第14話 ソルベ


「ソルベは、トマトをベースに、レモン、蜂蜜の2種を用意してございます。

 お好みをお選び下さい」


 はて。そるべとは?

 レモン。蜂蜜。

 酸っぱいのか、甘いのか、を選ぶということか。


「私は蜂蜜で」


「私はレモンを」


「じゃあ、私もレモンでお願いします」


「では、少々お待ち下さい」


 気付かなかったが、アルマダはグラスを空け、新しく注いでもらっている。

 折角用意してくれたのだから、この一杯は飲もう。

 少しずつ、くいっ、くいっ、と口に入れ、空ける。


「お注ぎしましょう」


 執事が来て、目で合図を送ってきた。


「あ、お願いします」


 注がれたグラスからは、酒の匂いがしない。

 見た目はワインと同じだ。

 口に入れてみると、葡萄のジュース。


「ありがとうございます。美味しいですね」


「お気に召して頂きましたようで」


 これなら安心して飲める。

 だが、あまりぐびぐび飲まないようにしておこう。

 バレてしまったら、折角の気遣いが無駄になる。


「マサヒデ様、レイシクランのワインはいかがですか?」


 ぎくっ。


「はい! すごく美味しいです」


「良かった! さっき執事が説明したと思いますけれど、それ、うちの農園で作ったものなんです!」


「ああ、そうだったんですね」


「はい! 色々やってますけど、レイシクランはワインが売りなんです!」


「へえ・・・すみません、知りませんでした」


「マサヒデ様。魔の国の食文化は、レイシクランありき、と言われるほどなんです。

 ワインもそうですけど、様々な料理もレイシクランが作り出した物なんです。

 平和になった後は、人の国にもたくさん広まったんですよ」


 長寿で、これだけ大量に食べる種族なのだから、遥か昔から食に関しての研究をしていたのだろう。


「実に素晴らしいものです。

 今、我々が食べているこの料理も、きっとレイシクラン嬢の一族のおかげです。

 もしレイシクラン家がなければ、今夜は犬の餌のような食事だったはずです」


「うふふ。ハワード様、ありがとうございます。

 私の事はクレールとお呼び・・・」


「どうかなさいましたか」


 クレールは「あっ」と下を向いて、おずおずとアルマダに尋ねる。


「・・・あの、もしかして、試合で審判をしてらっしゃいました・・・」


「ははは。マサヒデさんに夢中で気付きませんでしたか。

 ふふ、どうぞ私もアルマダとお呼び捨て下さい」


「も、申し訳ありません」


「構いませんよ。今日の主役はマサヒデさんなんですから。

 私は道端の石。もっとマサヒデさんを見て下さい」


 もじもじしながら、クレールは、ちら、とマツにも目を向ける。


「あの・・・私・・・」


 マツが優雅にワイングラスを傾けた所に、クレールが声を掛ける。


「あらあら、私も道端の石で結構ですのよ?」


 笑顔をクレールに向ける。

 顔をクレールの方に向けただけの仕草が、優雅すぎる。

 軽く揺れたイヤリングの黒い宝石が、きらりと輝く。


「その、マイヨール様に、謝らないといけないことがあって・・・」


 クレールは下からマツの顔を覗くように、ちらちらと見ている。

 執事はそのクレールの様子を見て、苦笑している。

 そこに、次の料理が運ばれてきた。


「ソルベでございます」


 3人の前に、ガラスの器に入った、小さな氷菓子のような物が置かれる。

 クレールの前の物は相変わらず山盛りだ。

 薄く赤い。これはトマトの色だろう。

 レモンも入っているそうだし、甘くはないものだろう。


 これはスプーンで食べるものだな、とマサヒデにも分かる。

 スプーンを差し込んでみると、さり、といった感じがする。


「うむ?」


 食感は細かい氷のような感じ。かき氷とは違う。

 口の中でしゃりっとした感じがある。

 見た目から、かき氷のような甘い感じを想像したが、それほど甘いものではない。

 ほんのりと甘さは感じる。

 が、すっと氷が溶け、レモンの香りが口の中に広がった時、甘さが増した。


「んん・・・」


 これは見事だ。

 甘さが増したのに、氷菓子ということもあってか、口の中はすっきりしている。

 口の中に氷を入れたまま、マサヒデは唸った。


「うーむ・・・」


 飲み込んでスプーンを置いて、思わず腕を組んでしまった。


「いかがですか?」


「うーん、見事です。これは一本取られました」


「はは、一本ですか。トミヤス様から一本取ったとなれば、シェフも名人を名乗れますかな?」


「・・・最初はそんなに甘くないな、と感じたんです。

 でも、溶けてレモンの匂いがした時、ぐっと甘くなりました。

 それで、甘くなったのに、口の中がすっきりしてます。

 剣に例えれば、単純にただ振ったようで、残心がすごく見事だった、というような・・・」


「ははは! 残心ですか!」


「さすがです。やはり、トミヤス様は素晴らしい舌をお持ちで」


「うーん、そうでしょうか」


「トミヤス様、料理人という者は、美味しいと思って頂く事が喜び。

 味の分かる方に食べて頂き、美味しいと思ってもらえれば、なお嬉しい。

 トミヤス様は味が分かっておられます。そして、一切飾らぬ素直なお褒めの言葉。

 今の言葉を伝えたら、シェフは天にも昇る心地になりましょうな」


「そうですよ。マサヒデ様ったら、女性だけでなく、シェフまで喜ばせてしまって。

 やっぱり、お上手ですこと」


「マツさん、もうそれは聞き飽きましたよ・・・」


 マサヒデは再びスプーンを取って、ソルベを口に運ぶ。

 やはり、これは見事だ。

 冷たいのに、ほんのりした甘さがしっかり感じられる。

 氷のように冷たいものを口にしたら、普通はこんな微かな甘みは分からない。

 少しづつ口に・・・


「お代わりください!」


「・・・」


 クレールがざくざくと山盛りの氷菓子を食べている。

 あんなに食べたら、腹を壊してしまわないだろうか?

 いや、必ず壊す。普通は壊す。

 彼女は普通ではないのだ。



----------



 冷えた口に、ワイン(に見せかけた葡萄ジュース)を運ぶ。

 対面では、


「はー!」


 と息をついて、幸せそうな顔でワインをぐいぐい飲むクレール。

 酒もいくらでも入るようだ。

 そのクレールを見て、微笑みながらワイングラスを傾ける、アルマダとマツ。


 新しいワインの栓が抜かれ、クレールのワイングラスに注がれる。


「うん!」


 と言ってワイングラスを口にしかけた時、2人の目に気が付き、手を止めてグラスを置いた。

 そして、また下を向いて、もじもじしだした。

 ちらちらと覗く目は、マツの方を向いている。


「あの」


「はい。なんでしょう?」


「ご、ごめんなさい、マイヨール様! 庭に蝶を飛ばしたのは私です!」


「あら」


 すっ、とマツの目が細くなり、笑顔が消えた。

 試合の最終日。

 ずっと見られていたと感じていたのは、クレールだったのだ。


「朝からずっと見られている、と感じていましたが・・・

 あれは、クレールさんだったんですね」


「あっ! ば、ばれてたんですね・・・」


「あなただとは分かりませんでしたが、誰かに見られているとは感じていました」


「・・・申し訳ありませんでした」


 道理で、殺気も害意も感じられなかったはずだ。


「・・・お見事です。

 使役した物の目を通して見るというだけでも、高度な技術。

 それを、朝からずっと、あの時間までとは・・・」


 やはりマツの言う通り、彼女は怖ろしいほどの魔術の手練れだったのだ。


「い、いえ! 皆様にはバレちゃいましたし・・・その・・・ごめんなさい・・・」


「試合場にいる時は、なぜ? 広場で試合は見れたでしょうに」


「もし、マサヒデ様のお知り合いに会ってしまったら・・・恥ずかしくて・・・」


 真っ赤な顔になって、だんだん声が小さくなる。

 マツの顔が笑顔になり、声も優しくなる。


「うふふ。クレール様は恥ずかしがり屋さんなんですね」


「ふふ、マサヒデさんもここまで女性に追われるなんて、幸せ者じゃないですか」


「・・・」


「もう過ぎたことです。気にしないで下さい。

 あれがクレールさんだと分かって、ほっとしましたよ」


「申し訳ありません」


「さ、顔を上げて下さい」


「はい」



----------



 一方その頃、暗闇で。


 は! とカオルが小太刀に手を掛けた瞬間。


「レイシクランだ」


 カオルが緊張したまま、そっと小太刀を抜く。


「安心しろ。お前の監視員にはバレていない」


 とさ、と何かが足元に置かれる。


「食え。お嬢様からの差し入れだ。その間の警護は任せろ」


 カオルは小太刀を納めた。


「・・・感謝する」


「早くしろ。監視員に見つかるぞ」


「・・・」


 そっと足元の箱を開くと、かぐわしい香り。

 カオルは暗闇で、差し入れを静かに、一気に食べた。


(なんという美味か!)


 箱の蓋を閉じると、箱と気配、香りまでが消えていった。

 カオルはクレールとシェフに、心の中で手を合せた。

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