猫王妃と離婚危機
猫王妃の日常 1
初夏。
だんだんと日差しが強く眩しくなり、全身毛に覆われている猫には厳しくなってきた季節。
「ふふ、見て。フィリエル王妃様ったらまたあんなところで涼んでるわ」
「本当。かわいい~」
くすくすとメイドたちが笑う声が届いてきて、最近見つけた納涼スポット――すなわち、一日を通してほとんど日が入らない廊下の隅で、べちゃーっと長くなってだらけていたフィリエル(猫)は、「みゃ?」と顔を上げた。
リオンとヴェリアと相談した結果、騎士団長にも見られたことだし、このままフィリエルのことを秘密にしておくよりも、公表した方がいいのではないかという結論に至った。
ただし、リオンとの夫婦でいるのがつらくなった、などと馬鹿正直に公表しようものなら大問題である。
城の人間はリオンとフィリエルの夫婦仲が冷え切っていたことを知っていただろうが、公務のときはそれでも取り繕ってはいた。国王夫妻が不仲などという情報は付け入られる隙にもなるので、絶対に面に出してはならない。
よって、いろいろ案を出し合った結果、ヴェリアが投げやりに言った「散歩中に悪い魔女にあって猫に変えられた」という案を採用することにした。
もちろん、ヴェリアが魔女だと公表することはできないしヴェリアも嫌がるので、架空の魔女を出ちあげて、である。
最初はこの猫は本当にフィリエルなのかと半信半疑になられたが、リオンと、それから騎士団長の証言もあって、今では城の人間たちに受け入れられていた。
というより、人間だったころよりもずっと友好的に接せられている。
愛玩されている、と言い換えることもできそうだ。
ちなみに、ヴェリアは今も五十歳ほどの女性の姿を取って獣医として働いているが、フィリエルがヴェリアのところに遊びに行っていると、猫好きのメイドや兵士や侍女たちが部屋に押しかけてくることもあった。ヴェリアは迷惑そうだが、最近では諦めつつある。
リオンの命を狙ったとして、王太后は北の塔に幽閉となった。さすがに実母を処刑すれば外聞が悪いので、見張りをつけて一生塔に閉じ込めておくことにしたという。
ボルデ宰相は処刑。ボルデ公爵家は取りつぶされ、今回の件に関わった人間たちは皆処罰されたが、メイドのポリーだけはフィリエルがかばったので軽い罰だけで許された。
これにより、もともとフィリエルについていた侍女は全員解雇、罪の重さによって処罰された。
侍女頭のエーヴは計画に多く加担していたこともあって処刑。他の侍女も全員ボルデ公爵とつながっていたことが判明した。
ほかにも関係者が大勢あぶりだされて、この短期間で、城の人事は大きく変わった。
大勢の人が入れ替わると、当然あちこちにしわ寄せがくる。
リオンはとても忙しそうだ。
「あ! お猫様……じゃなくて王妃様! やっぱりここにいましたね!」
ぱたぱたと軽やかな足音がして首を巡らせると、ポリーがこちらに駆けてきているのが見えた。
(あーあー、また廊下を走って。怒られても知らないわよ?)
フィリエルは今猫だし、改めて侍女を雇う必要もない。ゆえに、世話係のメイドを何人かつけるということで落ち着いて、フィリエルがその一人にポリーを推薦した。
「そろそろ夕方ですからお部屋にお戻りください。陛下も先ほど仕事を終えられてお部屋に戻られました。王妃様を探していらっしゃいますよ。なんでも今日はお風呂――」
「にゃあああああああああ‼」
「あ! 王妃様⁉」
お風呂、の単語にフィリエルは脱兎のごとく駆けだした。猫だけど。
「待ってください~! 王妃様~! 誰か王妃様を捕まえて~‼」
ポリーが叫びながら追いかけてくる。
フィリエルがにゃーにゃー騒ぎながら走り回っていると、メイドや兵士たちが「お風呂ね」「風呂か」「入浴日だな」と笑いをかみ殺すような顔をして、ポリーの頼みを聞いて追いかけてきた。
「にゃー!」
(なんで毎度毎度追いかけてくるの~‼)
それは、毎度毎度フィリエルが逃げるからに他ならないが、それにしてもあんまりだとフィリエルは思う。
猫になった王妃は風呂嫌い。逃げたら捕まえるべし。これが城の中では暗黙の了解となっていることなど、フィリエルは知らない。
(お風呂いやお風呂いやお風呂いや‼)
何が一番いやかと言われれば、相変わらずリオンの手によってお風呂に入れられることである。もちろんリオンも一緒で、真っ裸だ。
(なんでよ! おかしいじゃない! わたしの正体わかってるのに‼)
リオンの思考回路はちょっとよくわからない。
もともと一緒にお風呂に入っていたのだから今更恥ずかしがることもないだろうと、さも当然のような顔をしてフィリエルの目の前で全裸になるのだ。もっと羞恥心とか持ってほしい。外見は猫だけど中身はフィリエル、つまりリオンの妻だ。
(妻の目の前で裸になるとか――……あれ?)
妻の目の前で夫が裸になるのは間違いだろうか。
赤の他人ではなく夫婦だし、本来夫婦は裸のお付き合いと化するんだろうし、間違っていないような気がしてきた。
(いやでもわたしが恥ずかしい時点できっと間違い‼)
フィリエルは強引にそう結論づけて、だーっと廊下を駆け抜ける。――が。
「にゃあんっ」
べしゃっ、と何かにぶつかって、フィリエルはひっくり返った。
フィリエルが起き上がる前に、誰かがフィリエルを抱き上げる。
ぱちりと、綺麗なエメラルド色の瞳と目が合った。
「にゅあああああああああああっ」
「捕まえたよフィリエル」
にっこりと極上の、けれどもフィリエルには悪魔の微笑みにしか見えない笑みをたたえた、夫リオンである。
魔王につかまった子ウサギはこんな気持ちだろうか。
ぷるぷると震えるフィリエルを腕に抱きなおし、リオンは妙に上機嫌な顔で、捕獲した猫――もとい、自分の妻を連れて自室へ向かって歩き出した。
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