生誕祭 1
リオンの生誕パーティーがはじまるのは夜だが、フィリエルはこの日は朝から大忙しだった。
というのも、賓客が大勢来ているので、お茶会だったり、会合だったりと分刻みのスケジュールが立てられているからだ。
そのほとんどがリオンと別行動で、朝起きて「お誕生日おめでとうございます」とお祝いだけは言えたけれど、彼が部屋を出てからはまだ一度も会えていない。
昼食も別々だ。
何故ならリオンは、他国の大臣たちを招いた昼食会に参加しているからである。
パーティーのはじまり二時間前にようやく仕事から解放されたフィリエルは、大慌てで準備に取り掛かった。
何と言ってもリオンの生誕祭である。
気合を入れて支度をせねばならない。
ポリーたちではまだ心もとないので女官長までやってきて、フィリエルの支度を手伝ってくれる。
入浴してマッサージをしてもらって、その後この日のために用意したドレスに袖を通すと、髪を結って化粧をして……と、大急ぎで取り掛かったに関わらず、全部終わるころにはパーティーのはじまり十五分前だった。
「フィリエル、準備はできたか?」
迎えに来たリオンに返事をして扉を開けると、廊下には盛装のリオンが立っていて、思わずぼーっと見入ってしまう。
(うわ、陛下、今日もカッコイイ……)
今日のリオンは黒の盛装だった。
上着には金糸で細かい刺繍が入っていて、紫色のクラバットがよく似合う。
淡い茶色の髪は額を出すように後ろに撫でつけられていて、そのせいで綺麗なエメラルド色の瞳がいつもよりしっかりと見える気がした。
「よく似合っているよ」
瞳を柔らかく細めてリオンが言う。
フィリエルは自分のドレスを見下ろして、照れながら答えた。
「陛下の瞳の色に合わせてみたんです。その……生誕祭ですし」
フィリエルがまとっているのはリオンの瞳と同じエメラルド色のドレスだ。
去年までは色なんて気にしなかった――というよりは、侍女が出したドレスをそのまま着ていたので、彼の色を纏うことは一度もなかった。
気恥ずかしくてもじもじしていると、リオンもうっすらと頬を染めて視線を左右に揺らす。
「そ、そうか。その……、俺も、クラバットを君の瞳の色にしてみた。おそろいだな」
「お、おそろい……ですね」
(なんかよくわからないけどすごく照れる……!)
二人そろってもじもじしていたら、部屋の中から女官長の咳払いが聞こえてきた。
「お二人とも、仲がよろしいのは結構ですが、お時間に遅れますよ」
「あ、そうだな。行こう、フィリエル」
リオンがハッとして、フィリエルに腕を差し出した。
リオンの腕に手を添えて、ゆっくりと歩き出す。
今日の主役であるリオンは、パーティーがはじまったあとで登場することになっている。
呼ばれるまでは控室で待機なので、彼のパートナーであるフィリエルもリオンと一緒に控室に入った。
控室にはカットフルーツやサンドイッチなどの軽食が置いてある。
二人掛けのソファに並んで座って、フィリエルはフルーツに手を伸ばした。
「陛下も少し食べられた方がいいですよ。お腹がすいているときにお酒を飲んだら酔ってしまいますから」
パーティーではお酒がふるまわれるし、リオンの元には大勢の人が挨拶に来るので必然的に飲む量も増える。
「ああ、そうだな」
フィリエルがサンドイッチを勧めると、リオンはその中から鴨の燻製肉が挟んであるものを一つ手に取った。
一つ食べると、空腹であることを自覚したのだろう。リオンの手がすぐに二つ目に伸びる。
「そういえば、オーレリアン殿下とステファヌ殿下とお茶をしたのだろう? その……、大丈夫だったか?」
フィリエルはその質問にぎくりとした。
今日の昼すぎに、フィリエルは城のサロンで兄とオーレリアンとお茶をした。
(最初は穏やかなただのお茶会だったんだけど……)
おかしいなと思いはじめたのは、オーレリアンが何かとコルティア国でのフィリエルの生活の様子を聞きたがったあたりからだった。
何かを探られていると感じつつも質問を無視することもできず、答えられる範囲で答えていると、オーレリアンは急に真剣な顔になって、「あなたが心配なんです」と言い出した。
――もしあなたが望むなら、僕はあなたを助ける用意をしています。
これにはステファヌも焦って、フィリエルが現状に満足していると伝えてくれたけれど、兄やフィリエルがいくら言葉を重ねても、オーレリアンは納得したようには見えなかった。
(思い込みが激しい方なのかしら……)
フィリエルはリオンと離縁するつもりはない。
ステファヌを通してきっぱりと求婚に断りを入れてもらったはずなのに、彼はまだ諦めていないのだろうか。
「フィリエル?」
お茶会を思い出しながら黙って考え込んでいると、リオンがフィリエルの頬に手を添えて顔を覗き込んでくる。
「オーレリアン殿下に何か言われたのか?」
「え? ええっと、いえ……とくには」
さすがにあの場での会話は伝えられないだろう。リオンが大事にするとは思えないが、王妃に他国の王子が横恋慕をすれば、国際問題に発展することもある。
(オーレリアン殿下もそれがわからないはずはないと思うのに)
それとも、リオンならば気にしないと思っているのだろうか。
オーレリアンはフィリエルがコルティア国でどういう扱いを受けていたのか情報を持っているようだし、蔑ろにしているくらいだから、あっさりとリオンがフィリエルを手放すと思っているのかもしれない。
「本当か? まさか、また求婚されたんじゃないだろうな」
「え⁉ ち、違いますよ!」
あれは求婚ではなかったはずだ。
ちょっと際どい言い方をされたが、「結婚してください」と言われていないのだから求婚ではない。そういうことにしておきたい。
ぶんぶんと首を横に振るフィリエルの顔を、リオンがじーっと見つめてくる。
近い距離で見つめられて、フィリエルの顔がボッと赤くなった。
「顔が赤い」
「陛下が、見つめてくるからです……」
「見つめられると君は赤くなるのか?」
「だっ、誰だって……なると、思います」
好きな人に見つめられたら。
「では、俺も赤くなるのだろうか」
「そ、それは、わかりません、けども……」
フィリエルはそーっと顔を上げると、リオンのエメラルド色の瞳をじっと見つめる。その中には羞恥で情けない顔をしたフィリエルの顔が映っていた。
(陛下の目、いつ見ても綺麗……)
フィリエルが猫になる前までは、こうしてリオンと視線が絡むことはなかった。
きちんとフィリエルを見つめてくれるリオンに何とも言えない感慨を覚えていると、突如、リオンの頬にぱっと朱が散った。
リオンは慌てたように視線を逸らして、ぎゅっと何かに耐えるように眉を寄せる。
「その、わかった……から、あんまり見ないでくれ。落ち着かない……」
「あ、は、はい、ええっと、ごめんなさい……?」
「いや、謝る必要はないんだが、その……」
リオンがさらに赤くなるから、フィリエルまでもっと顔に熱がたまっていく。
お互いがお互いの顔を見ることができず俯いていると、コンコンと控室の扉が叩かれてフィリエルは飛び上がった。
「にゃっ」
猫になっていたときの癖が完全に抜け切れていないフィリエルが小さく叫ぶと、リオンがぷっと噴き出す。
「時間のようだ、行こうか」
「そ、そうですね」
差し出しされたリオンの手に手のひらを重ねると、きゅっと優しく握りしめられた。
フィリエルはまだドキドキしている心臓の上をもう片方の手で押さえると、どうか繋いでいる手から鼓動が伝わりませんようにと祈ったのだった。
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