エピソード9・黄泉戸禊
カグラの言葉に愛稀は耳を疑った。聞き間違いかとも思って、先ほどの言葉を頭で思い返してみた。
――あなたはもう元の世界には戻れませんよ。
間違いはなかった。
「……戻れないって、どうして?」
カグラは答える。
「前にお話しした通り、普通の人間はこちらの世界に入り込むことはできません。言ってみれば、それほど入口が狭いのです。逆に、あちらへの出口もとっても狭く、出るのはとても難しいでしょう」
「でも、還る方法はあるんじゃ――?」
「もう一つ理由があるのです。むしろ、そちらの方が重要でしょう。あなたはこちらの食物を食べたではありませんか」
確かに、愛稀はこの屋敷で、カグラに勧められるままお茶とお菓子を食した。
「“黄泉戸禊(よもつへぐい)”ってご存じかしら?」
「知らない」
「簡単にいうと、別世界に来た人が、そこの食物を取り込んで、その存在自体その世界のの者になってしまうことです。本来、異世界どうしの存在は、相容れるものではありません。でも、その世界のものを取り込むことで、同化することができるのです」
愛稀ははっとなった。最初お茶を飲んだ時、愛稀は異様な気持ち悪さを感じた。しかし、飲み進めるうちに、なぜか徐々に妙な味わいは消え、美味しいと感じるようになっていった。それはこちらの世界に、自分の身体が馴染んでしまったためだったのだ――。
「そして、こちらの住人になってしまえば、二度と元の世界には戻れません」
「そんなの嫌だよ……!」
愛稀は声をあげた。
「心配することはありません。あなた自身は何も変わらないのです。ただ、あなたの存在が、あちらの世界のものからこちらの世界のものに変わるだけです」
「私は帰りたいの」
「諦めて。私は思うの。あなたに下界は相応しくない。むしろ神に近いこちらのステージにいた方が、あなたは幸せになれるわ。それに、あなたがここに居てくれると、私たちも助かるんです。結婚をすると生活様式もがらりと変わってしまう。ユウのことを気遣うとはいっても、どうしても構ってあげられない時もあるでしょう。そんな時、あなたに面倒をみてもらえると、とても助かるわ」
そういって、カグラは手を差し出してきた。自分に向けられている微笑みが、愛稀にはとても恐ろしく思えた。一体この人は何を言っているのだろう。こちらの世界にいる方が相応しい? ユウの面倒をみて欲しい? 手前勝手もいいところだ。
愛稀の望みは、もとの世界に還ることに他ならない。住み慣れた家に帰りたい。皆のところへ戻りたい。凜くんに、会いたい。
愛稀は屋敷を飛び出した。真っ暗な森の中を走り、石の階段を駆け下りてゆく。息をつくのも忘れ、彼女は必死で走った。
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