第9話 疑念

 僕は今、心の赴くままにマノンさんに雑巾を突きつけ、2人で家の大掃除に臨んでいる。

 シンクの中に溜まった皿を、踏み台の上でゴシゴシとこすりながら、頭がだんだんと冷静さを取り戻してきた。

 そして気づく。

 僕は、とんでもないことをしてしまったのでは。

 いくら、家がものすっっっっっっごく汚かったとしても、師匠になる人に対してあの言い草は、まずかったかもしれない。

 ちら、と後ろを振り返ると、べそをかきながら床を雑巾掛けするマノンさんの姿があった。

 またシンクに向き直り、思う。

 僕は、弟子入りする人を間違えたのか?

 だって、6歳の子どもに対して、情けなさすぎないか?

 …いや、もう考えても仕方ない。弟子入りしてしまったものはもう仕方ないんだ。

 諦めよう。

 はあ、と息を吐いて気持ちを切り替える。

 とりあえず、気になっていたことについて、聞いてみることにした。

「あの、マノンさん」

「あ、私を呼ぶ時は『師匠』ね」

「師匠、ひとつ聞きたいんですけど」

「ん!なになになんでも聞いて!」

 師匠は、僕に質問されることが嬉しいらしく、先ほどとは一転、満面の笑みを見せた。

 よかった。さっきの僕の言動で不快にさせたかと思ったが、笑ってくれた。

 ありがたく質問させてもらうことにしよう。

「じゃあ、ここはどこですか」

「え、ここ?」

 そう、僕は今何も知らない。

 ここがどこなのかも。師匠が何者かも。

「ここは、私たちのお家だよ」

「そうじゃなくて!地理的にです!」

「あ、ああ!ここは魔法都市の辺境だよ」

「魔法都市の…?」

「うん。魔法都市の辺境、還らずの森」

「え」

 嘘だろ。魔法都市の還らずの森、と言ったら

「か、還らずの森っていったら、入ったら最後、誰も帰れないっていう禁域…魔族と人類を隔てる防壁じゃないですか!」

「うん、そうだね」

「そうだねって…」

「まあまあ落ち着いて。だいじょぶだから。そもそもこの森を還らずの森にしたのは私だし」

「は」

「とにかく、そこんところは気にしない気にしない」

「…」

 もう、よくわからなくなってきた。

 うん、よし、考えないことにしよう。うん。

 それから僕は師匠と共に掃除に励みながら、質問を重ねた。

 時々理解不能な回答もあったが、気にしたら負けだ、と思った。


 師匠との共同生活を始めて数日後。

 だんだんと生活にも、師匠にも、慣れてきた。

 結論から言うと、師匠の生活力は皆無だ。


「リツキー、パンケーキ焼いてみ…ギャーごげてるー!?」

「火、止めてください、火!」


「リ、リツキ!これっ、泡が止まんないんだけど!」

「洗剤入れすぎてます!」


「掃除なんて細々やんなくても、火魔法で菌を滅殺すれば…」

「火事になりますから!!」


「うっ…うっ…」

 やることなすこと全てが空回って、なぜか最悪な方向にまっしぐら。

 日々は、どうしてそうなると言いたくなることばかりだ。

「師匠…家事は、僕がやります…」

「ごめんねえ」

 しくしくうじうじする師匠を尻目に、ため息を吐いた。

 僕は選択を誤ったのだろうかと考え、もう来てしまったものは仕方ないと雑念を振り払う。

 そんな堂々めぐりを、もう何回繰り返したかわからない。

「じゃあ、僕夕飯作ってくるんで」

「あ、うん!ありがとう!」

 いつのまにか、家事はすっかりぼくの仕事になってしまった。

 にこにこと彼女が浮かべる人懐こい笑みは、僕には少し眩しすぎる。

「ん~、おいしー!」

「よかったです」

 食事はダイニングテーブルで向かいながらとるので、師匠の顔がよく見える。

 この人はいつもどんな料理でも美味しそうに食べる。

 今日の夕食だって、なんとか食べられるものになってはいるものの、具材の大きさが不均等だったり、所々焦げ付いていたり、正直うまくいったとは言えない。

 それでもこの人は、美味しいと、ありがとうと、言うのだ。

「いやー、ほんとこんな料理食べられて私は幸せ者だよ~」

「そんな大したものじゃないと思いますが」

「そんなことない!だって、向こうじゃ料理作れる人なんて誰もいないし…」

「向こう?」

「こんなまともな食事できたの40年ぶりだよお」

「師匠はたまに変な冗談を言いますよね」

「リツキってほんとに6歳!?天才すぎ!」

「…言い過ぎです」

 師匠が心からそう思っていることが伝わってきて、気恥ずかしくなってしまう。

 思わずうつむくと、床に届かずぷらぷら揺れている自分の足が見えた。

 師匠の言葉は正直、嬉しい。

 しかし、いいように使われているだけなのではと、思うこともある。

 まだ魔法の修行を一回もしていない。

 まさか、師匠は弟子ではなく、家事をする人間が欲しかっただけなのではないか?

 僕は才能を見出されたのでなく、孤児院で孤立していてすんなりついてきそうだから迎え入れたのでは?

 僕は、間違いをおかしたのか?

「リツキ?」

 師匠の声にハッとする。

 パッと顔を上げると、彼女と目が合う。

「…いえ、なんでもありません…」

「そ?」

 僕は顔に笑みを浮かべながら、心は薄暗くかげっていた。

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