心に触れた日 3
なんとなくリオンが人嫌いではないかと感じていたものの、彼の心にあったのは、フィリエルが想像だにできないほどの大きな傷だった。
(口に出すのも、つらかったと思うのに……)
きっと思い出したくもない過去だったろうし、誰かに知られるのも嫌だっただろう。
それなのにリオンは、フィリエルに伝えることを選択してくれた。
リオンはもしかしたら、フィリエルに心を開こうとしてくれているのかもしれない。
そう感じたから、フィリエルも全部を説明しなければならないと思った。
(でもわたしには話ができないから……)
ヴェリアは、魔女だと知られることを嫌っている。
だから彼女の選択に任せようとは思うけれど、ひとまずリオンを彼女のもとに連れて行きたかった。
フィリエルが人間に戻れた方法も、戻る方法も、ヴェリアは知っているかもしれない。
ヴェリアがフィリエルを人間に戻すことができたら、自分の口からすべてを話せるし、そうでなければヴェリアの判断にゆだねたい。
獣医師の部屋の前に到着すると、フィリエルはかりかりと扉をひっかいた。
追いついてきたリオンが不思議そうな顔で「ここ?」と訊ねる。
ややして扉が開いて、ヴェリアがきょとんと目を丸くした。
「これは陛下。ああ、お猫様を預かるんですか?」
「にゃあ! にゃーにゃーにゃー!」
(違うの! あのね、さっきね!)
王太后の暮らす離宮での出来事を説明すると、ヴェリアがさっと表情をこわばらせた。
「にゃあにゃあにゃあ!」
(ヴェリアは正体を知られたくないと思うから、言いたくなければ話さなくていいけど、わたしが元に戻れる方法があったら教えてほしいの!)
ヴェリアは数秒ほど悩むそぶりを見せて、扉を大きく開いた。
「ひとまず中へどうぞ」
「あ、ああ……」
フィリエルがたっと部屋の中に駆けていくと、リオンが首をひねりつつ、部屋の中に入る。
ヴェリアはリオンにソファを勧め、
(あ……)
ヴェリアとリオンの前にはティーカップ、そして、リオンの隣に座ったフィリエルの前には、飲み皿に入れた紅茶が置かれる。
リオンが目を丸くした。
「え? ……あ、いや」
猫に紅茶。その違和感のある組み合わせに、リオンが明らかに困惑していた。さっきリオンが頼んだ時のメイドと同じ顔だ。
ヴェリアがふっと笑う。
「心配しなくても、あたしは事情を知っています。……というよりは」
ヴェリアがパチン、と指を鳴らした。
その瞬間、カーテンがひとりでに全部閉まり、扉の鍵がガチャリと音を立ててかかる。
(すごい!)
フィリエルは純粋に感動したが、リオンは驚愕に顔を引きつらせていた。
五十ほどの丸眼鏡の女の外見だったヴェリアが、一瞬で三十前後の妖艶美女の姿になる。
「その子を猫にしたのは、あたしだからねえ」
足を高く組んで、魔法で宙に浮かしたティーカップを手に取り、優雅に口を運ぶ。
「魔女……」
リオンが、ひゅっと息を呑んだ。
驚くのも無理はないだろう。魔女や魔法使いは、世界にほとんどいない。ほとんどいないことになっている。ヴェリアによると、魔女や魔法使いがうまく隠れているからだというが、それでも数が少ないのは間違いなかった。
リオンが、警戒したように腰の剣に手を伸ばすに気づいて、フィリエルは「にゃあ!」と大きく鳴いた。
その声にハッとして、リオンが動きを止める。
困惑顔をフィリエルに向けて、それからヴェリアを見、「君はこの魔女を信用しているのか」と訊ねてきた。
にゃあと鳴いて頷けば、リオンが剣の柄から手を離す。
「そうか。……君が信用しているのなら、いい」
ヴェリアが意外そうに目を見開いた。
フィリエルもちょっと驚く。
(わたしのこと、信じてくれたの、かな?)
相手は魔女だ。
例えばフィリエルとヴェリアが共謀してリオンの命を狙っていたとすると、たぶんリオン一人では勝てないと思う。
フィリエルはまったく戦力にならないだろうが、問答無用で殺しあえばヴェリアに軍配が上がるだろう。ヴェリアはたぶん、かなり強い。
ここに、リオンの護衛はいないのだ。
フィリエルは、自分が猫になる前のリオンのことをよく知らないけれど、これまでの彼ならば決して剣から手を離さなかった気がした。彼はどこか、変わったのかもしれない。
フィリエルのことを信じているのかどうかははっきりしていないが、信じようとしてくれているのは間違いない気がした。
それが、どうしようもなく嬉しい。
リオンはまっすぐにヴェリアを見つめた。
ヴェリアはそんなリオンを、じっと黒い瞳で見返す。
「にゃー?」
(ヴェリア……なんか、怒ってる?)
「そうさねえ」
ヴェリアはフィリエルに視線を向けて、小さく笑った。
そして、ティーカップを置くと、リオンに人差し指を突きつける。
「最初に言っておくけど、あたしはあんたが嫌いだよ。あんたはこの子を傷つけた。五年もだ。この子が許しても、たぶんあたしは一生あんたを許さない。それだけは覚えておくんだね」
きゅっと、リオンが唇を引き結んだ。
肩に力が入ったのがわかって、フィリエルはおろおろする。
「にゃあ」
(ちょっとヴェリア……)
「あんたが何を言ってもこれは譲らないよフィリエル。あんたはすぐに傷つく癖に甘いから、もう許した気になっているのかもしれないけど、あたしは許さない。過去は消えないからね。まあ、あたしが許さなくたって、国王陛下にゃ痛くもかゆくもないだろうけどさ」
ヴェリアは、はあ、と息を吐き出した。
「でもまあ、フィリエルが望んでいるから知りたいことがあったら教えてあげるよ。今のこの子の言葉はあんたにはわかんないだろうからね」
あたしはわかるけど、とにやりと笑うヴェリアに、リオンが眉を寄せる。
リオンが怒ったらどうしようとハラハラしていたが、彼はヴェリアの態度に怒り出したりはせずに、姿勢を正すと、ヴェリアに向かった頭を下げた。
「それで構わない。頼む。フィリエルがどうして猫になったのか、教えてほしい」
他人に頭を下げることのない国王が頭を下げたのを見て、ヴェリアが意外そうに瞠目した。
それからやれやれと息を吐くと、「まあいいさ」と言って、語り出した。
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