第15話 メインディッシュ、デセール


「本日のメインディッシュはヴィアンド。

 仔羊の香草焼きでございます」


 骨がついていて、形は肉を焼いたものと分かるが、緑色のものが塗られている。

 『香草焼き』。つまり、香草が塗られていて、こんな色なのか。

 ちょっと見た目がすごい。


 まさかな・・・

 ちらりと前のクレールの皿を覗く。

 マサヒデの皿の上にあるものと、同じ料理が山盛りになっている。


「ふっ」


 思わず笑ってしまった。

 仔羊が丸ごと一匹・・・などと想像してしまったのだ。


「どうなされました?」


「いえ、何でもありません。ちょっとおかしな事を考えてしまって」


「?」


 ナイフを入れてみる。


(え?)


 厚みのある肉なのに、ナイフがすっと通る。

 通したナイフを抜いて、もう一度見てみる。

 どう見ても、斬れ味のありそうなものではない。


 不思議そうな顔でナイフを見ていると、笑顔で執事が声を掛けた。


「どうかされましたか」


「いや、あれ? こんなに厚い肉なのに、切れる?」


「ふふふ。さあ、トミヤス様。切ってみて下さい。

 こちらはこのレストランのシェフ自慢の料理。きっと驚きますよ」


 言われるまま、ナイフをもう一度入れる。

 フォークで切った部分を口に運ぼうとして驚いた。


「あ!?」


 中が赤い! 生だ!

 生焼けなのに、こんなにナイフがきれいに通るとは?


「これは、中が生! ・・・なのに・・・切れる!? ・・・どうして・・・」


「これがこのレストランのシェフ、自慢の技。さあ、どうぞ口に」


「はい」


 言われるままに、切った部分を口に入れてみる。

 まず香草とにんにく、何か食べたことのある匂いが口に広がる。

 羊は何度か食べた事はあるが、あの癖のある感じが全くしない。

 これは、塗ってある香草が癖を消しているのか。

 驚いたことに、生焼けなのに筋を感じず、柔らかい。


「・・・驚きました・・・」


「さあ、そのまま骨まで進めて食べてみて下さい」


「はい」


 なんと、反対側の骨まで肉がさらりと切れてしまう。

 魔術のようだ。


「これは・・・」


 アルマダも目を開いて驚いている。


「素晴らしい。仔羊は何度も食べましたが・・・

 これほどの物は食べたことがありません。

 素晴らしいとしか、言いようがありませんね・・・」


「これ、魔術・・・では、ありませんよね」


「うふふ。マサヒデ様ったら」


 笑いながら、マツはワイングラスを傾ける。

 執事がにこにこと笑いながら、マサヒデに仕掛けを教えてくれた。


「これは『技』。これが、このレストランのシェフの技です。

 魔術や、特殊な薬ではありません。仕掛けは単純。ただの火加減です。

 それが、ここまで肉を柔らかくしたのです。

 どうでしょう。お気に召して頂けましたか」


「・・・見事です。感服しました」


「さあ、お楽しみ下さい」


 マサヒデ達は食を進める。

 クレールはしゃしゃしゃーと肉を切り、次々と口に放り込む。

 マツは優雅にワイングラスを傾けつつ、同じく口に小さく運ぶ。

 マサヒデもアルマダも、言葉もなく、す、すと肉を切って口に運ぶ。


 夢中で食べ終わると、皿には骨だけがきれいに残っていた。


「素晴らしかったです・・・これが、技・・・」


「お気に召して下さいましたか」


「驚きました・・・」


「その言葉、そのままシェフにお伝えします」


 給仕が皿を片付け、ぷはー! とクレールがワインを飲み干す。

 マツがグラスを傾け、ゆっくりと葡萄ジュースを飲んでいる。



----------



「デセール、桃のムースでございます」


 口の広くて厚めのガラス器に、白いものが入っていて、上に一口大の桃が乗っている。

 クリームのような物か?

 今回はスプーンも付いてきているので、これで食べれば良いのだろう。


「ん」


 口に入れてみると、すっと溶けて、桃の甘みが広がる。

 クリームとは違う。

 桃の味がして甘いが、するっと溶けるのでしつこくない。

 これも食べたことのない食感だ。


「おお」


 するすると口に入る。

 これまた素晴らしい。

 そのまま一気に食べてしまった。


「いかがでしたか」


「私、ムースって、初めて食べました。すごいです。

 ふわふわしてて、すぐ溶けて、すごく甘いのに、くどくなくて、食べやすい。

 こんな食べ物もあったんです・・・ね・・・」


 と、対面を見れば、クレールはまるで飲むように、次々とムースの器を変えて食べている・・・

 驚くなかれ。彼女は人間ではないのだ。魔族なのだ。



----------



 食事が終わり、コーヒーが出された。


 これから、会話の時間が始まる。

 ここからが本番になるのだ。


 ぐい! と勢いよくクレールがコーヒーを飲み干した。


「あ、あの! マサヒデ様!」


 かちゃん、とカップを置いて、ぐっとクレールが前のめりになった。

 マツとアルマダは、優雅にコーヒーを口に運んでいるが、ぴりっとした雰囲気になった。


「はい」


 マサヒデも自然と真剣な顔になる。


「マサヒデ様! 私、マサヒデ様のお気持ちに応えて・・・」


 そこで、かちゃ、とカップを置いて、マサヒデはクレールの言葉を止めた。


「・・・クレールさん」


「は、はい!」


「先に、あなたに確認したいこと、話しておきたい事があります」


「なんですか!」


「まずは落ち着いて、聞いて下さい」


 クレールは前のめりになった体勢を戻し、ぴしっと背筋を伸ばした。

 まっすぐ聞こう。マサヒデは緊張した顔のクレールを、まっすぐに見つめた。


「クレールさん。あなたは、私達、人族より、遥かに長く生きると聞きました」


「・・・」


「私が老人になっても、あなたはきっと、今の姿と変わらないはずです」


「・・・はい」


 クレールの顔が、少しだけ、悲しくなった。

 だが、目はまっすぐにマサヒデの方を向いている。

 これは、もう覚悟は出来ている。


「もう・・・覚悟は出来ているようですね。

 でも、念の為に聞きます。それでも、私の妻になろうと言ってくれるのですね」


「はい!」


「ありがとうございます。では、先に話しておきたい事です」


「なんでしょう!」


「私には、既に妻がひとりいます」


「え!」


 クレールは驚いたようだが、思ったほどは驚いていない。

 やはり、クレールの父も何人も妻を持っている家庭なのだろう。


「今日、ここに立会人として来ている、マツ=マイヨール・・・

 彼女は、私の妻。マツ=トミヤスです」


 す、とマツが立ち上がった。

 マツはドレスの端をつまみ、す、と頭を下げる。


「改めまして。マサヒデ様の妻、マツ=トミヤスと申します」


「・・・」


 クレールが立ち上がったマツを見つめる。


「マツさん」


 マツの顔を見る。

 マツはこくん、と頷いた。

 まっすぐにクレールの顔を見つめ、マツは言った。


「クレール様。実は、マイヨールは私の母の姓。私の父は・・・」


「・・・」


「私の父の姓は、トゥクライン。フォン=ダ=トゥクラインと申します」


 クレールの目が見開かれた。

 少しして、カタカタとカップが音を鳴らす。

 クレールの顔が青くなり、肩が震えている。


「マサヒデ様は、お父様・・・魔王の義理の息子でございます」


 執事も汗をだらだらと流している。

 マツはゆっくりと座り、コーヒーカップを手にした。

 アルマダはカップを皿の上に戻し、すっとテーブルの上に置いた。


「私には、こういう事情があります。

 ですから、お返事は、今でなくとも構いません。

 断わられても、そのことを恨んだりはしません」


「・・・」


「クレールさん。私からは、以上です」


 クレールは青い顔のまま下を向いて、ぷるぷると震えている。

 マサヒデはカップを取って、ゆっくりとコーヒーを飲んだ。


 静かに、時が過ぎてゆく。


 マツがカップをテーブルに置いた。

 少しして、マサヒデもカップをテーブルに置いた。


「では、今日はここで」


 マサヒデが立ち上がり、アルマダとマツも立ち上がった。

 クレールは、まだ下を向いて震えている。


 振り向いて、マサヒデ達はドアに向かった。

 執事が後ろを着いてくる。


 ドアの前で大小を受け取り、腰にさす。

 給仕がドアを開き、執事が頭を下げた。


「本日は、ご足労、ありがとうございました」


「美味しい食事でした。ありがとうございました。

 ・・・クレールさんと話せて、良かった。

 マサヒデが、礼を言っていたと、伝えてもらえますか」


「は」


「マツさんの事は、くれぐれも内密に。お願いします」


「承知しております」


「では」


 人気のないロビーを通り抜け、給仕がドアを開く。


 振り向いて、もう一度建物を見上げる。

 マツも、アルマダも、釣られて見上げた。

 月の明かりに照らされた建物は、夕日に照らされた時よりも、綺麗に見えた。


 馬車の扉は開いている。

 振り向いて、馬車に一歩踏み出した時。


「マサヒデ様ー」


 小さな声が聞こえ、はっとして振り返ると、クレールが走ってくる。


「マサヒデ様!」


 レストランに入った時のように、クレールは、ぱたた、と走ってきて、ばさっと跳び込んできた。

 ぐいぐいと顔を押し付けてくる。


「顔を、見せて下さい」


 クレールが顔を上げた。

 だらだらと涙を流し、化粧の崩れてしまった顔。

 乱れた銀色の髪が、月明かりに照らされて輝いている。

 涙で濡れた赤い瞳が、月明かりに照らされて輝いている。


「やはり、あなたの瞳は綺麗だ」


 もう聞かなくても分かる。

 マサヒデは、クレールの小さな背に手を回し、そっと抱いた。


「ありがとうございます」


「うぁー! マサヒデ様! マサヒデ様! ああー!」


 クレールも、泣きじゃくりながら、マサヒデの背に小さな手を回した。


 ドアの所に、執事が涙を流しながら立っている。

 マサヒデ達から少し離れて、アルマダは微笑んでその2人の姿を見ている。

 アルマダの隣で、マツは涙を拭っていた。

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