第6話 幻龍の初恋

 関の花街を後にしたオレたちは、後宮外廷にある朱雀すざく殿に戻った。鮮やかな朱色の柱には朱雀の彫り物が施され、壁にも朱雀の絵が描かれている。実に落ち着く光景だ。

 

「本当になにも手を打たなくていいのか?」

 

「いいの、いいの。女官試験に落ちた人なんて見たことないし、それに職種だって一番人気のない毒見役を希望するんだから合格間違いなしだよ」

 

「言われてみればその通りなのだが……」


 天鷹はオレが試験官に事前に根回しをしないことが気になって仕方ないようだ。普段は豪快で頼もしい男なのだが、妹が絡むと途端に弱気になってしまう。実に困ったものだ。


「それにあの嬢ちゃん。お前が白鴎国の皇太子であることにまったく気づいていなかったぞ」


「うん。それはいいんだ。もともと彼女は八咫国の者なんだから、余の顔を知らないのも当然だろっ。むしろそちらの方が余にとっては都合がよいんだ」

 

「なんだか騙しているようで、気が引けたぞ」

 

「まぁ、遅かれ早かれ、いつかは気づかれてしまうだろうね。ならそれまでは、今の関係性を楽しみたい」


「俺がとやかく言うことでもなかったな。妹の件では、お前に世話になりっぱなしなわけだしな。感謝するぞ」


「なら、少し寝かせてくれないか? 今日は疲れた」


 オレは外出用の衣装のまま執務室に入り、天鷹を入り口に立たせ椅子に座る――ひとつ大きな欠伸あくびをした後、机に突っ伏す。まぶたが重くなり、それに抗うことなくオレは目を閉じた。




 ◇◇◇



 

 

 ――これは以前、幻龍が文化交流の目的で『八咫国』の西軍側に招かれたときの記憶の断片――。


 その日は、とても暑苦しい夜でなかなか寝つくことがでなかった。夜風にあたりながら酒でも飲もうと、ひとり屋外にでる幻龍。


 雲ひとつない空に満月だけが浮かぶ美しい夜。


 月明りの下、城壁の上で天女てんにょごとまいを踊っている者がいた。その者は、白や淡い色の衣装で美しく着飾るわけではなく、真っ黒な異国の装束を纏っていた。さらに目を凝らしよく見れば、彼女の周囲がときより光る。金属製のなにかが月明りを反射していた。


「美しい」


 自然と声がでた。


 幻龍は酒をちびちび飲みながら、その光景を無心で眺めていると、別の者が数名現われ彼女をとり囲む。しかし、彼女は流れるような無駄のない動きで、一気にその者たちの間をすり抜ける。


 次の瞬間――とり囲んだ者たちは血飛沫ちしぶきをあげ、地面へと落ちていった。


 幻龍はここで初めて気がついた。


 これは優雅な天女の舞などではなく、命の奪い合いだったということに。慌てて身を隠そうとするも、腰が抜けてしまいその場から動けなくなっていた。


 背後から声をかけられる。


「見ていたな」

「ああ。実に美しかった」

「は? なにを言っている。ただの殺し合いだ」

「なら余も殺すか?」


 本当は腰を抜かして動けないだけなのだが、目一杯めいっぱいの虚勢を張る。


「無駄な殺生はしない主義だ。ただ、お前の素性を知る必要はある」


 彼女の質問に正直に答える幻龍。


 質問攻めが終わると、姿をようやく見せた。遠目では真っ黒な服にしか見えなかった衣装もよく見れば、動きを邪魔しない切れこみや、所々に金色の糸で刺繍ししゅうが施されており、手の込んだ衣装であることがわかった。


「一緒に飲まないか?」


 酒の入ったかめを指差す。


「お前は馬鹿なのか?」


「ああ。お主にれた大馬鹿者だ」


「ふふっ。なら一緒に飲まねば失礼にあたるなっ」


 彼女はそう言って、幻龍の隣に座る。


 ついさっきまで城壁の上で戦っていたためだろう。彼女の火照ほてった体が妙に色めかしく感じた。それに、大きく開いた胸元。


 幻龍が目のやり場に困らせていると、それに気づいた彼女は胸元を手で押さえ顔を真っ赤にしたのだった。

 

 恥じらう彼女の表情と、金色の瞳がとても印象的だった。



 

◇◇◇



 

翌日。

 

「おいっ、いつまで寝ている。起きろ!」


「……なんだ天鷹か……」


「その反応! また初恋の相手との夢でも見てたな」


 図星だ。


「まずいことになったぞ。嬢ちゃんが後宮『出入り禁止』になっちまったぞ」

 

「ふふっ。あはは。やはり紫霞さんは余の遥か上をいくなぁ。面白いっ」

 

「そんな悠長なことを言っている場合じゃないだろう。俺の妹の命がかかっているのだぞ!」

 

「それにつては……今から一緒に考えよう」

 

 彼女が後宮女官試験に落ちるなんて正直思っていなかった。


 不人気職である毒見役を希望する者を、わざわざ不合格にする理由がわからない。ただ、たかをくくって試験官になにも根回しをしなかったのはオレの不手際だ。

 

 

 さて、どうしたものか――。



「そうだ。いいことを思いついた。これなら出禁となった紫霞さんも無事に後宮内廷に入ることができるぞ」



 天鷹が興味深々といった表情を浮かべこちらを見ている。


 オレが手を口に添えると、天鷹が耳を近づけてきた。周囲には他に誰もいないのだが、万が一に備えて小声で話す癖がついてしまっている。


「ゴニョ、ゴニョ、ゴニョ」


「それは正気か? 嬢ちゃんが了承するとは到底思えんが……」


 呆れる天鷹を他所に、オレは自信満々で彼女の元へと向かうことにした。

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