第2話 マノン
雑木林の奥へと進むごとに霧はより濃く、より濁っていく。僕たちは黙って、淡々と霧の濃い方へ と進む。
ふと、前を行く師匠が立ち止まった。僕の方を振り向くと、人差し指をくちびるに当て、視線で先を見るよう促す。僕はその視線の先を見て、一連の出来事のあらましを悟った。
「魔獣ですね」
「うん。しかもオオカミの姿をした、とびっきり凶暴なやつ」
オオカミ型の魔獣は、体からもうもうと邪悪な気配がする魔力を垂れ流していた。周りを見ると、 ちょうど魔獣の横に倒れている大木がある。先ほどの轟音の原因だろう。さらに見ると、魔獣の 目の前には冒険者らしき2人組が動けなくなっていた。
「どうします、師匠」
「どうもこうもないよ、助けるしかないでしょう」
「ですね」
そう言葉を交わし、僕はスッと師匠の前に出る。
「僕が行きます。師匠はここで見ていてください」
師匠が何かを言いかけた気がするが無視する。さっきから師匠ばかり僕を振り回しているのだから、これくらい良いだろう。
そのまま勢いよく魔獣と冒険者の間に割って入った。 突如割り込んできた僕に魔獣は一瞬動きを止める。僕はその瞬間を逃さない。
胸元のピンブローチの宝石が煌めいた。
「
刹那、魔獣に向け紅蓮の炎が放たれる。
真紅は魔獣を呑み込み、その体を灰へと変える。 魔獣の断末魔に耳が痛くなりながら、僕はホッと力を抜いた。これでもう大丈夫だ。
と、ヒッという 小さな悲鳴が後ろから聞こえる。
そうだ、冒険者がいたんだったか。僕は冒険者を安心させ てあげようと、後ろを振り返った。
「もうだいじょ」
「リツキ!!」
鋭く僕を呼ぶ師匠の声。 同時に、目の前を覆う黒い影。一瞬、理解ができなかった。影の後ろで倒れる冒険者と、鼓膜を つんざく咆哮を耳にし、ようやくその影の正体を思い至る。
もう1匹いたのか......!
そこからは、全てがスローモーションに見えた。
魔法を...いや、この距離ではもう間に合わない。逃げ、るのは無理がある。
視界いっぱいに魔獣の赤い口が広がる。
もう、ダメか......
瞬間、グッと腕を後ろに引かれる。いきなりのことで、バランスを取れず尻をつく。
何事かと視線を上げると、そこには師匠の背があった。師匠が僕を庇ったのだと、すぐに理解した。師匠に迫る鋭利な牙。
ダメだ。ダメだ。師匠が......っ
「師匠!!」
魔獣が、師匠にーー噛み付くことはなかった。 魔獣は師匠に襲おうとしている体勢のまま、動けなくなっていた。
「ガウッ、ガッ、ガウウッ」
どうにかして抵抗しようとしているが、身動き一つできないでいる。 僕はその光景に、呆気に取られる。
「あのさあ、リツキ。積極的なのはいいことだけど、周りはしっかり見て判断しなくちゃ。この世界 じゃあ、判断をひとつ誤れば、待つのは死のみだよ」
それだけ言うと、クイと右人差し指を右から左に軽くはらう。
ゴオオオオオ
火柱だ。
僕のものとは比べ物にならないような業火が、渦を巻きながら地面と垂直に伸びてい る。魔獣は業火の中で、悲鳴のひとつもあげられずに灰と化した。
業火の前で、涼しそうな顔で師匠は立つ。
僕の頭には何故か『代表者歴伝』の一節が浮かんできた。
『この世界は8人の代表者により動かされている。』
8人の代表者とは、
精霊の代表者 “
人類の代表者 “
魔族の代表者 “
魔法使いの代表者 “
エルフの代表者 “
獣族の代表者 “
悪魔の代表者 “
ドラゴンの代表者 “
のことである。彼らは代替わりを行いながら、世界が再び争いに呑まれないよう、尽力 している。
では、代替わりをした後は?世界の命運を後継へと託した者たちは、どうなるというのか?
僕は、毅然と立つ、己の師匠を見上げていた。そして、思い知る。
ああ、やはり。やはり、彼女はそうなのだ。 8人の代表者。その一角、最強魔女。かつて、その肩書きを持っていた者。
僕の師匠ーマノン、この人こそが“元”最強魔女なのだ。
ふわふわとした心地で、燃え盛る業火の前で凛と立つ
と。唐突に、炎が掻き消えた。
次の瞬間、頭頂部に衝撃。
「イタッ!?」
突然のことに固まる僕。
一方、僕の頭にチョップを喰らわせた当の本人は、くちびるを突き出し僕を見下ろしていた。
「ちょ、何するんですか師匠!」
「何って、お仕置きだよ」
「お仕置きって…」
「リツキが、1人で突っ走ったからお仕置き!」
「う…」
なんとなく居心地が悪くなって目を逸らす。
まあ、確かに、僕が突っ走ってしまった感は…ある。
「ゴメンナサイ」
「気持ちがこもってない」
「う…すみませんでした!」
「反省してる?」
「してます!」
「もうしない?」
「もうしません!」
「…よし」
コクコクうなずく僕を見て、師匠は満足そうにうなずくと、僕に向かって腕を伸ばした。僕はその手を取り、立ち上がる。
「じゃ、そろそろとんずらするよ」
「え、とんずらって…どういう…あっ、そういえば、冒険者さんを手当てしないと!」
慌てて師匠の背後に目を向けると、そこにはスヤスヤと寝息を立てている大の男の大人が2人。
「え」
「そっちは大丈夫。リツキが1匹倒してる間に眠らせて、回復魔法かけといたから」
「え、なんで眠らせる必要が?というか、病院とかに連れて行った方が」
「それも大丈夫、たぶんそろそろ来るから」
「へ」
戸惑っていると、飄々とした師匠に目で促され、僕は訳の分からないまま辺りに意識を向ける。
「あ」
なるほど。雑木林の入り口に、人が集まってきている気配がする。もうまもなく、中に入ってくるだろう。
「私たちも、だいぶ派手にやっちゃったからなー。ちょっとした騒ぎになっちゃったみたい」
なんてことのないように言うが、僕たちにとっては一大事だ。
だって、状況を見てみろ。眠る冒険者に焦げた地面。そこに、見慣れない2人組。怪しいことこの上ない。それに、師匠は目立つこと自体避けたいはずだ。
「さ。さっさとここを離れよう。犯人になるのはごめんだね」
「はい」
もうすぐそこまで気配が迫っている。早くこの場を去らなくては。
僕たちは、気配が近づいてくる方とは反対方向に、走った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます