エピソード8・夢の中の捜索

 屋敷を出ると、空はすでに赤く染まっていた。

 愛稀、カグラとトマ、彼らの従者たちは、手分けして山の中を探した。けれど、誰もユウを見つけられなかった。


「どこにいるのかしら」


「これだけ大勢で探しているのに見つからないとは」


 カグラもトマも心配そうだ。日は暮れかかり、辺りはこれからみるみる暗くなっていくだろう。いつ山のけものが出てきてもおかしくない頃合いだ。


「森の奥深くに入っていって、そのまま寝落ちしてしまったとか……」


「ん、寝落ち?」


 カグラの呟きに愛稀は反応した。


「ええ。ユウはとても活発な子なんですが、疲れ切ってしまうと急にスイッチが切れたように眠ってしまう癖があるんです。日中、かなり動き回ったようなので、今頃体力も限界になっているかもしれません」


 カグラの口調は、より心配の色を濃くした。一方で愛稀は、それなら望みはあるかもしれない――と密かに思った。


「いったん屋敷に戻りましょう」


「え? それはダメよ、ユウを早く見つけてあげないと……。使用人たちにももっと力を入れて探すように言うわ」


「そんなことをしたら、ユウくんはもっと警戒してしまうかもしれません。彼が心を開くのを待った方がいいです」


「じゃあ、どうすればいいの? 時間はもう残されていないのよ」


 愛稀はカグラの方をしっかりと見て言った。


「私が何とかできるかもしれません」




 一同は、いったんカグラの屋敷に戻った。


 愛稀は、居間の壁際にもたれかかり、目を閉じた。いつでも、彼女は眠りたいと思った時に、自分で自分を眠りに誘うことができる。昔、何度も何度も、繰り返して身につけた特技だった。眠りに落ちてゆくというよりは、眠りの世界にダイブするという感覚に近い。


 一瞬、ぐらりと落ちるような心地がして、すっと水面に足を付けるように降り立った。

 水面に映る自分の姿は、髪も肌も全身が真っ白に染まっている。目は左右で赤と青と、ちぐはぐな色彩を放っていた。彼女が夢の世界に入り込んだ証だった。


 真っ暗な空間に、ただ水面だけが続いていた。一歩一歩、進んでゆく。足を出す度に水面が揺れるが、愛稀自身は水の中に落ちてしまうことなく、まっすぐに歩いていった。


 やがて目の前に、これまでと同様の神社の景色が広がった。遠く、石畳の上を歩く花嫁行列が見えた。みな顔に狐の面をつけているが、その中心にいる花嫁・花婿は背格好からみてカグラとトマのようだ。その様子を遠くからひとり見つめているようで、どこか寂しい心地がする。これはユウくんの思念が見せているものだ――と愛稀は直感した。情念が伝わるくらいの距離に彼はいるようだ。


 夢を通じて、その者の深層心理に入り込む。これは、彼女が幼い頃からの人知れぬ能力だった。


 花嫁行列を見た場所を離れ、しばらく行くと薄暗いところに出た。前にはたくさんの狐がいて、いっせいにこちらを睨んでいた。ユウの守護霊のようなものか、もしくはユウの警戒する心が具現化されたものなのか。ここは通さないぞ――と言っているようだ。

 愛稀は口元に手をかざして、ふぅっ――と息を吹いた。それは緑色の風となり、狐たちに向かって流れてゆく。大丈夫、私は味方だよ――そんな思いを含んだ、温かい風だった。風の流れに従うように、狐たちは両端へと逸れて道を開けてゆく。愛稀は狐の間を通るように、石畳の上を歩いていった。


 やがて、小さな社の前で、こちらに背を向けて立つユウを見つけた。


「ユウくん」


 愛稀の呼ぶ声にユウは振り向いた。愛稀を見て、一瞬怪訝そうな顔をした。


「愛稀さん……なの?」


「そう。この世界では、こんな姿になっちゃうんだけど」


「ここはどこなの?」


「ユウくんの心だよ。“夢”ともいえるけど」


「ボクはいつの間にか眠ってたの……?」


「そうみたいだね。今までどこにいたの?」


「ここだよ」


 祠はすでにぼろぼろで、辺りには木が倒れていたり、岩が落ちていたりする。山を登ってきた時も、こんな社があったような気がするが、何しろ数多の社を巡ってきたので何となくの印象しかなかった。

 ユウは地面に倒れていた石の柱をどけた。そこには、人がひとり入れそうなくらいの空洞が広がっていた。


「ボクの秘密の場所なんだ。誰も、姉さんだって知らない」


「ここに隠れてたんだね」


「そういうこと」


「そろそろおうち帰ろうよ」


 愛稀は促したが、

「……嫌だ」

 と、ユウは承諾しない。


「どうして? カグラさんが結婚しちゃうのが、まだ許せないから?」


「…………」


「カグラさん言ってたよ。トマさんとの結婚は、カグラさん本人も本当に望んでいたことだったって。それに、カグラさんもトマさんも、結婚してもユウくんを独りぼっちにはさせないって思ってる。ふたりのこと、認めてあげたら?」


「本当は分かってたんだ。姉さんがアイツのことを好きだってこと。でも、思ってしまうんだ。ずっと一緒に過ごしてきた姉さんの心が、別の人のところに行ってしまうのは、どうしても嫌だ。ずっと、僕のそばに居てくれたらいいのに――って」


「やっと本心を話してくれたね。私にも分かるなぁ――その気持ち」

 愛稀はしみじみと言う。

「私にもね、とっても大事な人がいるの」


「家族や兄弟の人?」


「ううん。でも、大好きな人。その人が遠くに行っちゃうことになってね、私、すっごく我儘だった。ちゃんと話し合うこともしないで、嫌なことばかりいっぱい言って……。結局、お互いの心がちょっぴり離れちゃった」


「お参りに来ていたのもそれで?」


「鋭いね。でも、それは間違いだったと気づいた。自分の気持ちばっかり相手に押しつけてもダメ。ちゃんとその人のことも考えなきゃ。大切な人ならなおさら」


「…………」


「ユウくんにも、大好きなカグラさんを失って欲しくない。でも、カグラさんがお嫁に行くことは、失うということじゃない。むしろ、このまま頑なでいた方が、余計にカグラさんとの間に距離ができてしまうと思うよ」


「……そうだね」


「戻ろう? カグラさんたちのところに」


 ユウは一つ、大きく頷いてみせ、愛稀はそんなユウに微笑んでみせる。


 次の瞬間、愛稀は目を覚ました。


 カグラの屋敷の中、辺りはすっかり夜になり部屋には行灯が灯っていた。ふいに、がらりと玄関の方で戸が開く音がした。カグラとトマはすぐにその方へと走ってゆく。愛稀もそれに続いた。玄関には、ユウが立っていた。


「ユウ……良かった」

 と、カグラはユウを強く抱きしめた。ユウが言った。


「姉さん、ごめん。トマさんとの結婚、認めるよ」


「本当? ありがとうね」


 涙を流して喜ぶカグラ。愛稀はその様子を微笑ましく見つめていた。自分の役目は終わった。今度は自分の番だ。早く山を下りて、凜に会いに行きたい。


「じゃあ、私、そろそろ帰らなきゃ」

 と愛稀が言ったその時――、


「えっ?」

 と、一同驚いた顔でこちらを見た。一瞬で、おかしな空気になったことを愛稀は不審に思った。一体、どうしたのだろう――。すっ、とカグラが立ち上がり、愛稀の方をしっかりと見て言った。


「愛稀さん、とても言いにくいのですが、あなたはもう元の世界には戻れませんよ」

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