21、出陣

「チッ、王国の奴ら、思ったり粘りやがるな」

「ああ、だがいつものような勢いはないぞ。帝国の工作が効いている証拠だ。この様子ならいずれ押し切れる」

「だけど勿体ねぇよなぁ、辺境伯の娘をゴブリンにくれてやったんだろ? 俺にくれれば良かったのに」

「お前だったらゴブリンの方がマシだろ」

「違ぇねぇ」

『ゲハハハハ』

 

帝国軍の幕舎では下品な笑い声が立っていた。彼らは正規兵ではなく傭兵である。使い捨ての兵として集められたが、それを知らずに真っ当な帝国兵のつもりで馬鹿話を交わす。


 今回の戦では、帝国軍は彼らを前に出していた。


 様々な工作は行ったものの、それでもスワン辺境伯軍である。油断は出来ぬ。そのため、スワン辺境伯軍の実際の反応を測るため、捨て石として彼らを雇ってぶつけていたのである。彼らが辺境伯家の内情を知っているのは、当然帝国軍が流したためだ。彼らの戦意を高揚させ、辺境伯軍を動揺させるため。そして何度かの衝突で辺境伯軍の様子が知れた今、事態は進行するのである。


「フン、下品な奴らだ、自分たちが正規軍のようなつもりでいやがる」

「ははっ、良いじゃないか、獣たちは好き勝手に騒いでくれた方が、向こうにたくさん噛みついてくれるだろ?」

「はははっ、違いないな」


 少々の違いはあれど、正規兵の様子も大きくは変わらない。

 だが、傭兵たちと違うのは、もうそろそろだと言うことが分かっているところである。


「ようやく押し潰せるな」

「おう、ようやくだ。辺境伯領の砦を抜けたら、やりたい放題だぜ」

『げへへっ』


 正規兵たちも下卑た笑みを浮かべる。

 辺境伯軍の砦を抜ければ、領都までほぼ障害はない。何せそのように仕掛けていたのだったから。


 次の衝突で押し潰す。それは決定事項であり、今の辺境伯軍には可能なことだと思っていた。

 シルヴィアが帰還し、それだけではなくとある婿を連れて来たことなど知りもせずに。


「次が楽しみだぜ」

「あぁっ!」


 正規兵も傭兵達も、下卑た笑みを浮かべて心待ちにしているのである。



   ◇◇◇



「これが戦場の空気か……」

「怖じ気づきましたか、キオウ」

「ははっ、そんなワケはないだろ」


 ――だが、不思議な気持ちだ。


 戦場に立ち、馬上のシルヴィアと言葉を交わすキオウは不思議と高揚している自分自身を感じていた。向かいにはずらりと並んだ帝国軍。数だけを見れば明らかに辺境伯軍よりも多い。


 ――これを今まで押しとどめていたんだよな。すげぇな。……まあ、お義父さんにしてみれば、本気ではなくこちらの調子を探る感じだって言ってたけど、そんなことが分かるようになるもんなんだな……。


 平穏な前世を持つキオウに取っては、生の戦場感覚とでも言うべきものを肌で感じ取っている辺境伯に驚きと感心を禁じ得ない。


 本物の軍人。


 そのような相手を前にして気後れしない自分――鬼人の精神――にも驚きであり、ましてや彼らと共に帝国兵に立ち向かおうとしているなどこの場に立っても信じられない。が、


 ――やるしかねぇな。


 ギュッと元シルヴィアの鎧であった白銀の剣を握りしめる。


「はぁはぁ、ベッドに連れ込めないことが残念です」


 ――この痴女騎士ぇ……。ってか、俺がこの戦場に立っても大丈夫なのって、ベッドと言う戦場で何度も戦って来たからじゃないだろうか。


 ワレ、夜戦ニ突入ス。

 洞窟チン行、洞窟チン行!

 白濁弾、ッテェーッ!


 バカな事を言っている場合ではない。が、シルヴィアの所為――御陰であることも否定は出来ぬ。


「扠――、」


 風が変わった。

 饐えた匂いのする戦場の薫りだ。


「はじまるぞ、この感覚であれば今までのような小手調べではなく本気の突撃が来るな。今日に間に合ってくれて良かった」


 辺境伯が厳つい顔を獰猛に破顔させる。


 彼は、キオウの力の片鱗を確認できていた。

 ギルバートと戦った際に見せたキオウの力では、この帝国軍に対しては、強いが勝ちを確信させるものではなかった。が、あの時の彼はむろん本気ではなく――。


「奴らが来れば、遠慮なくやってくれ」

「はい、任せておいてください」


 キオウはなんら臆することなく応じた。

 主人公の無双劇が、今はじまる。



   ◇◇◇



 ごぉおオン、おぉん、


 無音の地響きが聞こえるような気がした。

 辺境伯軍に対峙した帝国軍は縦に長く密集し、破城槌の如く辺境伯軍を、そして砦を突破する心づもりでいた。だが、それは彼らの誤算だ。そして御破算。


「ははは、今こそ王国は帝国の属国に成り下がるのだ!」

「げへへ、奪い放題犯し放題、げへへへへ」

「まったく、なんて下品な。そうではなく気位の高い貴族令嬢を捕まえてこそだろう。ククク」


 傭兵も正規兵も、今までの手応えから本気でかかれば辺境伯軍程度――冷静に考えればそれはそうだろう、王国軍ではなく辺境伯軍。一国ではなく一領、手を貸す貴族はいないこともなかったが、その状況で持ちこたえていた辺境伯軍が凄いのだ。帝国が工作を行って戦力を分断し、そして士気も下げてここまで持ちこたえられた。否、帝国が慎重にその効果を確かめなくてはならなかった。

 そうして確信を持てた矢先に彼の登場であった。


「えっと、じゃあ、『火球』『火球』『火球』……あ、『雷撃』混ぜとこ」


 キオウは、まるで開戦の銅鑼を鳴らそうとするかのように魔力を練り、溜め、準備を進めてゆく。

 それはまさしく異世界チートであって、尚且つ、この世界でゴブリンとして生を受け、腐らず、人間の心を持ちつつ奮闘してきた彼だからこそ目覚めさせられた御業に他ならぬ。


 ヂヂ、ヂヂヂヂヂ……


 籠められた魔力が密度を高め、今にも弾けそうになりながら尚圧縮されゆく。


 ビリッ、バヂィッ!


 すでに崩壊するガラス玉のような音を立て、限界まで溜め込まれたそれを彼は作り上げたのだ。


「凄まじいですね、これが私の旦那様の力……はぁはぁ」

「父としてはむしろこの娘にもらわせることが申し訳なくなってきておるぞ……。だが……凄まじい、勝ったな」


 娘はだらしない表情を浮かべ、父は厳つい顔で不敵に破顔する。スワン辺境伯父娘がそれぞれの反応を見せる前でキオウは、その絶望を孕んだ球体を。


「ぇえっと、名前はどうしようか……まあ、安直だけど、『冥獄ゲヘナ』」


 ……、


 軋む、軋む。まるで徘徊する回転木馬メリーゴーランド

 キオウが投げた球体は帝国軍の最中へと着弾した。


 おめでとうメリーおめでとうメリー、さあ逝こう。


 黒色の球体は膨れ上がり、焔と雷と風を撒き散らして空間を軋ませる。圧縮された暴力が渦を巻き、まるで世界をヒビ割れるかのようにして四散してゆく。


 見よ、見よ、これぞ鬼王の力なり。


 そう誇示するようにして帝国軍を呑み、貪(どん)、呑(どん)と貪り尽くすようにして広がっていった。


「これほどとは……」ゴドリックは呆気にとられ、畏怖の感情を彼へと向ける。が、

「凄いです、流石は私の旦那様!」


 娘は喜色で彼を誇らしげにする。


 ――シルヴィアはベタ惚れだな。だが、それならばあれほどの力を持っていても安心は出来るか……。


 辺境伯領軍にはキオウの存在を、シルヴィアの婿として受け入れない者もいただろう。だが、これによって彼を畏怖し危険視する者と、あれだけの戦力が味方でいることに素直に喜ぶ者。別の理由で意見が分かれるに違いない。


 ――それこそがこれからの私たちの仕事か……。


 ゴドリックはすでに次の事へと腹を決め、そして目前に広がった殺戮劇、まさしく顕現した冥府の獄をその双眸に焼き付ける。


『おぉ、おぉ……鬼神の強さか……』

『キオウ……何という……』


 後ろからは領軍達の声が聞こえるが、それはまた後で良い。今は、


「者ども! 逃げてバラけた帝国兵どもがいるぞ! 一匹たりとも領内に入れるな!」


『冥獄』が引けばチラホラと逃げおおせている者たちが見えた。この状況にあっても流石は辺境伯、その威を纏った声は良く通る。

 そしてその威を受ける辺境伯軍も流石のもので、


『はっ!』


 ――むしろ王国兵が混ざってこなくて良かったのかも知れんな。もしも混じっていればそちらの混乱を収める方が面倒であったに違いない。


 辺境伯はそう思いながら、自身も動きはじめるのである。




 ちなみに、


「凄いっ! 凄いですっ! キオウっ! 流石は私の旦那様っ!」


 ――うぇえー……、マジかよ、あの威力って……。今度は俺が魔王とか言って狙われないだろうな? ってかこの大惨事だってのに素直に喜んでいる俺の嫁。そしてこれだけの殺戮だって言うのに敵がやられてホッとしたってくらいにしか感じていない鬼人の精神……うーん、異世界かぁ……。


 喜び抱きついてくる嫁の横で、キオウは遠い目で辺境伯軍が残党狩りをしている光景を眺めているのであった。

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