猫王妃の日常 2

「にゃあああああああ‼」

(い~や~~~~~~~!)


 フィリエルの絶叫が、バスルームに大きくこだました。


「フィリエル、いい加減慣れてほしいんだけど」

(慣れるかー‼)


 むしろ、自分がフィリエルだと気づかれてしまったから、余計に恥ずかしくて仕方がないのだ。


(猫のシャンプーとか、メイドに任せればいいじゃないっ。なんで相変わらず陛下がわたしをお風呂に入れるの⁉)


 ポリーも少し前に、「王妃様のシャンプーはわたしがしましょうか?」と訊いてくれたのだ。それなのにリオンが「俺がするからいい」とせっかくの申し出を突っぱねてしまったのである。


 フィリエルは未だに人間には戻らない。

 人間に戻ったのは、たった一度、リオンを毒矢からかばおうとしたときだけだ。

 たぶんあの時は、無意識に猫の姿ではリオンを守り切れないと思ったのかもしれない。

 ヴェリアの言う、「本心から人に戻りたいと思ったら戻れる」という言葉の意味はまだ理解できないが、また同じような状況になれば元に戻れるような気がした。


 が、同じような状況とはリオンが命の危険にさらされた時ということなので、もう二度と会ってほしくないと思っている。

 ということは、このままフィリエルは元には戻れないのかもしれない。


(ああ……)


 とりあえず、「王妃蒸発」だと思われていたのが、「王妃猫化」に変わったのだから、少しは状況が改善したとみていいだろうか。

 それともこれは悪化だろうか。

 ともかく、猫であっても王妃がいるからか、リオンへ後妻の話は持ち込まれていないが、そのうち側妃の話が持ち上がるのは必至かもしれない。何故なら猫のままでは妃の務めを果たせないから。


(やだなあ……)


 ブリエットのような女が現れたら、フィリエルはまた噛みついてしまうかもしれなかった。

 王太后が幽閉されても、リオンの弟エミルは相変わらず城の敷地内の離宮で生活しているし、跡取り問題はそれほど切羽詰まってはいないと思いたい。


 あれからリオンも思うところがあったのか、少しずつ頑張って人とコミュニケーションを取ろうとしている。

 これまで避けていたエミルとも、少しは会話ができるようになったし、エミルはもともと純真無垢で可愛らしい性格をしているので、リオンさえ歩み寄れれば兄弟仲はすぐに改善する妥当と思われた。

 十歳とは言え、王子として相応の教育を受けてきたエミルは、母が捕縛されて幽閉されたことにショックは受けたものの、国王を殺害しようとした罪の重さは理解しているようだった。

 まだ完全にはその事実を消化できてはいないようだが、判断を下したリオンを責める様子はない。むしろ、一緒に暮らしていた母親がリオンの命を狙っていたことに気づけなかった自分を責めているようだった。


(エミル様可愛いのよね~)


 王太后を幽閉してから、リオンも気を使ってエミルの様子を見に行くようになっている。

 準備が整い次第、エミルを離宮から城の部屋に移すとも言っていた。


「フィリエル、泡を流すぞ」


 できるだけ現実を見ないようにしていたのに、リオンのその一言で現実に引き戻されてしまった。

 わしゃわしゃとフィリエルを泡だらけにして洗っていたリオンが慎重に泡を流していく。


(うう、だからね、目の前でね、しゃがまないでほしいの!)


 ぎゅうっと目を閉じてフィリエルはぷるぷると耐える。

 絶対見ない絶対見ない絶対見ないと心の中で唱え続けていると、「相変わらず水が怖いんだな」とリオンが苦笑した。


(水も怖いけど、それ以前の問題ですっ)


 ヴェリアに、一緒にお風呂は嫌ってリオンに伝えてほしいと頼んだのに、「人間に戻ったらもっとすごいことをするんだから、今から慣れておいた方がいいんじゃないのかい」とさらっと言われて脳が沸騰しそうになったし、リオンはリオンでヴェリアの「この子が、人に戻りたいと心の底から思うように、これからこの子を大切にすることだ。でないと、あんたの妻は一生猫のままだよ」という余計な言葉の意味を、スキンシップを取ることだと曲解している節があった。

 裸のお付き合いをスキンシップの一貫にされたはたまったものではないが、フィリエルの苦情をヴェリアが通訳してくれないからどうしようもない。


「はい、終わり」


 泡を流し終わったリオンが、ひょいと濡れネズミ状態のフィリエルを抱えてバスタブに入る。

 この暑い初夏に温かいお風呂とか意味がわからないと、フィリエルはぐてっとリオンの腕によりかかった。

 これから夏本番になっていくと思うと北の国に移住したくなってくる。


「みゃ~」

(そろそろ上がりたいな~)


 上目遣いで訴えてみると、どうやらリオンに心が伝わったらしい。

 リオンはにっこりと微笑んだ。


「あと十秒ね」

「にゃ~にゃ~にゃ~にゃ~にゃ~……!」


 早くお風呂から上がるべく、フィリエルが高速で猫語で十を数えだすと、リオンに何故か爆笑されてしまった。




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