知らないリオン 3

「なるほどねえ……。そりゃあ、痛かったね」


 フィリエルの胸のあたりを撫でて、ヴェリアが眉を寄せる。

 痛かった。そうなのだろう。ヴェリアが撫でてくれるあたりが、ずっと壊れそうに痛かった。

 猫になって、知らなかったリオンの優しい顔を見たから余計に、人間だったフィリエルがいかに不要な存在だったかを知った。

 それどころかいなくなって喜ばれる存在だったのだとわかって、何もかもが虚しくなった。絶望した。この五年で、一番大きな絶望だったかもしれない。

 同時に、飼い猫として可愛がられている自分がひどくみじめで滑稽に思えて、何もかもがどうでもよくなったのだ。


「あんたが望むなら、あたしがここから逃がしてやれるよ?」


 そう言われて、フィリエルはハッとした。

 そうだ。今ならヴェリアがいる。彼女に頼めばここから逃がしてくれるだろう。そして、今度こそ念願だった自由なセカンドライフを謳歌するのだ。


(……でも)


 ふと、リオンの顔がフィリエルの脳裏を横切った。


 ――君まで……、俺を拒絶するのか。


 悲しそうな、つらそうな、リオンの顔。


 結婚して五年。

 リオンは、フィリエルに冷たかった。

 何の関心も持ってくれなかった。


 でも、猫になって、冷たいのとは違うリオンの顔ばかり見てきて、彼はいったいどんな人なのだろうと思った。


 ずっと大好きだったリオン。

 でもそれは、幼いころの僅かな邂逅で抱いた恋心による感情で、フィリエルはリオンのことを何も知らない。


(あの言葉が、すごく気になる……)


 まるで、他の誰かからも拒絶されたことがあるような言葉だった。

 痛そうな、傷ついた顔。


 フィリエルの知る、リオンの顔は二つあって、人間だったフィリエルに向けられていた熱のこもらない冷たいものと、猫のフィリエルに向けられる優しく温かいものだったけれど、さっきの顔はそのどれとも違っていた。

 リオンはまだ、フィリエルの知らない顔を持っている。

 そしてそれを知れば、もしかしたら人間だったころのフィリエルに冷たかった理由がわかるような気がした。


 もちろん、そんな気がする、というだけで確証はない。

 でも、知りたいと思った。

 本当のリオンは、どんな顔をしているのか。


 逃げるのは簡単だ。

 ヴェリアに頼めば、城の外に連れて行ってくれるだろう。

 自由気ままな猫として、人間だった過去に目を背けて、猫としての一生を送ることができる。


(だけど、もう少しだけ……)


 リオンの側にいてもいいのではないかと、思った。

 数日前に拾った猫の具合が悪くなったと青ざめた、優しいリオン。

 彼の心に、触れてみたい。


「にゃー」

(もう少しだけ、ここにいるわ)

「そうかい。じゃあ、あたしももうしばらくここにいようかねえ。王様には一日一回の健康診断が必要だって言っておくから、何かあればため込まずにここで吐き出していきな」

(ありがとうヴェリア)


 フィリエルは、すりっとヴェリアの手に頬ずりした。




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