エピソード5・山へ
神社は思ったよりも近くにあった。
もとより、この地域は神社仏閣をはじめ、歴史的な文化が現代も色濃く根付いているが、こんなに有名な神社がこんなにも近くにあるとは――“灯台下暗し”とはまさにこのことだろう。
どうやら、この神社は日本でも屈指の規模を誇っているらしく、海外からも注目を集めているらしい。実際、初詣とは程遠い時期ながら、辺りにはそれなりに人が居て、西洋人やアジアの国から来ているっぽい人もちらほらいた。そろそろ雨季に入るという時期だが、天気は晴れ上がっていて少し汗ばむくらいの陽気だ。
境内の中を進むと、やがて本殿がみえた。お参りの際の作法に従って拝むが、ふと何と祈ればいいのかと迷った。すぐに、凜に対して自分がして欲しいことをそのまま思えば良いのだと思い至る。
(凜くんが行っちゃいませんように。ずっと私のそばに居ますように)
ふいに、愛稀の周囲で、つむじのような風が巻き起こるのを感じた。自分の祈りに対して、神様が反応したのだろうか。そんな風に思わせるくらい絶妙なタイミング。なぜか心がザワつくような感覚もあった。少し気になりながらも、愛稀はその場を後にした。
とりあえず用事は済んだが、せっかく来たことだし、これだけで帰るのは勿体ない気もする。見ると、さらに奥の方へと道が続いている。その方に向かって歩いてゆく集団もいた。愛稀も何となく呼ばれているような心地がして、その方に向かってみた。
鳥居が幾本も連なったトンネルのような空間を、まるで吸い込まれるように進んでゆく。この通りには見覚えがあった。たしか、昔テレビか何かで、見たような気がする。特集されるほど有名なこところのようだが、ここがそうだとは知らなかった。自分の無知を思い知るような気持ちになる。
辺りの人の流れに沿って歩いていった。しばらくすると、がらんとした空間に出た。隅の方に長椅子がいくつか置かれている区画がある。小屋のような売店があり、飲食もできるらしい。行ってみることにした。
「すみません」
小屋の窓から顔をのぞかせるお婆さんに声をかけた。
「いらっしゃい。何にします?」
「うーんと――オススメはありますか?」
「そうねぇ……。お嬢ちゃん、お酒は飲めるかい?」
「お酒ですか?」
20歳になるので、飲めるといえば飲める。それに、酒好きな凜に付き合って飲む機会もそこそこあった。けれど、こんな日中から飲んだ経験はない。
「冷酒があるよ。うちで扱ってるのは、神様にも献上するありがたいお酒でね。それに、ちょうど冷えてるから、暑くなってくるこれからの時期にもピッタリだしね」
「じゃあ、それください」
愛稀は応えた。単調な道を来たとはいえ、6月のじめじめした気候のなか歩いてきたため、身体は汗ばむ程度には火照っている。冷たい飲み物は魅力だ。お婆さんは店の奥から涼やかなガラス製の徳利とお猪口を持ってきた。お金を払ってそれを受け取った。
向かいの長椅子に座り、お猪口に注いで飲んでみる。十分に冷えた液体は口にすぐ馴染み、飲み込むと身体の熱を奪うかのように喉元を過ぎていった。キツいかと思いきや、意外と飲みやすい。思えば、凜と一緒に飲むお酒といえば、ウイスキーやジン、ウォッカなど、洋酒をベースにしたものばかりであった。ソーダやジュースで割って飲むことが多いとはいえ、そもそも強い酒であることには違いはない。
日本人たるものやっぱり日本酒だよ!と、今度彼に教えてあげよう――と愛稀は思いながら、もう1杯、お猪口を口に運んだ。
「ここにはよく、お参りに来るのかい?」
お婆さんが訊いてきた。日本酒を飲みながら愛稀は答える。
「はじめてなんです」
「そうかい、この先も参っていくの?」
「実はあんまりよく分かってないんです。作法とか」
恥ずかしさに、愛稀は頬を掻いてみせる。
「この先にもお参りするところがあるからね。もし興味があるんだったら行ってみるといいよ。きつい山道を登ることになるけれど、しんどかったら途中で引き返してもいいし」
そうか、皆そこに向かってるんだ――愛稀は思った。
「行ってみます」
「ただ――」
ここで、お婆さんは少し神妙な口調になった。
「お酒にはあっちの世界とつながる力があるというからね。連れていかれないように少し注意した方がいいよ」
思わず愛稀は徳利の方に目を移した。淡いブルーのガラス容器ごしに、半分ほどに減った無色透明な液体が揺れている。見つめていると、すぅっ、と意識がお酒の方に引き込まれるような心地がした。
「なんてね」
お婆さんの声にはっと我に返る。
「そんなことは滅多に起らないと思うけれどね」
笑って言うお婆さんに、「あはは」も愛稀は笑った。ほどよくお酒が回ってきたせいか、楽し気な気持ちになっている。残りの日本酒を飲みほすと、徳利とお猪口をお婆さんに返した。
「まあ、ともかく、険しい道が続くから、気をつけてね」
「らいじょうぶですよぉ」
ちょっぴり呂律が怪しくなっている。思ったより酔っているようだ。けれど、このくらいなら――と愛稀は安易に考えて、店を後にした。
ところが、歩いていると、何でもない平坦な道で、足をとられてその場で膝をついてしまった。
(あれ――?)
突然のことに自分でも驚きながらも顔を上げる。目の前に、たくさんの鳥居で囲まれたトンネルがあった。周囲の人たちもその方へと歩いてゆく。愛稀も立ち上がり、その中へと入っていった。
誰もが何も言わず、ただ黙々と鳥居にはさまれた道を中を歩いてゆく。愛稀もそれにならった。今度は石でできた上り階段が現れる。あのお婆さんの言った通り、かなり険しいな――と愛稀は思ったが、今さら引き返せない。息も切れ、めげそうになる心を鼓舞して上がっていった。
一生懸命石段を登り、やっと上り切った。しばらくかがんではあはあと息をつき、再び顔をあげてみて驚いた。高台から街が一望できる。息が上がっているのも忘れて、愛稀はその方へと駆け寄った。民家やビルといった建物が、まるでミニチュアのように小さくなって、密集している。遠くには、もやがかかったようにうっすらとした山が連なっていた。
「うわ、すごいすごい!」
と、テンションが上がりながら、しばらくその光景を眺めていたが、
(あれ――?)
ふと違和感を覚えた。辺りを見渡す。
やっぱりだ――。
さっきまで大勢の人たちと山を登ってきたはずなのに、いつの間にか、自分以外誰ひとりいなくなってしまっている。
自分の歩みがトロくて、皆すでに先に行ってしまったのだろうか。だとしても誰もいないなんて奇妙だ。辺りを散策してみるけれども、やはり人っ子ひとりいない。
おかしいな――。
先には、再び石の階段があった。上るべきだろうか。奇妙な状況下で、さらに歩を進めるべきか、愛稀は迷った。その時、雲ひとつない青空から、突然雨が降り出した。
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