王太后への挨拶 1

 ポリーを連れてヴェリアの部屋へ飛び込むと、のんびりお茶を飲んでいた彼女は丸眼鏡の奥の瞳をぱちくりとしばたたいた。


「ええっと……どうしたんだい?」


 フィリエルに視線を向けてから、人前で猫に訊ねるのはおかしいだろうと思ったのか、ヴェリアはポリーに視線を移す。


「にゃーにゃーにゃー!」


 しかしポリーは戸惑っていて何も言わないので、フィリエルが横から説明を入れると、ヴェリアは「なるほどね」と言うようにフィリエルに視線を向けてから、ポリーにソファを勧めた。

 フィリエルが説明を入れたものの、ここでヴェリアが事情を察しているとはポリーにはわからない。


(でもまあ、ヴェリアだもの。うまく情報を引き出してくれるはずよ!)


 他力本願もいいところだが、今は猫でヴェリア以外には言葉が通じないのだから仕方ないのだ。

 ヴェリアは「さてどうしたものか」と言いたそうな顔をして、指先で顎を叩いた。

 フィリエルはぴょんとヴェリアの隣に飛び乗る。

 ポリーが困惑しつつもヴェリアの対面に腰を下ろした。


「あ、あのぅ……、もしかして、お猫様が咥えて逃げた瓶、ここにあるんですか?」


 ポリーから話題を振ってくれて、ヴェリアが好都合と言わんばかりに口端を持ち上げた。

 ヴェリアは立ち上がり、薬草などが納められている棚に向かう。


「これのことかい?」

「あ!」

「にゃ⁉」

(え? それって昨日、ヴェリアが魔法で処分しなかった⁉)


 跡形もなく消え去るのを、フィリエルも見たはずである。

 驚いていると、ヴェリアがぱちりと片目をつむって見せた。


(ああ、なるほど、これも魔法……)


 一度消したはずの瓶と同じものを作ったのだろう。中身は違うだろうが、毒かどうかなんて見た目ではわかるまい。


「みゃあ!」

(ヴェリアすごい!)


 ヴェリアは得意げに口端を持ち上げて、瓶を持ってソファに戻った。

 ポリーの前で瓶を揺らすと、ポリーがそれに手を伸ばしたくてうずうずしているような表情を見せた。


「昨日この子……お猫様が持って来たんだけど、これ、なんなんだい?」

「わたしは、知りません」

「本当かい?」

「本当です。知らないんです。でも、それがないとわたし、メイドを首になっちゃいます。うちの家、お金がなくて……。お父さんが怪我をして働けなくなったから、わたしがしっかり働かなきゃいけないんです。弟も妹も小さくて……。それ、返してください‼」

「返してくれと言われてもねえ……」


 ヴェリアはフィリエルに目を向けてから、悩むそぶりを見せた。


「これ、お猫様が持って来たからねえ。お猫様は陛下の愛猫だ。本来であればこれは陛下にお届けするべきじゃあないかい?」

「だ、ダメです! だってそれは、王太后様にお届けするものだって……!」

(王太后様⁉)


 フィリエルはぎょっとした。

 もともとフィリエルが持って来た瓶の中には猛毒が入っていた。そんなものを何故王太后に届けるのだろう。


(まさか王太后様を毒殺⁉ いやでも、届けるって言ったよね?)


 ということは、王太后がこれを欲していたということだろうか。


(なんか、嫌な予感がむくむくと膨れ上がっていくわ……)


 王太后――リオンの母は、十五歳離れたリオンの弟とともに、城の敷地内にある離宮で暮らしている。

 離宮から城までさほど離れていないが、王太后は離宮から滅多に出ることはなく、フィリエルも季節に一度のお伺いのときに会うだけだった。

 王太后はリオンの弟のことは可愛がっているようだったが、リオンに対しては冷淡で、会ってもにこりとも笑わない。

 それはリオンもで、冷え切った母子の関係に、フィリエルはいつも胃が痛くなる思いだった。


(そういえばそろそろ、陛下が王太后様のもとに行く時期よね。……まさか)


 王太后は、あの猛毒をリオンに使うつもりだったのだろうか。

 そこまで考えて、まさかねと首を横に振る。

 いくら関係が冷え切っていても、リオンは王太后の息子だ。前王には何人かの愛人がいたと聞いたことがあるが、子をなしたのは王妃だった王太后だけ。ゆえにリオンが王太后の息子であるのは事実である。


「王太后様に、届けるものだったのかい?」

「はい。エーヴ様がそうおっしゃいました。メイド長に渡せば、離宮のメイドに届けてくれると。でも、王太后様はこの件は秘密にすることをお望みだから、誰にも気づかれずに、見られずに、メイド長に渡すように言われました」

(え? 怪しすぎない? この子、怪しいとは思わなかったのかしら?)

「あんた、それ、怪しいとは思わなかったのかい?」


 フィリエルの心の声を、ヴェリアが代弁してくれた。

 ポリーは迷うように視線を落として、小さく頷く。


「ちょっと、思いました。でも……その、特別手当をくれるって言われたから。メイド長に瓶を渡すだけで、結構な大金がもらえたから、だから……」


 家族を養っている身であれば、目の前に大金を積まれたら目がくらむのも仕方がないかもしれない。

 ポリーが、がばっと頭を下げた。


「お願いです! その瓶、返してください! 何でもします! それがないとわたしは……」

「そう言われてもねえ……」


 ヴェリアがちらりとフィリエルを見る。「どうする?」と訊かれた気がした。


「にゃにゃ!」

(その瓶の中身、毒じゃないのよね?)


 ヴェリアがこくりと頷いた。


「なー!」

(じゃあ、返してあげてもいいと思う。その瓶が本当に王太后様に届けられるなら、王太后様が何に使うか気になるもの! 毒じゃないなら被害は出ないでしょ?)


 この件は、このまま知らなかったことにしてはいけない。

 フィリエルの胸に広がる「嫌な予感」が、そう告げている。


「にゃー!」

(もうすぐ、陛下が王太后様のところに行くの。こんなこと考えたくないけど、その時に使う予定かもしれない。それを確かめたいわ)


 ヴェリアが、わかった、と言うように顎を引いた。

 そして、ポリーに瓶を差し出す。


「仕方ないねえ。黙っていてあげるよ。ただし、あんたはそれがここにあったことは話してはいけない。お猫様を追いかけて行って見つけたっていうんだよ。万が一陛下に知られたときに、変なとばっちりは受けたくないからねえ」

「はい! もちろんです!」


 ポリーは大切そうに小瓶を胸に抱きしめる。

 もともとあの小瓶の中身が猛毒だったことを考えると、嬉しそうなポリーに何とも言えない複雑な気持ちが沸き起こるが、まあ、彼女は知らないのだから仕方あるまい。

 ポリーが小瓶をメイド服のエプロンの中にしまって、何度も何度も頭を下げながら部屋を出て行った。

 フィリエルははあ、と息を吐き出してヴェリアを見上げる。


「にゃー!」

(それで、あの中身は何なの?)

「ただの水さ。ちょっとばかし香りをつけた、ね。人間は気づかないかもしれないが、猫の嗅覚なら間違いなくわかる香りだよ」

「な?」

(どんな香り?)

「腐った魚の匂い」

「…………にゃぁ」

(…………えー)


 もっと他になかったのかと思ったが、変にいい香りだと気づかないと思ったのかもしれない。


「それにしてもいよいよキナ臭くなってきたねえ。守りは渡したが、あんた、充分気を付けるんだよ? どうせ探る気満々なんだろう?」

「にゃあ!」

(もちろんよ!)


 もしあの毒がリオンに使われるのならば、このまま黙っていられない。

 王太后の目的はわからないが、もし彼女がリオンを亡き者にしようと企んでいるのならば、猫も猛獣にかわるのだ。


「にゃにゃにゃ!」

(陛下はわたしが守る!)

「あんた、当初の目的から、どんどん離れていくねえ」


 自由気ままな猫生はどこに消えたよ、とヴェリアが苦笑した。



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