第1章

第1話 買い出し

 人類の国の東端にある港町、ハーフェン。

 ハーフェンは古くから漁港の集中する港町として、栄えていた。波止場の近くには漁れたばかり の新鮮な魚介を扱う店が立ち並び、商店街を形成している。

 その商店街の一角。 少し奥まった場所に位置する本屋で、僕は本を広げる。本棚の森の中の隅を陣取り、本に見入る僕は、側から見ればごくごく普通の読書好きな少年だろう。わずかに違和感を覚えるのは、地味な服の中で異彩を放つ、澄んだ紫の小さな宝石をあしらったピンブローチのせいか。

 店内の光が店主のこだわりでオレンジ味を帯びており、文字が微妙に読みにくい。

 まあ、商店街から少し外れた立地で、昼間だというのに、夕方のようなのんびりとした静かな空間なので良しとしよう。 本は、静かな空間で読むべきだ。

 僕は、本のページをめくるごとに本の世界にのめり込んでいく。無意識のうちに、自分の頭に手を伸ばし、ピョコンっと飛び出た深い青の柔らかな短髪をつまんでいた。もはや周りが見えなくなりながら、夢中でページをめくる。

 と、周りの声も聞こえなくなってきたところで、僕は手を止めた。本に、薄く影が落ちたからだ。

 読書を途中で止めたことへの抗議の意を含めながら、僕は視線を上げる。

「なんですか、師匠ししょう

「別に。そろそろ帰ろって言いにきただけだよ、リツキ」

 僕の目の前に立っているのは、側から見れば15歳の僕よりも少し上くらいにしか見えない少女だ。軽く梳かされただけの薄紫色の長い髪に、何もかもを見通してしまいそうな深い青紫の瞳。服はフリルをあしらった純白のワンピースに、薄地のローブを羽織っている。ちなみに身長は僕よりも少しだけ高い。誰もが、美少女と評するであろう容姿だ。

「もうちょっとこれ、読みたいんですけど」

「えー、なに読んでるの、って、これ『代表者歴伝』じゃん。リツキこれ好きだよねー。」

「これっていうか、代表者に関することに興味があるんですよ。『代表者歴伝』は他よりも断然内容がくわしいので。面白いです。ネーミングセンスは疑いますが」

「あ、あー、あーね、うん」

 師匠は適当な相槌を打つと、ヒョイと本を取り上げて、本棚に戻してしまった。

「あっ、ちょっと!」

「もう、早く行かないと、買い出し終わらないでしょうが。それに、その本ならウチの書斎にもあるでしょ」

「それは、そうですけど…」

「ほらっ、行くよ」

 そう言うと、後ろも見ずにスタスタと店を出て行ってしまう。 僕はその後ろ姿をうらめしく見ながら、後ろ髪を引かれる思いで店を後にした。

 

 店を出ると、いきなり目が光に刺され、思わず目をすがめる。一瞬足を止めてしまいそうになりながら、数メートル先を歩く師匠に駆け寄った。

「そういえば、師匠は目的のものあったんですか」

「あー、あれね。なかったんだよ。あそこは魔導書の取り扱いが豊富だから、期待してたんだけどねー」

 そう言いながら、顔はそこまで残念そうではない。元々ダメ元だったのだろうか。

 いや、違う。視線が商店街に並ぶ屋台に向いている。ここの商店街は食べ歩き用のフードを売る屋台にも力を入れているのだ。

「師匠?」

「...」

「師匠!」

 力を込めて腕を引くと、ハッとしたようにこちらを見たあと、バツが悪そうに目を逸らした。そんな 師匠をジトッとした目で見つめる。

「師匠、もしかして」

「え、えーっとお」

「......」

 じーっと見つめる。見つめる。 やがて、師匠はその視線に耐えられ無くなってきたのか、冷や汗をたらたら流し始めた。視線も、 あっちに行ったりこっちに行ったり。とうとう観念したように口を開く。

「いや、あの、あのねっ、これはっ、えっとーーーウ」

「言い訳はいいんで」

「屋台でなんか食べたいです!」

「買い出し行きましょう」

「そんなあ!?」

 今度は僕がスタスタと前を歩く。師匠は僕の背中に縋るようにくっついて来た。

「ねえ、リツキい。リーツーキー!ねね、なんか食べよおよう。ほら、なんかどっかから香ばしい いい匂いが......っ!」

「時間なくなりますよ。まだ買ってないもの結構たくさんあるんですから。」

「えー、さっきはリツキだってごねたくせに......」

「明日のおやつ抜きですかね」

「なんでもないですごめんなさい」

 静かになったことを見届けると、僕は手近な肉屋に入る。 商店街にもなかなか来れないからな。食料品は買い込まなくては。後ろで師匠がシクシク言っているような気がするが、無視をしておく。

「よお少年!何かお求めかい?」

「なんかいい肉ないですか?できれば赤みが多い部位がいいんですけど」

「おお、それならいいのがあるぜい」

 陽気な店員に導かれ、僕は勧められた肉を見極める。頭の中ではここ1週間の献立を思い描い ていた。

「ねえねえ、リツキ!このお肉めちゃくちゃ美味しそうだよ」

「師匠は口を出さないでください」

 師匠がキラキラとした顔で指さしたのは並んでいる肉の中でも、最も高いもの。おそらく師匠は値札を見ようともしていない。

 視線も向けずに一刀両断すると、今度は店の隅でいじけ始めた。

 まったく、僕よりもはるかに年上のはずなのに、すぐこういう子どもっぽい言動をする。

 はあ、とため息をつきながら、僕は手早く肉の選定を済ませ、支払いを済ませた。店員が手渡してくる商品を受け取ろうと手を伸ばしながら、師匠に視線を向ける。

「師匠、そろそろ次にーー...」

 ドオン

 突如、重いものが落ちたような重低音が鳴り響いた。

「な、なんだあ!?」

 驚愕の表情を浮かべる店員を横目に、僕は平静を保ちながら師匠に向き合う。

「ししょ」

「行くよリツキ」

 師匠は僕の言葉を遮ぎると、そのまま勢いよく店を飛び出す。僕はその様子に一瞬あっけに取ら れるも、すぐさま我を取り戻し後に続いて駆け出した。

「お、おい待て少年!この肉は」

「後で取りにきます!」

 困惑した店員の問いに、少しだけ振り向いて半ば叫ぶように返す。


 もう一度前を向くと、すでに師匠の姿はなかった。早すぎだろ、と文句の一つでも言いたくなるが 今は堪える。幸い、どこに向かったかは自明だ。足にくっと力を込め、スピードを一段階上げた。


「し、しょうっ!」

 商店街の隣にある雑木林。その入り口に師匠はいた。声を上げながら急いで駆け寄る。

「遅いよ」

「置いて、行ったのはっ、コホッ師匠、でしょう!」

 ゼーゼー息が上がり、膝に手をつき整える。思わずくってかかりたい気持ちが湧き上がるが、そ んなことはしている場合ではないので抑えた。師匠は雑木林の方に視線を向け、何かを見通す ような目をしている。ようやく息が整い、僕も同じ方向を見つめた。

「師匠、これって」

「うん、これは」

 師匠は雑木林ー黒く濁った霧が薄く立ち込める方へ、歩みを進める。

「魔力の気配だ」


 

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