心に触れた日 4
(うぅ、なんか恥ずかしいんだけど……)
猫になった経緯を説明してくれるのはいいのだが、ヴェリアはちょっと、誇張表現が多いと思う。
「この子はいつも泣いていてね、あんたには顧みられないし使用人たちには馬鹿にされるし、味方が誰一人いないような状況でずーっと五年も耐え続けたんだ。そしてついに耐え切れなくなって、もう、人間でいることすら嫌になったんだよ。全部あんたのせいだ、わかっているのかい? それはもう、いっつもいっつも、ウサギみたいに真っ赤に目を腫らしていたんだよ」
「にゃあああああ」
(もうやめて――!)
そんな情報は必要ない!
さらっと流してくれればいいのに、泣いていたとか目を腫らしていたとか、フィリエルの恥ずかしい過去を赤裸々に語ってくれるヴェリアに、フィリエルは悲鳴を上げた。
リオンが神妙な顔で聞いているから余計に恥ずかしい。
「ちょっとフィリエル黙っておいで。ここからがいいところなんだから」
「みゃああああああ!」
(何がいいところよ! 恥ずかしくて死んじゃうわっ)
「何いってんだい。せっかくの機会なんだから、ここぞとばかりに陛下にダメージを与えて反省させなくてどうするんだい!」
「……それを本人の前で言わないでほしいんだが」
「わざとだよ」
「そうか……」
なんか、リオンがすっごく可愛そうなことになっている。
「魔女殿は……」
「ヴェリアでいいよ」
「ヴェリアは、その、フィリエルの姉か母親のようだな」
「そんな安っぽい言葉で片づけないでほしいね。あたしはこの子の、唯一の友達だよ。唯一の、ね。あたしもこの子しか友達がいないから、お互いがお互いだけだ。名前だけの夫のあんたとは絆が違うんだよ」
「にゃああああああ!」
(ヴェリアー! そのくらいで! 嬉しいけど、嬉しいけど、陛下をいじめるのはダメだと思う!)
「まったく、あんたは本当に甘いねフィリエル」
ヴェリアが何故かフィリエルにあきれ顔を向けたが、あきれ顔をしたいのはフィリエルの方だ。淡々と事実だけ話してくれればいいのに、何をしてくれているのだか。リオンにダメージを与えると言ったけれど、確実にフィリエルにも羞恥という名のダメージを与えていることに気づいてほしい。
にゃあにゃあとフィリエルが喚いていると、ヴェリアが「うるさい子だね」と嘆息する。
(いや、おかしいから! 話ができないわたしのかわりにヴェリアが説明してくれるのはありがたいけど、代弁者であるヴェリアが、わたしの意思を無視して暴走するのはおかしいから‼)
腑に落ちない。
けれどもヴェリアは一向に止まらず、猫になる前から現在までのフィリエルの恥ずかしくも情けない様子まで全部を語ってくれて、フィリエルはあまりの恥ずかしさにソファの肘置きと背もたれの隙間に顔を突っ込んだ。
隠れてないよ、とヴェリアのツッコミが入るが、聞こえないふりをする。
全部を聞かされたリオンはリオンで、どうやらショックを受けてしまったらしく、何も言わない。
顔を上げられなくて、みゃうみゃう鳴いていたら、背中に手が触れる感触がした。
「にゃうっ」
びくっと震えると、ぱっと手が離されて、またおずおずと背中に触れられる。
その手は優しくフィリエルを撫でながら、リオンが「フィリエル」とささやいた。
「フィリエル……、ごめん」
もう謝ってもらったし、リオンの事情も教えてもらったから、これ以上の謝罪は必要ないのに、リオンは罪悪感に打ちのめされているようなしょんぼりとした声で謝った。
「ごめんなんて言葉一つで許してもらえるはずないだろう? あんたはこれから一生かけてこの子に償うんだね」
(ヴェリアー!)
もういいのに! 本当にもういいのに! リオンだっていっぱい傷ついてきたのだから、フィリエルは彼を責めるつもりはこれっぽっちもないのだ。
(それに、どう考えても、結婚したときにふざけたことを言った宰相が悪いんじゃないっ。最後にやっぱりあの顔引っ搔いてやりたい!)
ふざけたことを言ってリオンとフィリエルの夫婦関係をぶち壊したばかりか、王太后と結託してリオンを亡き者にしようとしたのだ。宰相、絶対に絶対に許すまじ!
「にゃー!」
(それよりヴェリア! なんかわたし、あの時一瞬だけ人に戻ったの。なんで戻ったの? わたし、戻れるの?)
さっさと話題を変えておかないと、ヴェリアがここぞとばかりにリオンを攻撃しそうな気がする。
フィリエルが問えば、ヴェリアが肩をすくめた。
「ああ、元に戻る方法かい? あるにはあるけど、あたしには戻せないよ」
「にゃ⁉」
「というより、あんた、たぶんまだ人に戻りたいと思ってないよ」
(どういうこと?)
フィリエルはソファの背もたれと肘置きの隙間にずぼっと突っ込んでいた顔を上げると、首をひねった。
リオンがそっとフィリエルを膝の上に抱き上げる。
「ヴェリア、フィリエルが元に戻る方法はあるけれど戻せないとはどういうことだろう。それに、フィリエルがまだ人に戻りたいと思っていないとは?」
「にゃーにゃー!」
(そうよ、どういうこと? わたし、戻ってもいいよ⁉)
猫のままだとリオンと意思疎通もままならないのだ。宰相とか王太后とかの件でバタバタするだろうから、フィリエルもできることなら彼のサポートをしたい。今のリオンなら、以前の彼のようにフィリエルの存在を無視したりしないはずだ。
「あんたもフィリエルも、魔女が万能だと勘違いしているんじゃないだろうね」
「にゃ?」
(違うの?)
「違うよ」
「にゃー?」
(でもヴェリア、何でもできるじゃない)
「そりゃあ、あたしは優れた魔女だよ。だいたい何でもできるね。でも、さっきも言ったように万能じゃないんだよ。大体よく考えてみな。魔女や魔法使いが簡単に人を動物に変えられるのなら、この世界は大混乱に陥るよ。魔女一人で国一つ壊滅させるのもわけないだろうね。何なら全員ウサギか何かに変えちまえばいいんだから」
(た、確かに……)
人間をやめたいとフィリエルが訴えたとき、ヴェリアはあっさりとフィリエルを猫にしてくれたから簡単なのかと思っていたが、そんな恐ろしい魔法が簡単に使えるなら世界中大混乱だ。
何も考えてなかったね、と睨まれて、フィリエルはついと視線を逸らす。
(いやだって、あのときは自分のことでいっぱいいっぱいだったし? 頭とかあんまり回ってなかったと思うし?)
あっさり猫にしてもらって単純に感動していた。たぶん、王妃としては失格なやつだ。この魔法の危険性をまったく持って考えていなかったのだから。
「この魔法は呪いに近い。ああ、勘違いするんじゃないよ。あんたを呪ったわけじゃない。ただその呪いを応用しただけだ。ただの呪いならあたしにも跳ね返る可能性が高いし、かなりの寿命を縮めるけど、あんたにかけたのは呪いを応用した制約つきの魔法だ。普通ならかからない。というか、欠点だらけの馬鹿らしい魔法だから、たぶん、あたし以外に使おうなんて考えるやつはいない」
「欠点だらけとはどういうことだ?」
リオンが、呪いの応用という単語に表情を険しくした。
フィリエルはヴェリアがフィリエルを害するなんてこれっぽっちも思っていないが、もともと人が信じられない彼にはそうではないのだろう。フィリエルを、ぎゅっと、守るように抱きしめる。
「この魔法の欠点は二つ。一つ、魔法は永遠に、それこそかけた本人でも解けないこと」
「にゃ⁉」
(永遠⁉)
「最後までお聞きよ。……二つ、フィリエルが心から人間でいたいと思えばあっさりもとに戻っちまうこと。つまりフィリエル、あんたがさっき元に戻ったのは、無意識のうちに元に戻りたいと思ったからで、今猫なのは、人間に戻りたくないと思っているからだ」
「みゃ?」
(そんなことないと思うけど)
「心からって言ったろう? ただ『戻りたい』と思っても仕方ないんだよ。思考とか意識とか関係ない、心の底からあんたが人間でいたいと思わないと戻らない。たぶん、あんた、まだ人間に戻ることを怖がってるよ」
「……にゃ~?」
(そう、なのかな……)
よくわからない。
フィリエルがこのまま元に戻らないと、リオンが大変かもしれない。
彼もフィリエルに向き合おうとしてくれているから、今なら元に戻ってもそんなに怖くないと思う。
だから戻ってもいいのだけれど、そんな気持ちではダメということだろうか。
うーんと唸っていると、リオンが固い声でヴェリアに訊ねた。
「つまり、フィリエルが心の底から戻りたいと思わない限り、彼女は一生猫のままということか」
「そうなるね」
(そうなるね、じゃなーい! けろっとした顔で言わないでー! もとはと言えばわたしが頼んだことだから文句は言えないけど、でも……!)
ヴェリアに頼んだ時は心の底から人間をやめたいと思っていたし、二度と元に戻るつもりはないと思っていた。
しかし、自分の意思ではどうにもできない、自分でもはっきりとはわからない心の奥底の本当の気持ちが人に戻りたいと思わなければ戻れないとか……、なんか、一生戻れない気がしてきた。
(人間に戻りたいってどんな気持ち⁉ よくわかんないんだけど!)
こんなことを考える時点で終わっている気がする。
にゃーと魂を飛ばしかけていると、ヴェリアが嫣然と微笑んだ。
「まあ、せいぜい頑張るんだね国王陛下。この子が、人に戻りたいと心の底から思うように、これからこの子を大切にすることだ。でないと、あんたの妻は一生猫のままだよ」
せっかくリオンとの関係が改善したというのに、前途多難である。
「にゃ~~~~~~~~」
フィリエルは、がっくりとうなだれた。
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