エピソード1・狐の嫁入り

 突然、雨が降り出した。

 上空には真っ青な空が広がっている。なのに、わが身にはなぜか糸のような雨粒が降り注いでくる。雨の勢いは次第に強まってくるようだ。


 慌てて近くの建物の屋根に身を隠した。雨足はどんどん強まり、ざあざあという音も次第にけたたましくなってくる。おびただしい量の雨粒に、景色がぐにゃりと歪むような心地がした。


 だが、地上の風景とは逆に、空は相変わらず澄んだ青の存在感を放っている。何だか、おかしな天気――日下 愛稀は心のなかで呟いた。


 どうしてこんなことになってしまったのだろう。愛稀は山道を上り続けていた。どういうわけか迷い込んでしまったのだ。引き寄せられたような気がしないでもない。

 不安の中、辺りを見渡す。木造の小さな小屋のような建物で、小さな神棚のようなものが奥の壁際にあったが、人は自分以外誰もいないようだった。外にも人の気配はなく、突然降ってきた雨に騒ぐ声もない。おかしいな、と思った。ついさっきまで、辺りにはそれなりに人も居たのに。


 やがて雨足が緩やかになってきて、しだいに小雨になり、上がった。ふいにどこかから、じゃらじゃらという鈴の音が聴こえてくる。何だろう、愛稀はひょっこりと建物から顔を出して、外の様子をうかがった。視線の先に、朱色の鳥居があって、さらにその先には木々に囲まれた石の階段が伸びている。その階段を降りてくる子供がいた。地味な色の着物を着て、たくさんの鈴をつけた杖を持っている。顔には狐のお面をつけていて顔は見えないが、雰囲気的に男の子のようだ。


 少年は徐々に下りてきて、やがてこちらまでやって来た。立ち止まって、お面越しに愛稀を見る。奇妙ないでたちに、愛稀は息をのんだ。


「お姉さん、何しているの?」


 何って――どう言えばいいんだろう。愛稀が答えに迷っていると、少年はつづけた。


「ここは社だよ」


「あ、そうなんだ……ごめん」


 咄嗟に入ってしまったが、こうやって改めて眺めると、雨宿りをするような場所ではないことは明らかだ。


「僕に謝られてもね」


 少年は杖を膝上くらいの高さの台に置き、祠へと立った。一礼をして手を合わせた時、思い出したようにこちらを向く。


「一緒に拝んでいったら?」


「そうだね」

 と、愛稀は少年の横に立ったものの、どうお祈りをしたらよいのか一瞬、迷ってしまった。が、まずは勝手に入ってきてしまった非礼を詫びるべきだと、すぐに思った。お辞儀をして、柏手を打ち、手を合わせて祈る。


(勝手に入ってきちゃって、ごめんなさい。あと――)


 そうだ――ここまでやって来たのには、とある目的があったのだ。目をつむりながら、心の内に秘めた願いもそっと吐き出した。


 目を開けると、少年はすでに参拝を終え、台の上に置いた杖を取ろうとしているところだった。


「じゃあ、ボクは行くから」


 少年はさっさと行こうとする。愛稀はまた一人になってしまうことに不安を覚えた。思わず手を伸ばして、少年の肩を掴んだ。


「ねえ、ちょっと待ってよ」


 がくん、という衝撃で少年のお面の紐がほどけて、お面が地面に転がった。少年は驚いた顔でこちらを見た。大きな目が特徴的で、まだあどけなく可愛らしい顔つきをしていた。


「あ、ご、ごめんね?」


 愛稀はわたわたして少年のお面を拾いにゆく。その様子に、少年は一つ鼻で息をついて、肩を落とした。


「どうしたの?」


「道に迷っちゃって――どう帰ったらいいのかも分からないし」


 愛稀は少年にお面を渡しながら言った。


「じゃあ、ボクと一緒に来る?」


「え、いいの?」


 愛稀の目が輝いた。


「僕はこの山をずっと参拝して回っているんだ」


「そんなにたくさんお参りするところがあるの?」


「この山には、祠がいっぱいあるんだ。たくさんの神様によって守られている、霊験あらたかな山なんだよ」


「行きたい」


「その代わり、山を一周することになるけれど」


 うっ……と一瞬躊躇った。体力がある方ではない。ここまで登ってくるだけでも相当しんどかったのだ。しかし、勇気を出して「大丈夫、行く」と応えた。


「じゃあ、ボクについて来て」


 少年はそう言うが早いか、社を出てゆく。愛稀も慌てて、それに続いた。

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