猫、暗躍す 3
ヴェリアは、この世に生まれ落ちた時から魔女だった。
魔女を母に持ち、膨大な魔力を持って生まれたヴェリアは、魔女になる以外の選択肢を持たなかった。
父親はどこの誰かもわからない。
魔女とはそういうものだと、母は言った。
魔女や魔法使いは、特にその数が激減してからというもの、見つかればただ利用され搾取される立場だという。
ゆえに母は、魔女であることを隠していたし、人とあまり関わりたがらなかった。
結婚なんてもってのほかだと言って、子孫を残すためだけに男と関り、ヴェリアを産んだ。
ヴェリアも母に習い、人を避けて生きて、いずれ子孫を残してこの世を去るのだと、小さいころから疑わなかった。
魔女だとばれないように、定期的に住処を転々とし、母が死んでからは、たった一人で人目を避けて生きてきた。
魔女は総じて長生きで、母は二百歳まで生きた。
ヴェリアもおそらくそのくらい生きるだろうが、五十をすぎたくらいから、自分の年齢に興味がなくなっていた。
何故なら魔女はなかなか年を取らないし、ヴェリアほどの魔女であれば、魔法で外見を好きに変えることができる。
年を取る、という感覚が、いまいちよくわからなかったし、一つ年を取ったからと言って騒ぐ世間の女性たちの気持ちも理解できなかった。
一人で生きているのだから外見を気にする必要もなければ、外見を好きに変えられるのだから皺だシミだ白髪だと騒ぐ必要もどこにもない。
楽な人生だ。
同時に――非常に退屈で、何の楽しみもない人生だった。
いくつか住処を転々としていたときに、たまたま城の裏手に打ち捨てられたようにたたずむ廃墟と化した塔を見つけた。
塔の周りに結界を張っておけば、ここにヴェリアが暮らしているなんて、誰も気がつかないだろう。
ちょうど退屈していたので、城の様子でも眺めながら数年ほど暮らそうかと、ヴェリアは廃墟の塔を次の住処に決めた。
塔の周りの森には薬に使える植物がたくさん生えていて都合がよかったというのもある。
塔の周りには滅多に人が来ないし、もし誰かに見つかっても、一人、二人ならば相手の記憶を改ざんしてしまえばいい。
塔で暮らしはじめて一年ほど経ったとき、リオン王太子のもとに、隣国ロマリエから花嫁が嫁いで来た。
そのときはただ、王族の結婚は盛大なものだなと、結婚を祝して華やかに彩られた城の庭を、塔の窓ガラスのはまっていない窓から眺めて思っただけだった。
そしてそれから三年――
あれはある意味、運命だったのではないかとヴェリアは思う。
塔の周りで薬草を摘んでいたとき、誰かがこちらに近づいてくる気配を感じた。
ヴェリアは警戒し、同時に、足音の数を確かめた。
相手は一人。
ならば下手に動くよりは、ここで待ち構えていて、相手の記憶を改ざんした方が都合がいい。
身構えながら待っていると、やがて、派手ではないが品のいいドレスをまとった。二十歳前後の女が現れた。
女はヴェリアを見つけて、ぱちぱちと大きな紫色の瞳をしばたたかせた。
その目は真っ赤に充血していた。
彼女は泣いてはいなかったが、どれだけ泣くのを我慢すれば、ここまで目を充血させることができるのだろうかと思ったのを覚えている。
「どうしたんだい?」
話しかけたのは、ただの気まぐれだった。
ヴェリアの、外見とは似つかわしくないしゃがれた声に、彼女は目を丸くした。
「あの、大丈夫ですか?」
しゃがれた声を、風邪か何かの影響だと思ったらしかった。
ヴェリアの質問には答えず、彼女は心配そうな顔で近づいてきた。
「心配しなくても、この声は前からさ」
答えると、彼女はホッと胸をなでおろして、ヴェリアの側にしゃがみこんだ。
ドレスの裾が汚れるだろうに、気にした素振りはない。
「何をしているんですか?」
不思議な娘だなと思った。
泣きそうな顔しているくせに、顔に微笑みすら浮かべてヴェリアの行動に興味を示す。
そこまで考えて、ヴェリアは「ああ」と合点した。
だから、だ。
彼女は泣くのを我慢したいから、必死に別のことを考えて気を紛らわせようとしているのだ。
そうまでして、自分の感情を押し殺そうとする女に、ヴェリアは興味を抱いた。
自分にとって害のある相手なら女の記憶を消せばいい。
十分、二十分、久しぶりの会話を楽しんだっていいだろう。
そう思ったのは、ヴェリアの人生において、ある意味間違いで、ある意味正解だった。
関わってしまったが最後、ヴェリアはどうしても彼女を――この国の王妃フィリエルを、放っておくことはできなくなってしまったから。
裏手の森とはいえ、城の敷地内にいるヴェリアに対して、フィリエルは何も言わなかった。
王妃であればヴェリアを見咎めてもおかしくないのに、ヴェリアが近くの塔に住んでいると言っても、驚きこそすれ怒りはしなかった。
「あの塔は……その、人が住めるような状態じゃないと思いますけど」
「あたしは魔女だからね」
魔女だと名乗ってしまったのは、うっかりだったと思う。
フィリエルは他人のヴェリアの警戒心を薄れさせる何か特別なものを持っていた。それが何かはわからないが、ヴェリアをまったく警戒していない彼女を前にしていると、ついつい余計なことを言ってしまう。
「魔女! わたし、魔女と知り合いになったのははじめてです」
それはそうだろう。魔女も魔法使いも、人目を避けて生きている。数も少ない。いくら王族とはいえ、そうそうお目にかかる機会はないはずだ。
「あたしも王妃様と会ったのははじめてだよ」
「わたしは滅多に外に出ませんからね」
(そういう意味じゃないんだけどね)
面白い女だなと思った。
相手が魔女だというのに気負った様子もなく、かといって利用してやろうという気配もなく、まるで話をするのが楽しいと言わんばかりの顔をする。
あとから教えられて、フィリエルは城の中でほとんど会話することなく過ごしているのだと知った。
雑談する相手は誰もおらず、息を殺すように生きているのだ、と。
王妃という高貴な立場で、大勢の人間に囲まれてすごしながら、この女も独りぼっちなのだ、と。
わが身が可愛ければ、この日、フィリエルの記憶を消しておくのが正解だっただろう。
けれどヴェリアは、どうしてかフィリエルの記憶の中から自分が消えるのが嫌だった。
時間にして三十分ほどだろうか。
ただ他愛ない話をして別れたフィリエルは、数日後、またふらりとやってきた。
ヴェリアを探しているようだったので姿を現してやると嬉しそうに笑って、また他愛ない話をして去って行く。
それが三度ほど続いたところで、どうしてフィリエルは共も連れず一人でいるのだろうと思った。
王妃ともなればたくさんの護衛がついていてもおかしくない。
なんとなく気になって、魔法をかけたネズミを使って、城の中の様子を探らせた。
そしてフィリエルの置かれている状況を知り、ヴェリアは沸々と怒りを覚えた。
怒っていることに自分自身も驚いたが、きっとこの怒りは、友人をないがしろにされていることへの怒りなのだと気づくのに、それほど時間はかからなかった。
フィリエルはヴェリアの友人なのだと、腹の底が沸騰するような怒りをもって理解した。
魔女と知っても、普通の人間と変わらず接してくれるフィリエル。
優しく可愛らしい彼女を、どうしてこの城の人間はないがしろにするのだろう。
「なあ、あんた。離婚しちまいなよ」
見ていられなくて提案すると、フィリエルは泣きそうな顔で笑った。
それでもリオンが好きなのだと――、そう言った彼女は、なんて不器用な女だろう。
(この国で、フィリエルの心を守れるのはあたしだけだ)
彼女が王妃をやめたいと言い出さない限りは見守ろう。
だが、もしフィリエルが王妃をやめたいと言ったら、どんな方法であろうと彼女の望みをかなえてやろう。
ヴェリアはそう心に誓い、その日が来た。
「ヴェリア、わたし、人間やめたいの!」
予想の斜め上を行く女だと、ヴェリアは苦笑した。
――同時に、そこまでフィリエルを追い詰めた人間を、王を、嫌悪した。
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