知らないリオン 2

「まったく、困った子だよ」


 あきれたような、しゃがれた声がする。

 目を開けると、そこには五十歳ほどの知らない女性がいた。

 鼻の上にちょこんと乗る丸眼鏡の奥の瞳は黒。同じ黒色の黒髪はしかつめらしく一つにまとめられていた。

 しゅっと顎のとがった三角形の顔に、ほっそりとした体。


(誰かしら?)


 そう思うのに、何か既視感を覚える。

 それに、知らない部屋だ。

 さっきまでリオンの私室にいたはずなのに、今いるのは消毒液の匂いのする、あまり大きくない殺風景な部屋だった。

 壁一面は棚で埋められていて、その中には薬品の瓶や薬草やらが並べられている。


「なー」

(どこかしら?)

「新しく作られた侍医の部屋さ。といっても、獣医のだけどね」

(うん?)


 何か、違和感がする。


「にゃー」

(わたしがどうして侍医の部屋にいるの?)

「そりゃああんたが意識を失ったからだよ」

(んんん?)


 気のせいだろうか。フィリエルの口から出るのは猫語なのに、会話が成立しているような。

 じーっと女を見上げて、フィリエルは試しに問うてみた。


「みー」

(あなた誰?)

「ひどいねえ、猫になったら友達のことも忘れるのかい? まあ、今はちょっと姿を変えているけどねえ」

「にゃ!」

(ヴェリア‼)

「正解」


 ニッと女――ヴェリアが口端を持ち上げて笑う。


「にゃにゃにゃ!」

(なんで顔が違うの⁉)

「そりゃあ魔女だからね。姿かたちを変えるのなんてどうってことないよ」

「にゃー……」

(せっかく美人だったのに……)

「そりゃどうも。だけどま、城にもぐりこむにはこっちの地味な顔立ちの方がいいだろう?」

「にー」

(まあ確かに、前の顔だと悪目立ちすると思うけど……)


 というより、あんな妖艶美女の姿だったら獣医として信用されなかったかもしれない。なんとなく。


「そんなことよりも、戻って来ないと思ったら城にいたなんてねえ。心配になってこうしてもぐりこんでみればこんなに弱ってるし。何してるんだいいったい」


 フィリエルの鼻をつん、と指先でつついてヴェリアが息を吐く。


「みゃ! にゃにゃん!」

(そうだった! なんか気持ち悪くなっちゃって! 病気かな?)

「違うよ。すっからかんになってた胃の中に急に食べ物が入って気分が悪くなったんだ。まったく、死ぬ気かい? ま、おかげで面白いもんが見れたけどね」

「み?」

「王様だよ。あんたを抱えて蒼白になって走って来てねえ。ま、おかげで面接すっとばして雇ってくれたけどね」


 フィリエルが城にいることには気づいたが、メイドや侍女に変装してもぐりこめたとしても、「リオンの愛猫」であるフィリエルにはなかなか近づけない。

 どうしたものかと考えていたところにリオンが獣医を募集していると聞き、ヴェリアはこれ幸いと獣医としてもぐりこむことにしたらしい。


 このタイミングで獣医を探しているということは、どう考えてもフィリエルのための獣医だ。それならばフィリエルに会う機会ももちろん巡ってくるはずである。

 そして、身分証を偽装し何とか書類審査を突破し、あとは面接をクリアすれば晴れて獣医として雇われる――というところで、面接に来た獣医はいるかとリオンが部屋で面接官が来るのを待っていたヴェリアのところに突撃してきたのだそうだ。


「あんたを治せるって言ったら王様権限で即採用さ」

(そ、それでいいのかしら……陛下……)


 不審人物が国王のおひざ元に入り込んでは大変なので、城で雇われている人間は、徹底的に身元を調べられると言っていた。それをパスできても、専用の面接官が国王への忠誠心はあるのか、妙な思想を持っていないかなどを対面面接でしっかりと探り、少しでもおかしいと判断されると不採用になるという。

 それなのに、面接をすっとばして国王権限で採用するなんて……。ヴェリアだからよかったものの、もしリオンに悪感情を抱く人間だったらどうするのだろう。


「なんでこんなことになっているのかは知らないけどね、ま、とりあえずこれを飲みな。胃薬と、あと栄養剤だ」

「……みー」

(なんか変なにおいがするけど……)

「薬だからね。我慢してお飲み」


 魔女の薬だ。効き目は間違いないだろうが……ものすごくまずそうである。

 小皿に入れて差し出された二種類の薬に、フィリエルは鼻をひくひくさせながら、そーっと近づく。

 どちらも、鼻がひん曲がりそうな匂いがする。


「何を死にそうな顔をして……、ああ、猫は嗅覚がいいからねえ」


 くつくつとヴェリアが喉を鳴らして笑う。

 笑いごとでないくらいに嫌な臭いなのだが、これは覚悟を決めるしかないだろう。

 フィリエルはぎゅっと目をつむり、ぺろっと小皿の薬を舐めた。


「んみぃ!」


 途端に舌を突き刺すような強烈な苦みがフィリエルを襲った。

 フィリエルは毛を逆立てて悶絶したけれども、ヴェリアは容赦ない。


「さっさとお飲み。飲んだら話を聞いてやるから」

「んぐぅ……」


 フィリエルはぷるぷる震えながら、何とか二つの薬を飲み終える。

 そして、ぐでん、と真っ白いベッドの上で横になっていると、ヴェリアが何か甘いものを口の中に入れてくれた。


「蜂蜜が固まったものだよ。それで口直ししておきな」

「にゃー」

(ありがとう)


 口をもごもごさせると、苦かった口の中に濃厚な甘みが広がっていく。


「で? 何日も食事を摂らないなんて、いったい何があったんだい?」


 ヴェリアがベッドの縁に腰かけて、フィリエルの背中を撫でる。


「……なぁー」


 フィリエルは、ぽつりぽつりと、猫になってから今日までのことを話しはじめた。





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