第3話 旧魔王城
雑木林を抜けた先、商店街の裏手にて、僕は膝に手をつき息を整えていた。
「ヒイッ、ハア」
なんだか、今日は走ってばかりな気がする。
「もー、リツキ、この程度で息上がるなんて、まだまだだなー」
「し、しょうとっ、いっ、しょに、しないでっ、ください」
「はいはいよしよし」
師匠に背を撫でられながら、息を落ち着かせていく。
「ハアーっ、ハアー」
「ん、もう大丈夫そだね」
僕が落ち着いたところを見届けると、師匠は最後に背をポンっと叩き手を離した。と、なぜだか言いようのない敗北感に苛まれる。くう…。
師匠は背を向け、ゆっくりと商店街の方へ歩みを進める。僕の方は、もう見向きもしない。その姿に少しムッとしつつ、僕も後に続いて歩き始めた。
商店街の喧騒に紛れながら、まっすぐに目的地へと向かう。耳をすますと、先ほどの騒動を噂する声がちらほら聞こえた。どうやら、師匠が起こした火柱は、商店街からも見えていたらしい。
「おいっ、少年。そこの青の髪の少年っ」
突如、後ろから肩を叩かれ、ビクッと身体を震わせる。
咄嗟に背後を振り向くと、愛想のいい笑みを浮かべた男が立っていた。
「ああ、良かった。やっぱり少年だ。ほら、これ。店に置いて行った商品だよ。いやーなかなか来ないから、心配で見にきちゃったよ」
「あ、ああ!」
突然のことで驚き硬直していた僕は、その言葉でようやく目の前の出来事に合点がいく。
この人、肉屋の店員か!店の格好とは違い、頭の中で一致しなかった。
「わざわざありがとうございます」
「いえいえ、これからもどうぞご贔屓に」
それだけ言うと、店員は颯爽と去って行った。
「リツキ?」
師匠が、僕が付いてきていないことに気づき戻って来てくれていたようだ。
「すみません。肉屋の人に呼び止められて」
「ああ、それか。危うく忘れるところだったね」
「ですね」
「…お、もうこんな時間か。急ぐよリツキ。」
「はい」
僕たちはスピードを上げて、人の合間を縫っていった。
商店街の裏道、人の気配が遠くなったことを確認し、歩みを止める。
「ここらでいいかな」
裏道の暗く湿っぽい空気が、なんだか不気味だ。
師匠は、風を読むように空を見つめている。
「リツキ、もうちょっと近寄って」
腕と腕が触れ合いそうな距離まで近づくと、師匠は僕の手を強く握った。
瞬間、足元から鈍く薄紫の光が発せられる。その光は僕たちを中心に円を描き、魔法陣を形成していった。
僕は師匠に手を握られていることも忘れて、その魔法陣に魅入っていた。緻密すぎる。師匠の描く魔法陣はやはり別格。美しい以外の言葉が出ない。
ふと、光の眩きが膨れ上がる。そこで、僕の視界は暗転した。
辺りの音が数瞬なくなり、次に聞こえたのは小鳥の
ゆっくりと目を開けると、飛び込んできたのは一面の緑だった。
「何ボサッとしてるの、行くよ」
腕がグッと引かれ、前につんのめる。転びそうになったところをなんとか踏ん張った。
「ちょ、いきなり歩き出さないでください!」
「えー、リツキがボーッとしてるのが悪い」
「師匠みたいに転移魔法後すぐに覚醒できないんですよ!気づかってください」
「む…ごめん」
「いいですよ。さ、早く帰りましょ。夕飯作らないとですし」
「あ!今日の晩ご飯何っ?」
「こどもですか……」
キラキラとした瞳に、思わず冷めた目を向ける。
「何よ、その目は」
「別に」
まだ不満げな師匠は放ってスタスタ前を歩く。
ふかふかとした草と土の感触が心地良い。
ここは、商店街から50kmほど南下したところに位置する森林だ。先ほどの雑木林とは比べようのないほどの豊かさを持つ。夕日が森を紅く染め、ため息の出るような光景を生み出していた。
その森の中には、一軒の小屋が立っている。赤い屋根に白い土壁の、家というには小さすぎる建物。
僕たちはその小屋に遠慮なく入り、迷いのない足取りで奥へと進んでいく。小屋の中は素朴なインテリアでまとめられていて、統一感を感じる。少し残念なのは、軽くホコリをかぶっているところか。
僕は、小屋の中を眺めながら今度また掃除に来ることを決意した。
と、前を行く師匠がピタリと立ち止まる。目前には木製の扉。あちこちに施された植物柄の金細工が美麗だ。
「みなさん、もう待ってますかね」
「ちょっと遅くなっちゃったからなー。あと、魔獣のことも話さないと」
「ですね」
師匠は扉の前でゴソゴソローブの内側を漁り、一本の金の鍵を取り出した。これまた美しい鍵だ。鍵の頭の部分に琥珀色の石が付けられ、その周りを蔦が覆っているようなデザインになっている。
鍵を扉の鍵穴に差し込んむ。鍵がしっかりはまり込むと、琥珀色の石がふわりと輝いた。そのまま回すと、カチャリという音と共に扉が開く。
扉の先の光景は、何度も見ている景色だというのに、いつも圧倒されてしまう。無意識のうちにフウ、と息を吐いていた。
師匠が黙って手を差し出す。僕は一抹の悔しさも感じながら、その手を取った。
扉のその先を見据え、一歩を、踏み出す。
踏み出した足が捕えたのは、木製の床でも、柔らかい草でもない。
捕えたのは、ジャリッとした砂を踏む感覚。後ろでバタンと扉の閉まる音がした。何気なく振り返ると、そこは僕らがくぐった扉がぽつんとあるだけで、他は一面の砂漠景色が広がるだけだった。
「リツキ?」
名を呼ぶ声にハッとして前を向く。どうやらさっきの事もあって、師匠は気にかけてくれたらしい。なんとなく嬉しくなって、口角が上がる。
「もう大丈夫です。何度見ても、ここの景色には圧倒されるなと、思っていただけなので」
「そう?」
師匠は小首を傾げて僕の様子を伺うと、パッと手を離した。
「まあ、確かにここはすごい場所だよ。なんてったって“
ふっと、師匠は上を向き、目をすがめた。
「なんといってもすごいのは、このお城だけど」
僕も釣られてそれを仰ぐ。
今、真正面に
白いレンガ調の壮麗な城だ。
無機質な砂漠の中でただひとつだけ、堂々と建っている。その様は異様でありながら、厳かであり、呑まれそうになる。
「さすが、旧魔王城ってところかな」
そう、ここは、旧魔王城なのだ。歴史上、数々の魔王がここを拠点とし、魔族の中心としてきた場所。それが今では、死の砂漠の中で忘れられた孤城となっている。ーというのが、一般的なこの城に対する見方だ。しかし、少なくとも、僕たちにとっては違う。
「なーんか、やっと帰って来れたって感じ。今日、ちょっと疲れちゃった」
「ほんとに。いろいろありすぎです、今日。早く入って夕食にしましょう」
僕たちにとってこの城は、紛れもなく我が家なのだ。
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