(プロローグ)

 そろそろ雨季も近いというのに、すがすがしい青空が広がっていた。


 山の中腹に一軒の屋敷があった。縁側にひとりの少年が腰かけて、外を眺めている。


 少年の名前はユウといった。くりっとした目つきに、まだあどけない輪郭が可愛いらしい。おろしたての着物もぱりっとしていて、初々しさがにじみ出るようだ。

 けれど、彼の瞳は何やらやるせない悲しみを抱えているかのように、潤んでいた。口元はへの字に曲がっている。晴れやかな外の様子とは対照的だ。


 廊下の方から、足音が聴こえてきた。床をいたわるように、すり足で上品な歩き方だ。やがて、開け放たれたふすまから、年頃の女性が顔を出した。純白な着物をまとい、肌も透き通るように白い。頬と唇にほのかに紅をさしていて、清楚という言葉が似つかわしい。

 女性の名はカグラといった。ユウの姉である。部屋の奥の縁側に腰かける弟を見つけて、彼の方へと近づいてゆく。


「ユウ」

 と声をかけたが、ユウは何も答えない。


「お姉ちゃん、少し出かけてくるわね」


「勝手にしたら」


 ぶっきらぼうにユウは言った。カグラは少し悲しい顔になる。


「いつまで怒ってるの?」


「怒ってなんかないさ」


「明日の式には、あなたも出るのよ」


「……あんな奴のどこがいいんだよ」


 カグラの言葉を無視して、ユウは吐き捨てるように言った。


「そんなこと言わないで。お姉ちゃん悲しくなる。あの人はとてもいい人なのよ。あなただって、きっと気に入るわ」


「…………」


 ユウはまた何も言わなかった。カグラは目を閉じて、ため息をついた。


「話はまたあとで。そろそろ行かなきゃ。いい子で留守番しててね」


 そう言い残すと、カグラは部屋を出ていった。

 しばらくして、玄関の方からシャン、シャンという鈴の音がした。行列が、玄関から外に向かって歩いてゆく。先頭にいるのはカグラだった。その後ろを従者たちが2列になって続いている。幾人かは鈴のついた杖を持っていて、それが歩を進める度にシャンシャン鳴るのだった。


 姉ら一行が出ていくのを見送ってから、ユウは立ち上がった。自分用の杖と面を手に取った。姉には黙っていたが、自分も外出をするつもりだった。


 玄関で草履を履き、面をつけて屋敷を出た。舗装されていない自然の道が続いている。鈴の音を響かせながら歩いてゆくと、やがて祠が見えてきた。

 ここがいわゆる出発点だ。立ち寄って、ご神体の前で二礼・二拍手。拝み終えると、一礼して祠を出ようと踵を返した。


 その時、ぽつぽつと雨が降ってきた。空は相変わらずの青天。なのに、雨足はどんどん強くなり、やがて土砂降りの様相を呈した。


 狐の嫁入り――。


 そんな言葉がユウの頭に浮かんだ。嫌な言葉だと思った。浮かんだフレイズを振り落とすように、ユウは頭を横に振った。


 祠から、長い階段が続いている。その階段の途中、横側に雨宿りできそうな屋根付きの場所があった。ユウは急いでそこまで向かった。


 ふと、姉のことが心配になった。突然の雨にカグラも見舞われていることだろう。自分のように雨宿りできる場所が近くにあったらいいけれど――そう考えかけて、ユウはいや、と思い直した。あんな姉さんのことなんか、どうなったって知るもんか。ボクの気持ちを分かってくれない姉さんなんか……。


(これは、悲しみの雨なんだ。泣いているボクの心が降らせる雨なんだ)


 激しく降り続いていた雨だったが、すぐに勢いは収まり、やがて上がった。


 ユウは再び階段の方へ出た。階段を下りたその先には、さらに山道が左右に分かれて続いている。カグラたちは、右側の道を行くだろう。一方でユウはというと、今日は左側のルートを行こうと決めていた。


 階段を降り切って、朱色の鳥居をくぐると、ちょっとした広場に出た。


 ふと、向こうの祠から顔を出して、こちらをじっと見ている女の人がいることに気づいた。姉と同じくらいか少し年下ぐらいの感じだが、きょとんとした様子でこちらを見てくる様は、しっかり者の姉とは違っていかにも頼りなさそうだ。


(ははーん、雨が降ったのはこの人のせいだな)


 ユウは思いながら、女の人の方へと近づいていった。

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