嫉妬 2

「君が、オーレリアン殿下と一緒にいるところをみると、イライラして、もやもやして、嫌な気持ちになるんだ」


 言いながら、我ながらなんて滑稽なことを言っているのだろうかと思った。

 人に対する好意的な感情がわからないくせに、このようなマイナスな感情だけは嫌にはっきりと自覚しているなんて、どうかしている。


 そんな欠陥だらけのリオンを、フィリエルはどう思うだろう。

 フィリエルはリオンを欠陥品ではないと言ったが、今のこの言葉を聞いてもまだ、彼女はそのように言ってくれるだろうか。

 俯いていると、フィリエルがつないだ手をぎゅっと手を握り返してきた。


「あの、陛下……、今言ったこと、本当ですか?」

「ああ……」


 軽蔑、しただろうか。


「本当に?」

「ああ……」

「本当に、本当……?」

「ああ……」


 なぜそんなにしつこく確認するのだろうかとわずかに顔を上げ、リオンはひゅっと息を呑む。


「フィリエル、何故泣いて……!」

「え……?」


 フィリエルは、泣いていることを自覚していなかったのだろうか。

 驚いたように大きな目を見張って、リオンとつないでいない方の手で目元を確かめる。

 目元をこすろうとしたフィリエルの手首をつかんで止めると、ぱちぱちと瞬きをしたフィリエルの目から新しい涙が零れ落ちた。

 心がざわざわとする。


(まただ。……どうしてだろう。フィリエルの涙を見ると、胸の奥が変になる)


 そっと、フィリエルの目じりに触れる。

 指に触れる暖かな雫に、胸の奥が締め付けられそうになった。


「あ、あの、あの……」


 フィリエルがふるふると小刻みに首を横に振る。


「これは、びっくり、しただけで、嫌だったわけじゃないです……から」

「……うん」


 この涙が、悲しいものではないことはなんとなくわかる。

 そっとフィリエルを引き寄せて抱きしめると、彼女は腕の中でぴくりと震えて、それからリオンの背中に遠慮がちに小さな手を伸ばした。


 髪を梳いて、そっと彼女の側頭部に頬を寄せると、シャボンの匂いだろうか、ほのかに優しい花の香りがする。

 泣いている彼女にどうするのが正解かはわからなかったが、なんとなく、こうして腕の中に閉じ込めておけば泣き止んでくれるような気がした。


「……陛下」

「うん?」

「あの、あのね」


 リオンの腕の中で顔を上げて、フィリエルが赤い顔で言う。


「わたしも、陛下と同じ気持ちになったこと、あります、よ……?」

「同じ気持ち?」

「もやもやして、イライラして……、その、陛下の、この部屋に、ブリエット・ボルデ公爵令嬢……ええっと、元公爵令嬢ですけど、彼女が来た時……えっと、わたしはそのとき、猫だったけど……」


 リオンは少し考えて、ああ、と頷いた。


「あの時か」


 ブリエットが夜に忍んでリオンの部屋に入ってきて、フィリエルを床にたたきつけたあの日だ。


(……思い出しても腹が立つな)


 あんなに小さくて愛らしかった猫のフィリエルを、何故床にたたきつけるようなことができるのだろう。


(あのとき怪我がなくてよかった)


 ぎゅっと抱きしめる腕に力をこめると、フィリエルが小さく「苦しいです」と声を上げた。

 ハッとして力を緩めると、痛かっただろうかと背中を撫でる。


「あのとき、わたしも嫌でした。陛下が……彼女と再婚するんじゃないかって、思って」

「再婚も何も、君と俺とは一度も別れたことはない」

「そうですけど……そういうことじゃなくて」

「わかっている」


 フィリエルが消えて、新しい妻を娶るようにと周囲から言われていたことは本当だ。

 リオンは認めていないが、ブリエットがその候補の一人に上げられていたのも間違いない。


「あのとき、ブリエットが陛下に触れるのがすごく嫌で……嫌だったから、つい、彼女に飛び掛かっちゃいました」


 フィリエルの耳が赤くなっている。

 赤く染まった耳が気になって軽くつつけば、フィリエルが腕の中で「みゃっ」と猫のような声を上げた。


(もう猫じゃないのに)


 フィリエルはまだたまに自分が猫だった時と今とを混同しているときがあるようだ。 


「そうか」

「……それを聞いて、陛下は、その、わたしのことが嫌いになりましたか?」

「ならない」


 即答すると、フィリエルが安心するように体から力を抜いた。


「わたしもです。陛下がもやもやしてイライラしても、わたしは陛下が好きです。……それに、陛下、そのもやもやとかイライラする感情は、たぶんですけど……、そうであったらいいなって言う願望もありますけど、その、嫉妬っていうんですよ」

(嫉妬……)


 その単語の意味は、もちろん知っている。

 しかし自分のこのどろどろとした感情に「嫉妬」という名前が与えられたのは、なんというか、少し意外だった。

 リオンは、誰かに嫉妬するなんて感情は、自分には無縁だと思っていたからだ。

 母の愛情を独り占めしていたエミルにさえ、そんな感情を抱いたことはない。

 母のことを憎んでいたからかもしれないが、大切にされているエミルを見ても、何とも思わなかった。


「……なるほど、そうか」


 わけがわからなかったマイナスの感情に名前が与えられて、ホッと安堵する自分がいる。

 わからなかった感情の意味が明確になったからだろうか、それとも、自分に嫉妬という感情が備わっていたことに安心したからなのか。

 それははっきりとしないが、今、リオンは確かにホッとした。


「俺はオーレリアン殿下に嫉妬したのか」


 リオンの妻であるフィリエルを、横から奪おうとしていたあの王子に。

 リオンのフィリエルに触れる王子に、リオンは嫉妬したのだ。


「フィリエルも、嫉妬したんだな」

「そ、そうです、よ」

「好きだから嫉妬した」

「そう、です、けど……」


 見る見るうちにフィリエルの顔が真っ赤に染まる。


「では、俺も君が好きなのか」

「え……、と」


 フィリエルがまん丸く目を見開いた。

 真っ赤な顔でびっくりしているフィリエルを見下ろして、リオンはだんだんとおかしくなってくる。


(そうか……、好きなのか)


 フィリエル以外の妻は嫌で、彼女がほかの男に触れられていると嫉妬する。

 彼女の涙を見ると心がざわめいて、抱きしめると安心すると同時に胸が苦しくなる。

 自分の感情一つ一つの理由を探すのはリオンには困難で、よくわからないものが多いけれど、これが好きだという感情なのだろうと、そしてそれは間違っていないのだろうと、なんとなく思う。


 フィリエルの赤い頬を撫で、それよりも赤い唇に触れる。

 指先で触れたフィリエルの唇は、バラの花びらのように滑らかで、いつまでも触っていたいと思った。


「フィリエル、触れてもいいか?」

「はい……あ、え?」


 反射的に頷いたらしいフィリエルが、きょとんと首をひねるがもう遅い。


 やっぱり駄目だと言われる前に、リオンはやや強引に、彼女の唇を塞いだ。




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