エピソード4・幼馴染の助言

『どうしたらいいのかなぁ?』


 このような問いかけを、一体何度されたか分からない。

 間宮 遙は、これが電話を通じたやりとりで良かったと思った。いま自分は相当うんざりした顔を浮かべているだろうが、相手にそれを見せなくて済む。


 電話の相手は、親友の愛稀だった。が、ここ数ヶ月の間、同じ相談を何度も受けている。恋人が遠くに行ってしまうかもしれない……という話を、朝っぱらから聞かされるこちらの身にもなって欲しいものだ。


 知らないわよ――とさっさと話を切り上げたいところだが、一度思いつめると他のことが一切考えられなくなる愛稀は、そんな遙の思惑などお構いなしで、延々と話しつづけてくる。


 愛稀はどこか空気が読めないところがあるのだった。それは感情が暴走している時に、特に顕著になる。なのに、思いもよらないところで、本心をズバリと当ててきたりもする。その時々で出方がちぐはくで掴めない存在、同性からは嫌われるタイプだ。


「鳥須先輩とはその辺の話はしているの?」

 と、苛立ちを抑えつつ遙は訊いた。幼馴染として、あまり冷たくあしらうのも気が引ける。冷徹になりきれないのが、遙の弱いところだった。それに、凜は遙にとっては大学の先輩にあたる人でもある。


『ううん、彼、最近は忙しいって、あんまり会ってくれないもの』


「ずっと会ってないってこと?」


『しばらくは。前に会った時も、留学の話には全然ならなかったし』


 遙は状況を推理してみる。凜がなかなか愛稀に会える機会が作れないのは事実だろう。凜はこの春に修士号を取得し、いまは博士課程に在籍している。留学の準備もあると考えると、多忙な時期が続いているに違いない。


 ただ、彼は自分の意思を最優先に行動するところはあるが、それで他人のことをないがしろにするような人間だとは思えない。おそらく、彼は彼なりに、恋人である愛稀のことをそれなりに気にしているのだろう。となると、原因は愛稀の方にあるように思える。留学の話になりかけると、肝心なところで逃げてしまうのだろう。


 これは飽くまでも、ふたりの共通の友人としての想像である。が、おおよそその通りだろうという自信は、遙にはあった。


『嫌だよぉ、このまま顔を見たり、声が聴けなくなるなんて……』


 愛稀は悲し気な声を上げる。遙は少し引っかかった。今の世の中、たとえ地球の裏側にいたとしたって、まったくコミュニケーションが取れなくなることなどあり得るだろうか。だが、口には出さないことにした。遙自身も、その辺りのことには詳しくない。つい口にしてしまったがために、愛稀に根掘り葉掘り訊かれても困る。


 スマホを耳から離して、画面を見てみる。もうかれこれ2時間近く話していた。コミュニケーションアプリを通じた会話なので、いくら話しても料金はかからないが、自分だって暇ではない。これ以上自分に無関係、かつ解決の糸口さえ見えない話に付き合わされるのはうんざりだ。


 何とか話を切り上げる方向に持っていくようにしよう――と考えて、あることを思い付いた。


「そういえば愛稀、あなたの通う大学の近くに、大きな神社があるの知ってる?」


『……ああ、何となく。有名なところらしいね』


「うちの大学の先輩がね、先日そこにお参りに行ったらしいの。その人、高校の頃から付き合っていた恋人がいるんだけど、間もなくその人との結婚が決まったんだって。学生結婚よ」


『へぇー、素敵だね』


「愛稀も行ってみたら? いいことがあるかもよ」


『そんなすごいんだ。なるほど、なるほど……』


 しばしの間、愛稀はひとりぶつぶつと何やら言い続けていたが、やがて応える。


『早速行ってみる!』


 そう言うが早いか、愛稀は電話を切った。耳元が急に静かになる。

 遙は深くため息をついた。ずっとウダウダと思い悩んでいたのに、思い立ったら即行動、という彼女の切り替えの早さには感心してしまう。


 先ほど、愛稀に話したことは事実だった。けれど、遙自身は神やご利益といった類のものは信じてはいない。サイエンスとは理論をもって真実に向き合う学問であり、遙はそれを学ぶ学生である。言うなればスピリチュアルな世界とは真逆の道を行く立場だ。


 何が神よ、何がご利益よ――遙は自嘲気味に笑った。


 だが、神社仏閣が人間の心に何かしらの影響を与えるものであることは事実のようだ。冷静になって自分を振り返ったり、物事を考え直す機会にはなるかもしれない。少なくとも、自分に無駄話を延々としかけるよりは、数段マシだろう。


 やれやれ……と遙はパソコンを開いた。これでやっと自分のことに取り組める。先日の学生実習のレポートを作成しなければならなかった。クロマチン免疫沈降法を用いてサンプルを同定する実験だった。


 やがて集中力が増し、遙はこれまでの事は忘れて、課題に没頭していった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る