第14話 ナット

 僕はユーシサスさんの言葉に息をのむ。

「ユーシサスさんの一つ前の魔王って、つまり、先々代魔王ってことですよね。え、それって、すごくないですか。ここって、歴史的にすごく価値のあるところなんじゃ」

「ハハハ、リツキ。そんなことを言ったら、今私たちが住んでいる旧魔王城の方が圧倒的に歴史的価値がある。なにせ、旧魔王城は初代魔王が建てたと言われているからね」

「た、確かに・・・っ」

 あまりにも身近すぎていて忘れていたが、旧魔王城自体が太古から残された歴史的遺物なのだ。

 ユーシサスさんは多くの蔵書を抱える本棚を、愛おしいものを愛でるように見上げていた。

「ここは、もう忘れられた場所ではあるが、私にとっては大切な、父上との思い出の場所なんだよ」

 僕はユーシサスをなんとも言いがたい心地で見つめる。

 父との思い出を語るユーシサスさんは幸せそうで、本当に宝物のように思っていることが、ひしひしと伝わってきた。

 -僕には、分からない感情だ。

 一抹の仄暗いものが、胸をかすめる。それは、僕の抱える闇。

 しかしそれも一瞬。すぐ我を取り戻し、浮かび上がりかけていた仄暗さを振り払うように口を開く。

「そういえば、ここのこと、師匠たちには言っていないんですか?」

「ああ。言ったらどうせ、また格好の昼寝場所にされるだけだからな」

「それは確かに」

 苦笑してしまうが、師匠たちがここの存在を知ったときの反応は容易に想像ができる。

 ひとしきり騒いだ後、飽きるまで探検をし、本には一ミリも触れることなく昼寝に突入するのが関の山だろう。

 ユーシサスさんの判断は正しいといえる。

「リツキなら、ここを本来の使い道通りに使ってくれるだろう?」

「それはもちろん」

 実のところ、僕は今、我慢の限界を迎えようとしていた。

 だって、目の前に、こんなほんの山があるんだぞ。

 興奮しない方がおかしい。

「ユーシサスさん、ここの本って、自由に読んでいいんですか?」

「当たり前だ!そのためにここを教えたんだ」

 大きく首肯するユーシサスさんに、もじもじ指をこねくり回しながら主張する。

「あの、あの、僕、まだ読んでない歴史書が読みたくて・・・」

「ああ、好きなだけ利用してくれ」

 その言葉を合図に、僕は本棚に向かって駆け出し-ピタリと動きを止めた。

「・・・あの、これって、どうやって本を取れば・・・?」

「む?」

 そう、ここの本棚は天井にいたるまで、高くそびえ立っている。

 踏み台になるようなものも、見当たらない。

 ならば浮遊魔法を使えばいいかとも思ったが、そもそも目的の本がどこにあるのかも見当がつかない。

 困惑する僕をよそに、ユーシサスさんはポンと手を打った。

「ああ、そうだ。忘れていた。リツキに紹介しなくてはいけないな」

「紹介・・・?」

 よく分からず首をひねっていると、視界の隅に茶色い塊が転がってくるのが映った。

 茶色い塊は、コロコロコロコロこちらに向かって、一切スピードをゆるめずに転がり落ちてくる。

「へ」

 茶色い塊は、僕とユーシサスさんの間に勢いよく割って入ってきた。

 その勢いに、思わず跳びずさる。

 ユーシサスさんは、静止した塊に向かって優しく声をかけた。

「いつもすまないな、ナット」

「いえいえ、これがおいらの仕事ですから!」

 ナットと呼ばれた茶色の塊は、バッと跳び上がり、一回転すると綺麗に着地した。

「よお、リツキとかいったな!おいらはナット!ここの管理人だ。よろしくな!」

「リツキ、今言っていたように、ナットはここの管理人だ。ここにある本全てを把握している。分からないことはこの子に聞くといい」

 そんな紹介を聞きながら、リツキは固まっていた。

 驚き、いきなりの展開についていけていなかった。

 ええと、なんだ?この子がここの管理人で、ここにある本全てを把握している・・・?

 それって、すごいことでは・・・?

 そこまで思い至り、改めてナットを観察する。

 身長は僕よりも小さい。いかにもやんちゃな少年といった風貌だ。

 肌の色も濃く、髪も焦げ茶色。目はまんまるで、人なつこさが全面に現れている。

 何というのだろうか、この、庇護欲をくすぐる、養ってあげたくなる感じは。

「弟・・・?」

「ん、なんか言ったか?」

 おっと、思っていることが口に出てしまった。

 ナットはつぶらな瞳でこちらをのぞき込んでくる。

 そのとき、なにかが引っかかった。当たり前のように受け入れているこの状況。そこに、一点の違和感。

 僕はじっとナットを注視した。そして気づく。

 ・・・って、このナットって。ここが魔力に満ちていたから、分かりずらかったけどもしかして

「魔族・・・?」

「そうだ」

 うなずいたのはユーシサスさんだった。

「改めて、紹介しよう。この子はナット。父上の時からこの図書館を管理してくれている、魔族だ」

 その事実が示す現実に、僕は愕然とする。

 つまり、つまり、ナットは、こんな天使な容姿の彼は、めっっちゃ年を取っているということじゃないか!

「え、え」

 等のナットは僕とユーシサスさんの間であわあわと困惑したように、視線を行ったり来たりさせていた。

「え、なんでおいらが魔族でびっくりしてるんだ?リツキ、お前だって」

 ナットは言葉を途切れさせると、何かに気づいたように、僕を見つめる目をじわりと見開いた。

「リツキ、おおおお前、人間じゃないかあーーー!」

「え、今更ですか」

 思わずつっこむと、後ろからお前も気づいてなかったろ、とユーシサスさんにつっこまれる。

 ナットは口元を震わせ、僕ことを指さした。

「ま、魔王様!こんなところに、にに人間が!」

「分かっているから、落ち着け。あと私はもう魔王じゃない」

「あっ、失礼いたしました!!」

「大丈夫。気にするな」

 ユーシサスさんは慌てるナットの背に手を当てながら、なだめるように言葉を紡ぐ。

「聞いてくれ、ナット。リツキは人間だが、敵じゃない。ナットを傷つけるようなことは絶対しない。私が保証しよう。だから、信じてくれないか」

「・・・ユーシサス様がそう言うのであれば、信じます。リツキから敵意の気配はしませんし・・・」

「ありがとう」

 先ほどとは一転、ナットから僕に向けられたまっすぐな視線は、様子をうかがうようなものに変わってしまった。

 そのことに少なからずショックを受ける。

 僕はまだ、人類と魔族の間にある確執を、理解しきれていなかった。

「よし、じゃあナット、リツキは読みたい本があるそうなんだ。案内してやってくれないか」

「は、はい。・・・リツキ、何を探してるんだ?」

 突然話をふられ、反応が遅れる。

 不自然な間に、ナットの視線がいぶかしむように鋭くなる。

 その視線に気圧されながら、素早く口を開いた。

「歴史書。歴史書を、探してるんだ」

「歴史書なら、2番目の棚が全てそうだよ」

「あ、ありがとう」

 受け答えが終わると、ナットはもう自分の仕事は終わったとばかりに、背を向ける。

「ユーシサス様、おいら、そろそろ他の仕事に戻りますんで」

「ああ、助かった」

 ナットはぺこりと一礼すると、この場を去って行く。

 僕にはその背がとても遠く感じられてしまった。

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