エピソード7・ユウたちの正体

 山道を外れて、小径をしばらく行ったところに、森に囲まれるようにして屋敷があった。カグラとユウが暮らしている屋敷なのだという。ふたり暮らしの住居としては少し大きいような気もしたが、使用人たちも出入りしているとすれば納得がいく。


 愛稀は居間に案内され、トマとカグラに向かい合う形で座っていた。やがて、狐の面をかぶった使用人が、茶と菓子を運んできた。


「どうぞ、召し上がってくださいな」

 と台に置かれたそれを手のひらで差して、カグラは言う。愛稀はその言葉に従って、湯呑を手に取り、ひと口飲んだ。その瞬間、思わずむせてしまった。


「お口に合わなかったかしら?」


「いえ、ごめんなさい……」


 実際のところ今まで食べたことがないような奇妙が味がした。


「馴染みのない味かもしれませんね。でも、徐々に慣れてくると思いますわ」


 カグラがそう言うので、おそるおそる2口目にいってみた。不思議なことに、最初に飲んだ時の不味さはほとんどなく、するりと飲むことができた。続けて3口目を飲む。今度はまろやかな味わいが舌を駆け抜け、飲み込むと華やかな香りが鼻を抜ける。今まで飲んだことのない美味しさだった。


 カグラは、今度は「お菓子もどうぞ召し上がって」と勧める。食べてみると、とても甘くて、今まで味わったことのないような美味しさだった。

 一口目に茶を飲んだ時はとても不味く感じたのに、どうしてここまで急激に味の印象が変わったのだろう――。


「……そろそろ本題に入りましょうか」


 頃合いをみて、カグラの方から話をはじめた。


「すでにお気づきかもしれませんが、私たちはあなたの住む世界の者ではありません」


「ええっ――!」


 驚いた声をあげてしまったが、これまで見てきたものを考えると、納得ができないことはなかった。


「この山自体が、切り離された世界ってことですか?」


「そういうことではないです。ここでいう世界とは、場所や方位によるものではありません。むしろ、魂や精神が存在し得る次元というのが相応しいです。あなた方の世界にも同じ場所に、同じ形をした山や社が存在することでしょう。しかし、同じ場所であったとしても、私たちと接することはありません」


 カグラの話に、今度はトマがつづけた。


「通常は、あなたの住む世界の人間は、私どもの世界に来ることはおろか、感じることはできないのです。仮にこちらに入りかけたとしても、世界の移行はグラデーションのように行われるので、その過程で追い返されてしまうことがほとんどです。大抵は入りかけていたことさえ気づかないでしょう。ただ、ごくごく稀に、それさえも超えて、足を踏み入れてしまう人がいるのです」


「私もそうなっちゃったってこと?」


 愛稀は自分の顔を自分で指さした。カグラはひとつ頷く。


「でも、どうして……」


「原因は色々と考えられます。生まれつきの体質やその時の心の状態……あとは、お酒を飲むと自己の心の境界が曖昧になって、別の次元に入りやすくなるともいわれていますね」


 愛稀ははっとなる。参道を歩く前、売店で日本酒を飲んだ。店のお婆さんからそのようなことも言われていたが、現実に起こるとは。


「それじゃあ、あなたたちは何者なの?」


 トマが答えた。


「私たちは神の眷属です。この山は、主祭神をはじめ多くの神々によって治められています。私たちは、それらの神様に仕え、この山を守る使命を負っています」


「ここの世界の人たちが狐のお面を被っているのは?」


「先ほども言った通り、通常であればこの世界には人間は入ることはできません。ですが、あなたのように知らないうちに入り込んでしまう人が稀にいるのです。そのような人に、あまりこの世界のことを知られてはならないというきまりがあるのです。そのため、私どもも顔を見られないよう、面をつけているというわけです」


「私には顔を見せてくれたのはなぜ?」


 カグラが答えた。


「ユウと一緒にいるあなたを見て、信用に足る人間だと判断したからです。……とはいっても、私たちも、まったく人間と関わりがないわけではないのですよ。たまに下界の様子を探るために、山を下りたりもします。その時には私たちは狐の姿に扮していますが」


 神社の境内に入った時、いたるところに狐の石像があったのを思い出す。あれは、そういうことだったのか――と愛稀は思った。


「あと、あなた方が“初詣”と呼んでいる参拝の催しがありますが、その時の皆さんの御祈願を神に届ける仕事も、私たちがしているのですよ」


「へえ――。でも、ユウくんやカグラさんも、さっきお祈りをしていましたよね」


「もちろん、自分たちが御祈願をすることもあります。でも、私どもの参拝とは、この地を治める神に感謝し、未来永劫のこの地の安泰と繁栄を願うものです。というか、本来は人間の御祈願もそういうもののはずだったのですが――最近は自己の私利私欲を願う人が多くなってしまいましたね」


 カグラは苦笑いを浮かべる。愛稀は内心気恥ずかしさを覚えた。自分の願いも、完全に自己都合によるものだった。


「ただ、今回のユウの参拝は、本来のものではなかったようです」


 トマが神妙な顔で言った。カグラも残念そうな顔で頷く。


「そうです。あの子は、私たち眷属にとってあるまじき、私利私欲のお願いをしてしまいました」


 それはもちろん、ふたりの結婚をなかったことにするということだろう。


「ユウがあのようなことをしてしまったのは、私たちにも責任があります。あの子には寂しい思いをさせてきました。私がお嫁に行くとなって、いよいよひとりぼっちになってしまうと思ったのでしょう」


「ユウくんは、カグラさんが望まない結婚を強要されている――と言っていました」


「とんでもありません。私とユウが小さい頃に両親が亡くなり、以来私がユウの親代わりを務めてきましたけれど、それは遠縁の親戚からの援助があったからこそ、できたことなのです。そして、その一族の跡取りであるトマさんに、私はとても優しくしてもらいました。

 この度、本家より縁談の話が持ち上がった時は、私は心の底から嬉しかったのです。何度かそのことをユウに話そうとしたのですが、ユウは聞く耳を持ちませんでした。じきに分かってくれるだろうと思っていましたが、まさかここまで思いつめているとは……」


 カグラは残念そうに呟いた。愛稀は思った。本当は、ユウも姉の気持ちにうすうす気づいているのかもしれない。でも、姉が自分から離れて行ってしまうのが嫌で、それを認めたくないのだ。


(私と同じだ――)


 ふと、そんな風に思った。凜が遠くに行ってほしくない――愛稀はそんな自分の心ばかりを優先して、彼の気持ちをまったく考えず、反対ばかりしていた。その結果、数ヶ月もの間、互いの心はすれ違い、挙句に愛稀はそれをなきものにするために、こうやって神に祈りにまで来て、別世界に迷い込んでしまった。すべては、自分の勝手な思いのままに動いてきた結果だったのだ。


 それに気づいた途端、猛烈に彼に会いたくなってきた。今までのことを謝りたくなってきた。……だが、その前にやらなければいけないことがある。


「まずはユウくんを探さないと」


「協力してくださるのですか?」


「もちろん。私もあの子のお参りに付き合ったのだし」


「助かります。先ほど、我々眷属は神様に個人的な願いごとをしてはいけないという決まりがあると話しましたが――その禁忌を犯したと知られたら、神々からきつい罰を受けてしまうのです。その前にユウを連れ戻したい。私たちが付き添ってきちんと事情を説明すれば、ユウの罪もそれほど重くならないかもしれませんから」


 具体的にどんな罰なのかは分からないが、それほどきついのであれば、捕まってしまっては可哀想だ。早く見つけなきゃ、と愛稀は思った。

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