様が帰ってきたら結婚していただきたいのです。お慕いしておりますと、己の真実をお伝えすればよかったのだろうか?

 たとえ姫さまが、皇帝陛下の寵姫となるために帝都にあがるのだと誰もが知っていて、それでなお、愛していると口にしても許されただろうか?

 私は二十歳で、姫さまは十四歳だった。

 貴族の娘ならば結婚して子供がいてもおかしくはない年齢だ。母いわく、どこに出しても恥ずかしくない大陸一の淑女でもあった。

 そして事実、血の道が通ったら帝都へよこせと、皇帝陛下から勅命がきた。

 帝国領の小国の王子や王女が、「留学」という名で「人質」をとられることは幾度もあった。だが、これほど露骨な招聘は初めてだった。

「かわいそうなモーリア王国の王女様」

 女戦士のつぶやきが、冷たい石の床に落ちた。

「それは、そうかもしれないですね」

 私は女性を幸福にできる男ではない。亡くなった妻も、私といて幸せであったとは考えられない。でなければ、あのような物はつくらなかったのではないかと思う。

「ほんと、男なんてろくなものじゃないね。

 それにエリスにも同情する。どうしてこんな男との約束を律儀に守るかなあ。エリスなら他にもっといい男がいたのに、あの都でいっとう素晴らしい場所にいられたのに、義理堅いっていうかなんていうか、ばかだよなあ」

 約束……私は、姫さまと何か約束しただろうか?

 呆然としていると、女戦士の姫君は頤をあげて指を突きつけて言い放つ。

「あ、その顔は、エリスとの約束を覚えてないなっ。うっわあ、酷いなあ。ほんと、どうしようもないね」

 断罪はもっともだが、この娘がそれを知っていて、約束をしたはずの自分にそれを言わない姫さまに苛立ちそうになった。理不尽なことは百も承知しているが、いっそ詰られるほうが随分とましだ。

「騒がしいぞ、サンドラ」

 そのとき、背後からエリス姫の叱責の声がとどいた。アレクサンドラ姫は姿勢をただし、すぐさまその場で片膝をついた。

「申し訳ございません」

「しおらしい顔をして謝れば許すと思うか。伯爵に剣を返して持ち場に戻れ」

 エリス姫は私の横をすりぬけて、立ち上がろうとしない娘の前に立った。

「恐れながら、わたくしの持ち場はあなたさまのおそばでございます」

「他の者は?」

 女戦士の姫君は口をつぐんだままだ。エリス姫の視線がこちらをむいた。私は仕方なく、要求するこたえを口にした。

「食堂で酒盛りでしょうね」

 エリス姫は瞳をほそめ、喉奥で小さく笑った。

「ヴジョー伯がとっておきの葡萄酒の樽なぞ運んでくるから、か……」

 わが領地、《黄金なす丘》でできる葡萄酒は、大陸全土でももっとも美味だと謳われていた。こればかりは、各地の修道院からあがる酸っぱいだけの代物と天と地ほども違うと自負している。

 エリス姫はそれからずいぶんと優しい目をして、女戦士の姫君を立たせた。

「いくか。どうせ今宵はすることもない。当然、おれの飲む分くらいは残っているだろうな」

「はいっ、今すぐ席を用意させます」

 はねるような勢いで、小柄な姫君が先をいく。

 高らかに靴音を響かせるその歩みは、扉の前に控えていた様子とはまるで違う。ふと、ある風聞を思い出す。女戦士については、とかくおかしな風説がまかり通っていた。先ほども、その不見識を窘めなれそうになったくらいだ。

「無腰で帰るつもりか、ヴジョー伯」

 呆れたような顔つきで、アレクサンドラ姫の携えたままの剣をさす。

「ご相伴にあずかれるものと思っておりましたが」

 あの娘は、私に居残れといいたいのだ。エリス姫の意に反して。

「そなたの城でゆっくり飲むがいいよ」

「それはつれないおことばですね」

 不満をもらすと、彼女は何事か企む表情でこちらを見た。

「ルネ、馬はどこに繋いだ?」

「裏門に」

借りるぞ、ともう踵を返して歩いている。。

「お独りでいかせるわけには参りません」

「すぐそこだ。心配ない。オルフェの顔を見たいのだ」

「ここから城までずいぶんあります」

「城ではない。貸してくれぬなら歩いていく」

 姫さまは昔のようにぷいと横をむいてみせてから、立ち止まる。

「オルフェの愛人の家を知っているか?」

 私は首をふって知らないふりをしたが、姫さまはこちらの表情を正確によんだ。

「案内せよ」

「私は存じません」

「そんなはずはない。オルフェが自分のことを頼めるのは、そなた以外いないはずだ」

 そのとおりだった。心臓の悪い殿下の身に万が一の場合があったら、私がその後の始末をするよう頼まれていた。

「美人か?」

 一瞬、なんのことを尋ねられているかわからなかった。

「兄の愛人は美しい人かときいている」


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