第8話 掃除
早朝、日が上りきったことを確認し、外へ向かう。師匠たちの朝は遅い。もうしばらくは寝ているだろう。
もし起きたとしても、朝食の作り置きはバッチリなので、気にする必要はない。
キイッと音を鳴らせ、両開きのドアを開けた。
力を込めた腕が、ピキッと痛み、顔をしかめる。昨日の修行が響いている。まったく、最後の最後でアサヒさんと打ち合い100本はキツすぎた。
昨日の情景をありありと思い返しながら、ふっと空を見上げる。
外は雲ひとつない晴天。まあ、ここは砂漠地帯だし、雨が降る方が珍しいのだが。
風は強そうだが、旧魔王城はドーム型の結界に守られているから、影響はない。
おっと、外を見ている場合ではなかった。今日僕は、やることがあるのだ。
僕は、城の真正面にたたずむ扉の前に立つ。ハーフェンから戻る際に通ってきたあの扉だ。
ズボンのポケットから鍵を取り出し、鍵穴にさしこんだ。鍵の琥珀の宝石が、ふわりと光り扉が開く。
僕はその扉を躊躇なくくぐった。
視界が光で塞がれ、意識が途切れる。
数瞬後、ハッとして意識を取り戻すと、そこは小屋の中だった。ハーフェンから戻る時にも、中継地点だったこの小屋。実のところ、僕にとっては旧魔王城よりも馴染み深い場所だったりする。
今日の目的地はここだ。
鞄を手身近なテーブルの上に置き、中からチェック柄エプロンとセットの三角巾を取り出す。
ピッとシワを伸ばすと、ババババッと身につけた。
さらに右手にハタキ、左手に雑巾。
「うおし!」
気合いは十分。さあ
「掃除だああああああああ!」
小屋は、最近は基本的に中継地点としてしか使っていない。つまり、必然的にほこりはたまる。
僕は、気になってきたら掃除に来るようにしていた。
ただ、近頃はあまり掃除できていなくて、いつも以上に汚れている。
とりあえず今日のノルマはお昼までに床掃除と窓拭き、トイレ掃除と家具のほこり取りだ。小屋自体は広くないとはいえ、手際よく行わなければ、終わらないだろう。
僕はまず雑巾を濡らし、床の濡れぶきに取り掛かった。
部屋の隅で膝をつき、後ろに下がりながら雑巾に添えた右手を左右に大きく振る。通称お姫様拭き。
素早く、そして隙間なく!
「うおおおお」
一心不乱に拭き進めていく。
掃除は、やってる間無心になれる。家事の中でも好きな部類だ。
僕は掃除をしている間の、頭が空っぽになる感覚が好きなのだ。
「ん?」
ふいに、雑巾を押さえる手に物がぶつかった。
棚の下部分だ。無視してもいいが、なんとなく引っかかって手を伸ばす。
手に当たった物を掴み取り出す。
「あれ、これって」
手の中には、がくから上の部分だけのカーネーション。
少ししおれていて、色褪せているが、元は鮮やかな赤であることがうかがえる。
このカーネーションには、覚えがあった。しかしそれはだいぶ昔のことで、花が残っているのはおかしい。
師匠が摘んで忘れていたのだろうか。
知らずのうちに口角が上がっていることに気づいた。
あの時のものでないとしても、カーネーションは大切な思い出の証だ。
師匠に弟子入りしたのは、ちょうど9年前、僕が6歳の時になる。
~~~~~~~~~~~~~~~
「じゃじゃーん!こちらがこれからリツキが住むお家でーす!」
「…」
リツキもとい僕は、目の前の薄紫髪のお姉さんと、背後の白壁の家、というより小屋をうつろな目で見上げていた。
「あれ、反応が薄いぞ?ここ、ここ!ここが、これからの君のお家!わかった?」
「…」
なんとなく、ふわふわしている。いえ、家、僕の、家…?
「おーい、聞いてるー?リツキくーん」
「…」
やばい、もう、我慢できない。
中から、何かがせり上がってくる。
「ねえ、リツキー。もしかして、感無量って感じ?おーい」
「…ウ」
「う?」
「オロロロロロロ」
「へ、ええええええええ!?」
「リツキー大丈夫ー?」
「…はい、落ち着きました…」
気がつくと、僕は小屋の前の庭で横になっていた。お姉さんもといマノンさんが、僕の顔を心配そうに覗き込んでいる。
「ごめんねー、転移魔法の反動のこと、すっかり忘れてて」
「…いえ、僕も転移に慣れていないことは、最初に伝えておくべきでした…ウッ」
また、腹からせり上がってくる感覚があり、慌てて草むらに駆け込む。
「オロロロ」
「ごめんねーごめんねー」
マノンさんは僕の背をさすりながら、おいおい泣いている。
「ウ……もう、大丈夫です」
「ほ、ほんと?」
「ここが、これから僕の家になる場所なんですよね」
「うん!そう、そうだよ!」
マノンさんはぱあっと顔を輝かせる。僕はその、無邪気な笑みを見つめ返しながら、不思議な心地になった。
この人が、これから僕の師匠となる人なのだ。
「さあ、中へ入ろ!」
中は、控えめに言って、汚かった。
「えっとえっと、ここがダイニングで、あそこがキッチン!廊下の右手のドアが私の部屋で、左手のドアがリツキの部屋。あ、水回りは外だから、後で案内するね!」
マノンさんが何やら早口でルームガイドしているが、耳に入らない。
とにかく目に入るのは、ほこりとほこりとほこり。天井には蜘蛛の巣。シンクには最後に洗われたのがいつか分から
ない皿の山。
これが、僕の、家…?
「どう、リツキ。いい家でしょ」
むふ、とマノンさんが得意げに胸を張っている。話が終わったらしい。
何かコメントを待っているのか、期待感に満ちた顔をしている。
少しでもコメントを返してあげるべきか。
否、そんなことをしてる暇はない。
「……すよ」
「ん、なになに?」
「掃除!!しますよ!!!」
「え」
プツンと、僕の中で何かが切れた。
「なんっですか、この家!家っていうか小屋って感じですけど…汚すぎます!どうしたらこんな汚くなるんですか!?意味がわからない…っ」
「え、ちょ、リツキ、さん?」
「最後に掃除したのはいつです?」
「え、えーっと、40年前…くらい…?」
「はああーーっ!?ありえない、ありえなさすぎる…」
「え、あの、えと」
「とにかく!」
ビシッと勢いに任せて指を突きつけた。
「掃除!!!しますよ!!!!」
「…はい…」
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