第二漢 散花の宣告

「扨……この状況、如何にするか。儂は一度死んだ身分……今更未練がましく現世を渇望するは漢が廃るというものである。かと言って、意味なく命を投げ出すのは道理に反する……こうして命を授かったのには意味があるはずよ。どこへ行こうとも儂は儂。只管に極道を貫くのみよ!」


 獅子天殿は拳を握り、天へと突き上げる。

 その瞬間、バリバリっと着ていたドレスが破けてしまう。


「な……なんと脆く作りが悪い服であろうか。女子が上裸では示しがつかんな。では……」


 服を破り捨て白い生地の部分でサラシを作ると、片肌を脱いだ任侠スタイルが完成する。


「しかし華奢な肉体よ……この腰など、元の儂の腕より細いではないか。女子の身体とは斯くも小さきものであったか」


 白く細い身体を見てそう嘆く獅子天殿。

 外へ出る前に情報が必要だと判断し、持っていた小説「白薔薇のアーデント」を手に取る。


「……ほう。創作書物など軟派者の読むものと思っていたが、中々面白いじゃないか。娘が夢中になるのも頷けるな」


 生涯を極道として過ごした獅子天殿にとって、小説は無縁の代物であった。

 獅子天殿は空想世界という未知の存在に心踊らせ、白薔薇のアーデントを時間を忘れて読み耽る。普段触れない者ほどそれに没頭する……よくある話だ。


「ふむ。一章なる部分を読み進めて分かったが、どうやら儂は黒薔薇姫と呼ばれる『アリリス』という女子になったようだな。ざっとこうだ──アーデントなる女子と婚約者を巡って対立するが、その裏で暗躍しアーデントの評判を下げ、公爵子息との婚姻を勝ち取る……が、本来は金目当てであり国を乗っ取るつもりなのが露見し、最終的に処刑されそうになるが、アーデントにより助命されアリリスは追放処分となる……その後アーデントと公爵子息は結ばれ幸せになった、と」


 獅子天殿は本をそっと閉じると、天を仰いでカッと目を見開く。


「つまり陰に生きる極道という訳か! 面白い……生まれ変わろうと儂の運命は変わらんと見た。やはり貫き通すは漢一つよ。ハハハハ! この世界で再び組を作るのも一興か!」


 腰に手を当てそう高笑いする獅子天殿──アリリスの元に、ノック音と共に来客が訪れる。


「お、お嬢様、失礼いたします」

「ぬ?」


 メイド服に身を包んだ若い侍女が、食器類を抱えて部屋へとやってきた。


「だ、大丈夫でしょうか……朝食の支度の途中、何やら大声が聞こえたので──って、え!? お嬢様、その格好は!?」

「ん、ああこれか。少し動いたら破けてしまってな。気にするでない?」

「……え? あ、え……?」

「……それはそうとお主、その包帯はなんだ? そんな怪我で重そうな物を持つと悪化するぞ」


 アリリスの視線は自然と彼女の右腕を捉える。血が滲んだ包帯が手の甲から腕にかけて巻かれており、見るも痛々しい様子であった。


「あ……え、と……だ、大丈夫です! このくらいなんともありません……」

「見せてみよ」

「あ……」

「ぬぅ、儂には分かるぞ。これは明らかに人為的な傷だ。かような女子に刃を向けるなど……言え。誰にやられた?」

「え……? で、ですが……」

「言え」

「……あ、あ、アリリスお嬢様……です。で、ですが先日の件は、粗相を働きお嬢様の怒りを買ってしまった私の責任です! ですからどうか……!」

「なん、だと……」


 今にも泣きそうな顔で首を振る侍女。

 アリリスは生前の経験により、その傷が刃物による刺し傷である事がすく分かった。だがその傷の起因が、まさか自らにあったなど想像できようか。


「アリリスは、侍女に手を挙げる賤しき女として書かれておったが……では、まさか儂がやったというのか。なんとも救い難し」


 アリリスは目に濃く影を作り、唇を噛み締め拳を固く握ると、侍女が持っていた食器のナイフを取り出す。


「ひ……お、お許し下さいお嬢様……!」

「自らの咎、落とし前は付ける。これで許せ……フンヌウウウゥゥン!!」

「きゃあああああぁぁー!?」


 銀のナイフを高く振り上げ──その刃を自らの掌に刺して貫通させる。落とし前として侍女の傷より深い傷、自らの手に課したのだ。

 辺りに鮮血が舞う程の傷……侍女は何が起きたのか分からなかった。


「……あれ? え、え!? お、お嬢様……!?」

「記憶に無き事なれど主の傷は儂の不徳。大望故、まだ腹を切る訳にもいかん。今回はこれで許せよ女子」

「そ、そんな……お嬢様、血が……!」

「顔を歪めるはその痛みにあらず……己が罪に対する怒りだ。すまぬな女子。今後、儂がお主に手を出す事は永劫に無い。この傷に誓おう!」

「あ、あぁ……お嬢様……!」


 その覇気に気圧され、侍女はヘタリと座り込んでしまう。

だが侍女にとって、アリリスに謝罪されたのは始めての経験だった。罵倒され続けた彼女にとって、その誠意の籠もった礼を見ていると、込み上げる感情に涙が流れそうになるが、侍女はぐっとそれを堪える。


「あ、あの……お嬢様、すぐに傷の手当を……!」

「不要よ。これは贖罪の傷だ。この流れる血が儂の罪……贖い終えるまで止める事能わず」

「そ、そんな……」

「それより立てるか? 主は休んでおれ。その食器は儂が運ぼう──」


 そしてその後も──


「ああ、お嬢様! スープが冷めて提供されるなど……いかなる処罰も受ける覚悟が──」

「いらぬ。これはこれで美味いものだ。日々の料理、感謝する」

「お嬢様の大切なブレスレットを割ってしまい……も、申し訳ございません……! ど、どうかお許しを……!」

「不要。手首の飾りなどワッパを思い出す故な」


 今日は誰も傷付かなかった──皆口々にそう呟いた。

 その悪評耐えないアリリスの変貌っぷりは、アリリスが住む宮殿中に直ぐ様広がった。


「聞いたか? あのアリリスお嬢様が、今日は誰にも手をあげなかったぞ!」

「私なんて感謝の言葉を賜りましたわ……うぅ、感動で前が見えません……」

「それになんだか雰囲気が変わって……王子様のようにカッコよかったなあ」


 結婚式前の上機嫌による一時的なものだと噂されたが、素行を改めたアリリスにある者は喚起し、またある者は涙を流して喜んだ。

 だが──そんな平和も三日で終わりを告げてしまう。

 獅子天殿がアリリスに転生して三日後の朝、アリリスの宮殿に仰々しい鎧に身を包んだ騎兵達がやってくる。


「た、大変ですお嬢様!」

「なんだ? 朝からやけに騒々しいな」

「国の憲兵騎士です! 公国の忠実なる断罪人ですよ。あの赤い旗が掲げられる時は大罪人を捕える時のみ……き、宮殿にいる誰かを逮捕しに来たんですよ……!」

「……ほう」


 騎兵の前に立つ緋色の髪の男は、咳払い一つして宮殿の入口で取り出した紙を大声で読み上げる。


「アリリス・ドンゲブラ・ローズウェル! 貴女に詐欺の罪状が出ている! ただちに中央区画へと出頭せよ!」

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