エピソード6・ユウの姉
誰もいなくなってしまった思った矢先にユウに出逢えたことで、愛稀は救われた心地がした。ユウについていくと決めたのには、再び独りぼっちになるのが寂しかった、という理由もあった。
けれど、一緒にお参りすると決めて早々、やけに勾配のきつい階段に。愛稀はたまらなくなってその場に膝をついてしまった。
「ちょっと待ってよ……」
息も絶え絶えに言う。前を行くユウは愛稀を振り向き、あきれ顔で言った。
「この程度で、情けないなぁ」
彼は息ひとつ切らしていない。
「そんなこと言ったって……」
一方で、愛稀はしばらく動けなさそうだ。ユウは仕方なく、数歩戻って、愛稀のところまで来た。
「むしろ、ユウくんが全然平気そうなことに驚きだよ」
「ボクはよく来ているから。まあ、いま来ているルートは、逆回りのルートよりも勾配がきついところが多くてしんどいんだけどね」
「そうなの!?」
愛稀は目を丸くする。
「どうしてそっちのルートにしてくれなかったの……」
「『楽な方にして』なんて言わなかったじゃないか。それに、ボクにはこっちのルートの方が都合がいいんだ」
「都合……?」
ユウは再び先の方に目をやった。
「まあ、もうちょっと頑張って。ここを上りきったら頂上はもうすぐだよ」
「本当?」
「嘘言ってどうするんだよ。ほら、行くよ」
ユウに急かされて、愛稀は仕方なく立ち上がる。見上げるだけで気が遠くなりそうだった。あと何段、この急な階段を上らなければならないのだろう。それに、ここの階段を上り切ったところで、まだ上り道は続くかもしれない。どれだけ行けば、頂上までたどり着けるのだろう――。
(頑張らなきゃ……)
愛稀は内心で自分を鼓舞して、さっさと歩き出したユウに続いた。お参りをする目的は、自分自身のためにほかならない。
それからも話をしながら、方々の祠に立ち寄りながら山を登っていくと、やがて平坦な所に出た。山中に入ってから見たものの中では、ひときわ大きな社が建っている。
「頂上に着いたよ」
ユウが言った。
「やった」
愛稀は安堵の声を漏らす。上まで来たということは、あとは下ってゆくだけだ。ほっとした心持ちで、お参りを済ませる。さあ行こうと思った時、どこかからシャン、シャン、という鈴ようなの音が聞こえてきた。ユウの持っている杖からする音にも似ている。
「誰か来たのかな?」
愛稀が呟くと、ユウはいち早く社の階段を下り、通りをうかがった。すぐにこちらに戻ってきて、小さな声で叫ぶ。
「マズい、隠れて!」
と、愛稀の方へと駆け寄り、彼女の手を引いた。愛稀は訳も分からず、彼に社の敷地の中の岩場に連れていかれる。
「ちょっと、こんなことしたらバチが当たるんじゃない?」
と愛稀は言ったが、「しっ!」とユウは人差し指を口に当てて、岩場に身体をひそめた。
何だろう……と思いながら石でできた柵の間から外を見下ろす。鈴の音は徐々に大きくなり、やがて複数人の足音が混じるようになった。やがて、通りに幾人かの着物姿の行列が見えた。社の入口で立ち止まった。列の中心にいるのはどうやら女性らしく、真っ白の着物に身を包んでいる。
「姉さんだ」
ユウは小声で言った。
「えっ」
愛稀も女性の方を見る。頭巾をすっぽりとかぶり、顔のあたりに影が差していた。ユウの姉だというその女性は、周囲の人たちとともに社の前の石の階段を上ってきて、神前で柏手を打った。手を合わせながら、透き通った声で文言を唱える。お淑やかな仕草や凛としたたたずまいは美しいと思えた。
ユウの姉というその人は、お参りが終わると、さっと踵を返して石段をゆっくりと下りてゆく。女性が下まで来た時、どこからともなく袴姿の男性が姿を現した。
「あっ、あいつ……」
とユウが呟いた。
「これはこれは……今日もお参りですか」
「ええ、日課ですので」
男性の声に、女性は返す。
「信心深いのは結構なことだが……身体を傷めたりして明日の婚礼の儀に差し支えても良くない。無理をせず、今日はゆっくりと休んでください」
「お気遣いくださって、ありがとうございます」
「心配して当然です。あなたは、私の妻となる人なのですから」
会話を聞く感じだと、男性は彼女の婚約者のようだ。
突然、ユウが立ち上がって叫んだ。
「やい、お前なんかと姉さんは結婚しないからな!」
ユウは駆け出し、彼らの方へと下りてゆく。
「ちょっと、ユウくん!?」
愛稀も思わず立ち上がる。
「ユウ!あなたどうしてこんなところに……」
ユウの姉をはじめ、そこにいる全員が一斉にこちらを向き、愛稀も見つかってしまった。彼らの顔を見て、愛稀は驚く。全員、当初ユウと出逢った時と同じく、狐の面を被っていた。
「あの人は……? あなた、下界の人間に素顔を見せちゃったの?」
「そんなこと今はどうでもいいよ。ボクは神様に祈ったんだ、姉さんが、こんな奴のもとにお嫁に行きませんように、って。姉さんだって、本当はこんな奴と結婚なんかしたくないんだろ」
「いい加減にしなさい!」
ユウの姉もさすがに声を大きくした。彼女の婚約者という人が優し気に語り掛ける。
「ユウくんと言ったね。よかったら落ち着いて話を聞かせてくれないか。私と君の姉さんとの結婚に反対しているようだが、どうしてかな? ……もしかして、私がキミの姉さんを盗ろうとしていると思っているんじゃないかい」
ぴくり、とユウの身体が動いた。
「キミにとっても、姉さんは大切な家族だものね。でも、勘違いしないで欲しい。私はキミと姉さんとの絆を引き裂こうなんて、これっぽっちも思っていない。むしろ、キミが寂しい思いをしないようにしてあげるつもりだよ」
「そうじゃないったら!」
ユウが叫ぶ。
「ちくしょう……何でこうなるんだよ。どうして、ボクから姉さんを奪っていくんだよ」
ユウは姉とその婚約者から背を向けて、走りだした。「ちょっと、ユウ!」と姉が呼び止めようとするも、彼はそのまま走り去ってしまった。
「まったく……」
と仕方なさそうに呟いた後、姉は弟に向けていたその顔を、再び愛稀の方へと移した。他の面々の視線もまたもこちらに集まる。
「あ……えっと……」
愛稀は自分は無関係ですとか何とかいって、その場から立ち去りたい衝動に駆られたが、当然そういうわけにもいかない。ユウの姉が優しい口調で言った。
「お見苦しいところをみせてしまい、すみません。よかったら少し、お話をさせていただけませんか?」
そう言うと、彼女は顔の面を外した。ユウとよく似て、くりっとした目が特徴の愛らしい顔が露わになった。
「お嬢様、面を外すのは……!」
と周囲の人たちが警戒する。ユウの姉は落ち着いた様子で言った。
「いいのです。ユウも素顔を見せていたのでしょう。それに、これからお話をさせていただこうという相手に、顔も見せないのは失礼です」
「あなたの言う通りですね」
と、婚約者の男性も面を外した。ユウや彼の姉のような可愛げのある顔とは対照的に、切れ長の目をした精悍な顔つきだった。
「よかったら、下りてきていただけませんか?」
はあ――と、愛稀はため息をついた。ここは相手の申し出に従うほかないようだ。ふと見ると、傍らにユウがその場に残していった杖と、そこに括り付けられていたお面が倒れていた。それを拾って社を下りてゆく。
「これ、ユウくんが忘れていったものです」
愛稀が杖を渡すと、姉は「わざわざありがとうございます」と言って受け取り、付き人にそれを渡した。
「申し遅れました。私はカグラといいます。ユウの姉であることはもうお分かりでしょう。そしてこの方は、私の婚約者のトマさんです」
トマと紹介された男性は、その場で丁寧なお辞儀をした。続いて、カグラより「あなたのお名前は?」と訊かれ、「愛稀です、日下 愛稀」と自己紹介する。
「立ち話も何ですし、よかったら私の屋敷に来ませんか? まだ状況について、把握できていないところもあるでしょう。ゆっくりお話をさせていただきますわ」
カグラの申し出に乗ることにした。これまで、何気なくユウと一緒に行動してきたが、思い返してみるといつの間にか一緒に歩いてきた人がいなくなっていたり、晴れているのに雨が降り出したり、不思議なことだらけだ。ユウやカグラが一体何者かすらわからない。カグラたちに話を聞けば、それらの疑問は解消されるのだろうか。
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