第15話 軋轢

 僕は去って行くナットの背を、何も言えずに見送った。

「私も何か読むとしようか」

 ユーシサスさんが僕の横を通り過ぎ、歴史書のある2番目の棚に歩み寄る。

「リツキも、本を読みに来たんだろう?」

「は、はい」

 ナットのことを気にしながら、おずおずと本棚に近寄る。

 僕は本来の目的を思い出し、本の背表紙に目を向けた。

 切り替えなくては。

 そう思うのに、妙に集中出来ない。

 読む本を選定しようとしても、なかなかどうして目が滑ってかなわない。

 と、ある1冊の背表紙に書かれた題名に目が止まった。

『代表者歴伝』

 次に、ユーシサスさんの姿が目に入る。

 もう既に、めぼしいものが見つかったようで、ペら、ペらと細い指でページをめくっている。

 …聞いてみようか。

 ずっと、気になって、聞いてみたかったことがある。

 ユーシサスさんと2人になれるのも、そうあることではない。

 グッと唇を噛み、思い切ってみることにした。

「ユーシサスさん」

 ユーシサスさんが、ふっと端正な、ガラス細工のような顔を上げる。

 その黒い瞳は僕のことを何もかも、見透かしているようだ。

「どうした」

「ずっと、聞いてみたかったことがあります」

 パタリと本が閉じられる。

 僕の瞳とユーシサスさんの瞳が重なった。

 吸い込まれてしまいそうな漆黒の瞳。

 この瞳を初めて見た時、僕の胸に広がったのは恐怖だった。

 僕はかつての記憶を思い返し頭を整理するように目を軽く伏せた。


 そもそも、人類と魔族は相容れない、というのはこの世界で生きる者の常識だ。

 水と油が、お互いを弾き合うように。

 平行に引かれた線が、絶対に交わることがないように。

 人類と魔族はお互いを憎しみ合い、嫌い合い、争い合った。

『代表者歴伝』記されているように、時の精霊女王セレーネの尽力により、一応の和解はしているが、2つの種族の間には埋めようのない溝が存在している。

 それは心理的なものでもあり、物理的なものでもある。

 人類のくにと魔族のくにの境界線には、強固な壁があるのだ。

 初代魔王と初代最強魔女により創られた結界という名の壁が。


旧魔王城ここに初めて来たとき、一番驚いたのがユーシサスさんの存在でした」

 ユーシサスさんは僕の言葉に、じっと耳をすませてくれている。

「だって、ユーシサスさんは魔族だったから」

 そう。僕にだって当然、魔族を毛嫌いする気持ちはあった。

 なぜそんな気持ちがあったのかと聞かれると、困ってしまう。

 そういうものだったから、としか言いようがないからだ。

 そんな当時の僕にとって、魔族、しかもその頂点に立つ魔王だった人が目の前にいて、人間で、魔王と争っていたはずの“元”勇者や“元”最強魔女と仲良く談笑しているだなんて、とてもじゃないけど簡単に受け入れられた光景ではなかった。

 けれど、ユーシサスさんの人となりを知り、仲を深めてきた今だからこそ思う。

 あのときの僕は、なぜあんなにも魔族を忌避していたのか?

 なにせ僕は、魔族に直接害を加えられたことも、会ったことすらもなかった。それなのに、僕は魔族は悪いものだと決めつけていた。

 なぜ?

 だから、僕はユーシサスさんに問う。

「なんで、人類と魔族はこんなにもいがみ合ってるんでしょうか」

 それに、と続ける

「どうして、ユーシサスさんは師匠やアサヒさんと親しくなれたんですか」

 ユーシサスさんならば、しっかりと受け止めてくれると思ってしまうからだろうか。

 今まで抱えてきた疑問は、思いのほかすんなりと、僕の口からこぼれ落ちた。

 一方のユーシサスさんは、一度目を閉じると、長く長く息を吐く。

 僕はゴクッとツバを飲んだ。

 スッと、ユーシサスさんの目が開かれる。

「まず、1つ目の質問は、少し難しいので後回しにしていいか」

「はい」

「では、2つ目の質問だが、そっちの答えは簡単だ」

 ユーシサスさんは言葉を途切れさせると、ニッと笑う。

「アサヒとマノンが良いやつだったからだ」

 僕はポカンとしてしまう。

 ユーシサスさんは嬉しそうにあの2人のことを話している。

「そもそも、私たち自身は実質争っているわけではなかった。お互いに、魔王として、勇者として、最強魔女として、役目を果たしていただけだ。もちろん、最初は勝手な怨恨で争っている時もあったが、次第に、アサヒたちの本質を知って、最終的には暗黙の協力関係みたいになってたな」

「暗黙の、協力関係・・・?」

「ああ。魔族と人類の衝突は適度に起こしておいた方が、ちょうどよく鬱憤のはけ口になるからな」

「え、はい!?」

 その言い方だと、ユーシサスさんたちが故意に争いを起こしていたように聞こえる。

「まあ、あくまで人類の方の代表者がアサヒとマノンだったからこそできたことだ。あの2人なら、両陣営どちらからも死者は出さないと信用できたからな」

「はへ・・・」

 なんだか、とてつもない話を聞いている気がする。

 顔をほころばせて話していたユーシサスさんだったが、一転、何か思い詰めるように表情が曇る。

「今の方が、危ないんだよ」

「え」

「今は、きっかけさえあれば全面戦争になる。いわば、冷戦状態。市民もずっと我慢ばかりさせられて、鬱憤が溜まっている。いつか必ずその鬱憤が、爆発するときがくる。そんな時がきたら・・・」

「・・・」

 そんな時がきたら、きっととんでもないことになる。なんて、僕でも想像が出来るくらいだ。

 ユーシサスさんはじっと、先の未来を見通すように押し黙っている。

 一体、彼にはどんな惨状が見えているのか。想像をしたくもないが、あり得てしまう未来なのだ。

 そのとき、僕に何が出来るのか。今から、考えていくべきなのだろう。

「リツキ、1つ目の質問についてなのだが」

「は、はい!」

「・・・これはもう、過去からの積み重ねというしかないだろう」

「・・・っ」

「先人から受け継がれてきた考え方が正しいとは限らない。しかし、積み上げられた偏見と差別意識は一朝一夕でどうこうできるものじゃない」

 今度は、僕が押し黙る番だった。

 いろいろな記憶が頭を駆け巡る。

 そんな僕を、ユーシサスさんは温かい眼差しで見守っていることに、僕は気づかない。

「この積み重ねを崩すのは、不可能と言っても過言ではない」

 不可能、そうユーシサスさんは絶望的な見解を口にしているはずなのに、なぜか顔には笑みが浮かんでいた。

 僕はそれを不思議に思う。

「しかし、その不可能を可能にする者がいるとすればそれは-リツキ、お前のような子どもたちなんだろうな」

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