猫、暗躍す 4
(右よーし、左よーし、上も下もよーし!)
フィリエルはきょろきょろと視線を左右上下に走らせて、タッと駆けだした。
まるでスパイにでもなった気分である。猫だけど。
(まずはもともとのわたしの部屋へゴー!)
城の構造をすべて把握できていなくとも、さすがにもともと自分が使っていた部屋くらいわかる。
廊下を駆け抜けて王妃の部屋の前に到着すると、フィリエルは首をひねった。
(あれ? 見張りの兵士がいない)
国王に顧みられない王妃ではあったが、一応、部屋の入り口を守る兵士が常に二人はついていた。
その兵がいない。
(部屋の主がいないから、かしら?)
誰もいない部屋を守る必要なんてないだろう。
一応宝石類なども置いてあるにはあるのだが、王妃の部屋に泥棒に入る人はいない……はずだ。たぶん。王妃の私物は私物であって私物ではない。フィリエルが死ねば国庫に入る国の財産だ。ゆえに、フィリエルの部屋に置かれている高価なものは一覧表にまとめられているので、なくなればすぐにわかるのである。
フィリエルはぐっと後ろ足に力を入れて、ぴょーんと大きく飛び上がった。
がしっとドアノブを掴んで左右に揺れる。
(開いて~!)
侍女頭だったエーヴがどこにいるのかわからないが、王妃つきの侍女だった彼女は、内扉でつながっている侍女の控室を使っていた。
そこに行けばあの毒物について何か手掛かりがあるかもしれないと思ったのだが、扉が開かない。
(うぐぐぐぐっ)
後ろ足で扉をげしげしと蹴っ飛ばしてみても、やっぱり開かない。
どうにかして中に入る方法はないものかとフィリエルが奮闘していたとき、背後から「お猫様!」と呼ばれた。
「にゃ?」
どこかで聞いた声だと、ドアノブにぶら下がったまま顔を向けると、昨日の洗濯籠を持ったメイドだった。
「よかったお猫様!」
メイドは泣きそうな顔で走ってくると、ドアノブにつかまったままのフィリエルを引きはがして抱きしめる。
「にゃあ⁉」
猫になって、リオン以外の人間に抱きしめられたのははじめてだ。
というより、国王の猫に勝手に触れていいのだろうか。「お猫様」と声をかけられてはいたが、皆、リオンを怒らせることを警戒してフィリエルに触れようとはしなかったのだ。
目を白黒させていると、メイドがフィリエルを抱えたまま走り出す。
「にゃー!」
(いやいや、廊下を走ったらダメだからね? メイド長とか見たら激怒するからね?)
猫になって好き勝手走り回っていることは棚に上げて、フィリエルは注意をするも猫語なので通じるはずがなかった。
(というか、どこに連れて行くつもりなの⁉)
見上げたメイドの顔は切羽詰まっているように見えた。なにかあったのだろうか。
暴れてメイドの腕から逃げ出すこともできるが、表情があまりに強張っているので、フィリエルは理由がわかるまで彼女の好きにさせることにした。
フィリエルを抱えて走っていた彼女は、ある部屋の前でとまると、大きく息を吸って緊張した面持ちで扉を叩いた。
少しして、中から誰何がある。
(あれ? この声……)
メイドが「ポリーです」と名乗ると、入るように指示があった。
メイド――ポリーが扉を開けると、部屋の中にいたのはフィリエルの侍女頭だったエーヴだった。
(え? なんでエーヴが?)
侍女だった彼女が、どうして侍女の控室以外の部屋にいるのだろう。
怪訝に思っていると、ポリーがフィリエルの両脇の下を持って、ずいっとエーヴに向かって差し出した。
「お猫様を連れてきました!」
(え⁉)
フィリエルは驚いたが、顔を上げたエーヴは茶色い瞳をすがめて、ポリーをじろりと睨んだ。
「それでどこにあの瓶があるのかしら?」
「それは、えっと……。お猫様!」
ポリーは自分の方にフィリエルを迎えると、ぐっと顔を寄せてくる。
「昨日の、洗濯ものの中にあった瓶、持って行ったのはお猫様ですよね⁉」
瓶、と聞いて思い出すのはあの毒瓶しかない。
(あの毒の瓶を探してるってこと? ……やっぱり怪しい)
フィリエルはポリーには答えず、顔だけ動かしてエーヴを見た。
エーヴが冷ややかな視線をフィリエルに注いでいる。
ぎくり、と体がこわばってしまったのは、五年、ずっとあの蔑むような視線にさらされてきたからだろうか。
エーヴはボルデ公爵に縁のある伯爵令嬢だ。
陛下が通いもしない子の産めない妃なんて、いる意味あるのかしら――と、陰で侍女たちと嘲笑っていたことを知っている。
ボルデ公爵の娘が成人したから、その娘と妃を代わればいいのに、と笑っていた。
いっそ死んでくれた方が楽でいいと、言っているのを耳にしたことがあるが――、もしかしたら昨日のあの毒は、フィリエルを亡き者にするために用意していたものではないだろうかと思ってしまった。
それが不要になったから、洗濯に紛れ込ませて処分しようとしたのではあるまいか。
ポリーにはその処分を頼んでいて、フィリエルが持ち去ったから焦って探していると考えると、説明がつく気がする。
エーヴはじっとフィリエルを凝視したのち、鼻に皺を寄せた。
「……あの女と同じ紫の目をしているのね。なんて可愛げのない猫かしら」
あの女とはどう考えてもフィリエルのことだろう。フィリエルはムカッとしたが、「耐えろ耐えろ」と自分にい聞かせて黙ってエーヴを見つめ返す。
するとエーヴは、途端ににこりと微笑んだ。
「ねえ陛下のお猫ちゃん。昨日、あなたがあの瓶を咥えて行ったんでしょう? どこに隠したの?」
エーヴがソファから立ち上がり、こちらに近づいてくる。
手を伸ばされて、フィリエルはびくりとした。
あの手に触れられたくない。
腹の底から嫌悪感が沸き起こってきて、フィリエルは「なー‼」と大声を上げて暴れた。
「わっ、わっ! お猫様⁉」
「にゃー! なー! にゃああああああん‼」
がりっとポリーの手をひっかくと、きゃあっと悲鳴を上げてポリーがフィリエルから手を離す。
とん、と床に着地したフィリエルは、ふーっと毛を逆立ててエーヴを威嚇した。
エーヴがイラっとした表情になって、靴底をダンッと床にたたきつける。
「うるさいのよ‼ 陛下の猫だから何もできないと思ったら大間違いよ! あんたをぶっ殺して裏山に埋めてやってもいいのよ⁉」
「エーヴ様‼」
ポリーが悲鳴を上げて、フィリエルを守るように回り込んだ。
「猫なんですから、許してあげてください!」
「黙りなさい‼」
エーヴが手を振り上げて、ポリーの頬をひっぱたいた。
「メイドの分際でわたくしに意見をするんじゃないわよ! あの瓶が誰かに見つかれば、わたくしは破滅なのよ‼ あんたもよ⁉」
「あ……、あの瓶はいったい、何だったんですか……?」
叩かれた頬を押さえて、目にいっぱいの涙をためたポリーが訊ねる。
エーヴは、ふんっと鼻を鳴らした。
「あんたは知る必要のないことよ。あんたは、メイド長に渡せと言ったわたくしの命令を守れなかった。そのうち解雇されるでしょうから荷造りでもしていればいいわ‼」
(メイド長……。つまり、あの毒にはメイド長も絡んでいるのね)
あの毒がフィリエルに使う予定だったものなのか違うのかはわからないが、いよいよ怪しくなってきた。
解雇、と言われたポリーが青ざめてその場に膝をつく。
「解雇だけはお許しください! わたしの仕事がなくなった、家族が……!」
「うるさいって言ってるでしょう⁉」
エーヴがもう一度手を振り上げる。
フィリエルは反射的にエーヴに飛び掛かった。
「にゃあ‼」
「きゃあああああ‼」
顔に飛び掛かって、がりっと爪を立ててやると、エーヴがたまらず悲鳴を上げる。
振り払われる前に華麗に床の上に着地したフィリエルは、くいっとポリーに顎をしゃくった。
「にゃあ!」
(行くわよ! ここにいたら何されるかわかったもんじゃないわ!)
フィリエルの言葉が通じたのかどうかはわからないが、ポリーがはじかれた様に立ち上がった。
「お猫様!」
フィリエルを片手で抱き上げると、ポリーは部屋の扉を開けた。
「ま、待ちなさい!」
フィリエルに引っかかれた頬を押さえてエーヴが声を張り上げるが、この場合、待てと言われて待つ馬鹿はいない。
「にゃーにゃーにゃー!」
(こっち! ヴェリアのところ!)
「え? え?」
「にゃああああ!」
(いいから!)
フィリエルは暴れてポリーの腕から抜け出すと、彼女のスカートのすそを口で咥えて引っ張る。
「ついて来いって言ってるの?」
「にゃあ!」
(そうよ!)
大きく頷いて走り出す。
ポリーが戸惑った表情を浮かべながらも、フィリエルのあとをついてきた。
先ほどの会話から判断するに、ポリーはあの瓶の中身が毒だと知らなかったようだ。
ということは、彼女はただ、エーヴに体よく利用されただけである可能性が高かった。
ヴェリアのもとに連れて行けば、彼女がうまくポリーから情報を聞き出してくれるだろう。
(とにかく、あれが何なのか……処分するつもりだったのか、はたまた誰かに使うつもりだったのかだけでもわかればいいんだけど)
何か、嫌な予感がする。
もしかしたらこれを、動物的勘というのかもしれなかった。
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