生誕祭 2

 生誕パーティーがはじまると、フィリエルを待ち受けていたのは、まずは忍耐の時間だった。


(毎度のことながら、顔が引きつりそう……)


 去年までもそうだったが、リオンが挨拶をした後は、大勢の貴族や賓客たちがリオンに祝いを言いにやってくるのだ。

 そのため、フィリエルはずっと顔に笑顔を張り付けておかなければならず、これがまたかなりの苦行なのである。


 何故なら挨拶に来る人間すべてがフィリエルに好意的とは限らないからだ。

 フィリエルとリオンの関係はこの約一年の間に変化したが、国中の貴族がそれを知っているわけでもない。

 そろそろ側妃を、とか、子供はまだか、などと、笑顔でフィリエルの心をえぐって来るものはそれなりにいて、そんな彼らにも笑顔で応じなければいけないことが苦しい。


 そういう相手には、リオンがさりげなくフィリエルを背後にかばって応対してくれるのだが、そうであっても傷ついた顔や怒った顔をするわけにはいかないから、常に笑顔をキープしなければならないのだ。


 三十分ほどその苦行が続いたとき、リオンの方も限界に達したのだろう。

 リオンへの挨拶は身分順なので、あとは伯爵家以下しか残っていないのをいいことに、挨拶はもう受け付けないと言い出した。

 そばに控えていた騎士団長が苦笑して、リオンへの挨拶に並んでいた列を散らしてしまう。


(い、いいのかしら……?)


 去年まではたしか一時間半は挨拶を受けるのに要していたはずだ。

 挨拶をするために並んでいた貴族たちも戸惑いの表情を浮かべている。


「フィリエル、気晴らしに踊りに行くか?」

「いいんですか?」

「今日の主役は俺だからな。一曲くらい踊っておかなくてはならない」


 そうは言うけれど、去年までは挨拶で時間を食うのをいいことに一曲も踊らなかった気がする。

 だが、もちろんフィリエルに否やはない。

 リオンに差し出された手を取って、彼とともにダンスホールへと降りていく。

 踊っていた人たちがわざわざ場を開けてくれるのを申し訳なく思いつつも、リオンと踊れるのが嬉しくて仕方がなかった。

 リオンはいつも必要最低限しか踊らないから、彼と踊るチャンスは少ないのだ。


 ちょうど曲が終わって、次の曲がはじまる。去年あたりから流行しはじめた少しテンポの速いワルツだ。この曲ははじめてだったので少し不安だったが、リオンが危なげなくリードしてくれるので足がもつれることなくステップを踏めた。

 こちらを見下ろす優しいエメラルド色の瞳にうっとりしながら踊り終えると、周囲からわっと歓声と拍手が上がる。


(きょ、今日は陛下のお誕生日だから、持ち上げてくれているんだってわかるけど、これはこれで恥ずかしい……)


 フィリエルは照れと戦いながら笑顔を浮かべる。

 平然としているリオンはさすがだと思った。

 リオンとともに一礼してダンスホールを去ると、途端にわっと人が集まってくる。

 先ほど挨拶しそびれた貴族もいるのだろう、大勢の人に囲まれて身動きが取れなくなってしまった。

 おろおろしていると、リオンがフィリエルの腰に腕を回して、もう片方の手を軽く上げる。

 それだけで人が左右に分かれて、フィリエルはぽかんとした。


(え? 何今の? 魔法? 魔法⁉)


 リオンに道を開けた人たちとリオンを見比べていると、彼が小さく笑った。


「フィリエル、びっくりした顔になっているよ」

「あ!」


 ハッと表情を取り繕うと、リオンが肩を揺らす。


「はは、そんなに驚かなくてもいいだろうに」

「だ、だって」

(はじめて見たし……)


 これまでのリオンなら、人に囲まれても適当に相手をしていただろう。

 隣にフィリエルがいても、彼がフィリエルを気遣うことはなかった。

 リオンが貴族の相手をしている間、フィリエルは笑顔を浮かべたままぽつんと立ち尽くす。去年までは、そうだったのだ。


 腰を引かれて壁際へ向かう。

 リオンはドリンクを持って回っている使用人からスパークリングワインを二つ取ると、一つをフィリエルに渡してくれた。

 玉座に戻らないのだろうかと思っていると、リオンがフィリエルの心を読んだように言う。


「席に戻ると、どうしても注目されるからな。フィリエルも疲れるだろう?」


 下に降りても注目されるのは同じだが、周囲に視界を遮るものが何もない玉座よりは、下にいたほうが見られている感じはしない。


「まだ終わりまで長いんだ。休憩だと思って少しばかりここにいよう」

「そうですね」


 リオンが先ほど追い払ってくれたおかげで人も集まってこない。

 遠巻きには見られているが、近づいてもまたリオンに追い払われると思っているのだろう。


「あ、あの、陛下。今日も、わたしの部屋にいらっしゃいますか?」

「うん? ああそうか。誕生祭までだったな。……どうしようか。あそこは寝心地がいいんだが」

(そんなにわたしのベッドの端っこが気に入ったの⁉)


 どう考えてもベッドの真ん中の方が寝心地がいいと思うのだが、リオンの感覚はよくわからない。

 リオンがうーんと考え込んでいる。

 フィリエルはどっちでも構わないが別々に寝るとだけは言いませんようにと心の中で祈った。何故なら今日、彼のために準備しているプレゼントがあるからだ。

 ヴェリアに頼んで作り方を教えてもらった、水晶で作ったインク壺である。


(プレゼントは誕生日当日に渡したいし……)


 今朝渡すことも考えたが、今日はバタバタしていたから、せっかくなら一日が終わった夜に落ち着いてお祝いしたかったのだ。

 リオンはしばらく考えて、「じゃあ、これまで通り俺の部屋においで」とちょっとだけ困った顔で笑った。

 つまり、今日からまたいつも通りに戻るのだ。


 ぱあっと笑うと、リオンが困った顔を深めて頬をかく。

 また寝られない日々に逆戻りだなあとリオンが思っていることなど露知らず、フィリエルはぐっと拳を握った。


(今日は寝相対策もばっちりだから、大丈夫!)


 ヴェリアに再三相談したところ、ヴェリアが投げやりに秘策を授けてくれたのだ。これでリオンの安眠妨害もしないはずなのである。


「リオン陛下、フィリエル王妃、こちらにいらしたんですね」


 リオンとのんびり休憩していると、しばらくしてオーレリアンがやって来た。

 誰もが遠巻きにしている中、堂々と近づいてくるあたりオーレリアンは肝が据わっていると思う。


「ええ、妻と少し休憩を」


 リオンが微笑んで応じたが、その表情は少し硬い気がした。


(きっと疲れているのよね。朝から忙しかったし……)


 休憩したかったのに話しかけられたのが嫌だったのだろう。


「そうでしたか。フィリエル王妃をダンスに誘いたかったのですけど、休憩中であればあとにしておいた方がいいですかね」

「そ――」

「大丈夫ですよ」


 リオンの言葉にかぶせて頷けば、リオンが驚いたように目を見張った。

 フィリエルはそんなリオンににこりと笑う。


(陛下、オーレリアン殿下は引き付けておくので、その間ゆっくり休んでくださいね!)


 疲れているリオンにオーレリアンの話し相手をさせるのは可哀そうだ。

 フィリエルの心の声が届いたのかそうでないのか、リオンが笑みを深くして「王妃が望むのであれば」とフィリエルの腰から手を離す。

 オーレリアンが嬉しそうにフィリエルに手を差し出した。


「それでは、フィリエル王妃。どうか僕と一曲踊ってくださいませんか」

「はい、喜んで」


 フィリエルはオーレリアンの手を取ってダンスホールへ向かう。


 リオンが暗い目をしてこちらを見ていたことには、気づかなかった。






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