第18話 春の訪れ

 あれから月日が流れること三月。この国にもようやく春が訪れ、心地よい日々が続いていた。


(やばっ! 寝過ごした)


 それにしても、春眠暁を覚えずとはよく言ったものだ。まだ眠い――再びまぶたを閉じる。


 ねぇ聞いてる。


<…………>


 今、なにが見えてる? 麗鳳れいほう


<闇。なにも見えません>


 驚き。前に私の見ているものが、麗鳳にも見えているって言ってたけど、それって本当だったんだ。


<今更。それと、気安く我を呼ばないでください。お前には分からないだろうが、相当な力を使い続けているのです>


 ふ~ん。だったら最初から死の接吻なんて怪しい術、使わなきゃよかったのに。


<了。次はそうします>


 ん? 次があるのか?


<いいえ、お気になさらずに。こっちの話ですので……>



 よし! 目覚めた。



 私は寝台から起き上がり、身支度を整え始めた。

 そう、今日は、この国(白鴎はくおう国)の皇后に呼びだされていたのだ。理由はわからない。




 ◇◇◇


 


 月華げっか宮は、本来客人をもてなす宮なのだが、私たちはすでにここを三月以上占拠している。


 美しさと気品の調和がよくとれている宮で、私は特に庭がお気に入りだ。椿が咲き、白梅が満開を迎え、月をした丸池の蓮が、その浮き葉の数を増やしている。まだまだ楽しめそうだ。


「おはようございます先生。その巫女衣装、朱色と薄桃色の対比がとても綺麗ですね。よくお似合いです♡」


「お、おは、ようっ」


 ほうきを使って、庭の掃除をする華鈴かりんに声をかけられた。今の彼女は、毒見役の任を解かれ、私の世話係としてここの維持管理に精をだしてくれている。


「何処かに行かれるのですね。お供しましょうか♡」


「い、いや、いいっ」


 すでに遅刻が確定している。一緒に怒られるのはかわいそうだ。


(せめて、セリフのあとに見えたハートだけでも一緒に連れて行こう)



 太陽の位置が高くなってきた。急がないと。



「あれっ師匠、その恰好」


 宦官の身でなぜか強さを求めている景陽。上半身裸で汗だくになっている。


 理由は明確。基礎体力作りの一環と称して、毎日、腕立て伏せと腹筋、背筋を百回の五セット、一里の走り込みをやらせているからだ。私が八咫やた国で、暗殺部隊にいたときにやっていたことだ。将来的には私の瞬殺を伝授してもいいと思っている。ただし、それは本人が望んだらである。


「ふっ、お、おでかけっ」


「だったら、俺もついて行ってやるよ」


「残念だが、景陽はこれから俺と稽古だ。すまんな嬢ちゃん」


 私は後ろから急に現れた天鷹てんようを見て、なんども頷いた。木刀を二本持っているので剣の稽古をするのだろう。厳つい顔だが、面倒見がよい。


「兄さんは強すぎるんだから、あまり景陽をいじめないでねっ。手当てするのはわたしなんだから♡」


「華鈴ちゃんの頼みなら百パーセント手加減しちゃう」


 妹の前ではてんで駄目男になってしまうのがたまきず。天鷹それで本当にいいのか? 百パーセント手加減したら負けるぞ。



 太陽の位置がさらに高くなってきた。本格的にマズい。



「あのっ、師範。ご相談したいことが……」


「ど、ど、した、の?」


「ちょっとこでは……」


 今度は清蘭せいらんに声をかけられた。

 なにやら意味深だったので、人気のない物置小屋の裏手側に移動した。


(それにしても、どうしてみんな私の呼び方が違うんだ?)



「この気持ち、もうどうにも押さえきれないのです。どうかアタシのこの気持ち、受けとってください」


(この子ってもしかして……)


 手を握られ、その中になにかが収まった――そっと確認すると、それはお守りだった。なぜか『安産祈願』の文字入り。


「これで師範のそばにいつもいられる……」


「え、えっと、げ、幻龍はっ?」


(なにか言わなければ、と思ってでた言葉だった)


「お姉さま! 男は不潔です。たとえそれが幻龍様であってもです」


(はい。確定)


 怒った清蘭は、そのまま走りだし、去ってしま――いや、戻ってきた。


「……幻龍様なら何処かに用事があるとか言って数刻前にでかけられました」


「そ、そう、なんだっ」


「そんな残念そうな顔をなさるのですね……」


 顔は薄布で見えていないよね。それとも残念気配がだだ洩れしているのか? 清蘭は「シクシク」と言いながらその場を去った。



 こうしてようやく、月華宮をでることができた。



 太陽の位置はすでに真上。ここまでくると、もうどうでもよくなってくる。私はゆっくり歩いて、皇后の住まう柘榴ざくろ宮へと向かったのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る