15、辺境伯家では
「クソッ、見つからないのかッ!」
スワン辺境伯家の執務室で、厳つい顔の男性が頭を抱える。
スワン辺境伯家当主ゴドリック・スワン。
ゴブリンの群れの討伐に向かいホブラックゴブリンに攫われた娘のシルヴィア。彼女の捜索をはじめてから早一ヶ月、彼女の行方は杳として知れぬ。正確には本格的な捜索を始められてからまだ一ヶ月も経ってはいない。それは副隊長であるキリムがごね、ゴドリックが直々に編成してようやく始まったからだ。
残念ながら柵が多く、スワン辺境伯領に多くはびこっているベイリー子爵家の商会の事もあって、ゴドリック自身が編成するまで動けず、尚且つそれでも動きは後手後手となった。たとえシルヴィアを助け出せたとしてもホブラックゴブリンに攫われたのであれば廃人となっているか、たとえそうでなくとも貴族子女としては致命的である。
そのような者を探すために大量の人員を廻すワケにも行かず、そうして辺境伯としての責任を問われ、政治的にも、物理的にも他領、そして他国の侵略を許すこととなってしまう。自国内でも貴族派の貴族はもはや敵国と言って良いほどに警戒が必要だ。
その状況では――場所が森の奥地であることもあって――捜索も満足には行われない。辺境伯としてはいっそ捜索を打ち切るべきなのだが、ゴドリックとしては見つけ出し、場合によっては殺してやりたいと思うほどに娘を愛していた。
――何故、このような状況で私は辺境伯なのだろうな……。
辺境伯とは国境にあって外敵から国を守る立場である。だと言うのに中央の貴族は辺境の地にある自分たちを馬鹿にし、王家に助けを求めれば貴族派の貴族によってそれを妨害される。領内には他領の商家が乗り込んで浸食され、その上で可愛い娘も喪った。騎士団内のスパイを排除できなかった所為で。
――この国は私が守る価値があるのだろうか。
そうとまで思ってしまう。
だが帝国に阿ようとも思えない。彼らとの間に血を流しすぎ、尚且つ今回のことも帝国の工作である可能性があった。
――国には味方がおらず、帝国に与することはあり得ない。そして大切なものを喪いながら私たちを蔑ろにする国を守り続けなくてはならない。そうでなければ我が領の領民達もどのようにされるのか分かったものではないから。……
――守るべきものが多いとは、ままならんものだな……。
今回の発端と思われるキリムは殺したいほど憎いが、彼の家が抱える商家が領内で幅を利かせていれば、簡単に切り捨てることも出来ない。そして、八方塞がりのこの状況で、とある一報が告げられるのである。
「ご当主様っ!」
「なんだ、ノックもなしに!」
「申し訳ございません! しかし、たいへんです! 帝国が、宣戦布告を!」
「ッ!? なんだとッ! こんな時に……、いやっ、こんな時だからこそか、クソォオッ!」
流石の当主と言えどもこの状況では憤懣を抑えきれぬ。
順当に考えればシルヴィアのことでゴドリックが戻ったところを見計らってことを起こした。そしてシルヴィアがいなくなったこの地を離れれば、きっとこの地でロクでもないことが起こるに違いない。
杞憂で済めば良いが、済ませてくれないほどには敵は悪辣だ。
――……それでも行かないワケにはいかないか。そうすれば国内の貴族派が黙ってはおらず、私も押し返せない……、王都ではカロリンが頑張ってくれている……。此処にはギルバートを残すことにしよう。……なぁに、そうすれば少なくとも私が死んだとしても辺境伯領は残る。辺境伯領が残らなければ、……この国が終わる時だ。
諦観を含む状況判断を済ませると、ゴドリックは戦に向かうには虚ろな眸で、ギルバートに後の事を託すべく、彼を呼びに行かせるのである。
◇◇◇
「…………そんな、帝国も、国内貴族も、クソォッ!」
父の厳つい顔に似ず精悍な顔立ちをした青年が、呼ばれた執務室で父親に似た態度を取った。
ギルバート・スワン。
スワン辺境伯家嫡男であって、今、帝国との戦ではなく此処辺境伯領に残れと言われた。本来ならば父と轡を並べて出陣する筈が、あまりにも国内の不穏分子が多くて残らなくはならなくなった。シルヴィアは女ではあったが、あれでいて実力もあって目端も利いた。だからこそ自分は父と二人で国境の砦の視察に出かけられたのだったが、今は彼女はいないのだ。
――すべて手の平の上か。その手の平が幾つあるのかは知らないがな。
苛立ちが止まらないが、父が下した判断が正しいことも分かっていた。
「分かりました、父上がいない間、私がこの領を守りましょう」
「ああ、頼んだぞ、ギルバート」
「ですが、一つだけ」
「なんだ?」
「……戻って来てください。危なくなった際は躊躇せず。私も、シルヴィアも母上も待っておりますので」
「…………分かった、約束しよう」
ゴドリックの虚ろだった眸には、少しだけ光が戻るのだった。
◇◇◇
「あら、辺境の田舎者ですわ」
「あらあら、そうですわね。流石、舞踏会ではなく剣を握ることしか出来ない猿の母親だけはありますわ」
『クスクス、』『クスクス、』
上品な様子で、むしろ下品にしか見えない所作で貴族夫人たちが影口を叩く。
社交界の一場面である。
言われた夫人は彼女たちよりも楚々として品があるように見え、尚且つ一本芯が入った様子も見られる美女であった。シルヴィアよりも豊かな胸元を恥ずべきところはないと凜と胸を張って、彼女たちを睥睨してフンと鼻を鳴らす。
そこには一種、騎士のような苛烈さがあった。
「自分たちが誰の御陰で平和でいられるのか、そんなことも分からない馬鹿が喚いておりますね。嗚呼、そんなことも分からないから喚いているのですね。お猿さん。ははっ」
「きぃーっ、何を!?」
「どうかされましたか? 私、別に貴女たちのことなど何も言っておりませんよ? 何か、自覚があられたのでしょうか。嗚呼、そう言えば、猿みたいな鳴き声が聞こえましたね」
「言わせておけばっ!」
激昂する相手に彼女は冷ややかな――しかし鋭い目を向ける。
まるで剣を突きつけるような眼差しに、陰口を言う程度の貴族婦人達はサァッと顔を青ざめさせる。
彼女は――スワン辺境伯家当主夫人カロリン・スワンはそのまま突き刺しそうな視線で睥睨すると、そのまま切って捨てるかのように視線をきった。
波打つ金髪に碧眼の、シルヴィアが成長すればこうなるだろうと思わせる 否、シルヴィアの姉にしか見えぬ美貌の貴婦人。……
――……本当に、どうしてこのような方々を守らなければ……、いえ、民のため、ですね。……それに、シルヴィア……。
彼女の元にもシルヴィアがホブラックゴブリンに攫われたという報は伝えられていた。だが社交によってスワン辺境伯家の地位を保つため、彼女は王都に滞在し続けた。
本当はすぐにでも駆けつけたかったのだが。
――……あの子は私に似て気丈です。助け出せさえすれば、きっと持ち直してくれる筈……。
カロリンは気丈に保ち、社交をこなしてゆく。その彼女は、家に戻った時に帝国が宣戦を布告したことを知るのである。
「なんてこと……。……間違いなく、シルヴィアのことも手を引いているでしょうね。……何故帝国も王国も、どうしてこうも無様な戦いが好きなのでしょう……」
ギリッ……
歯を噛み締め、彼女の唇からは赤いものが滴る。
「……本当は辺境伯領に駆けつけたいですが、私はここで社交を行うことが役目です。……間違いなく、ろくに支援も寄越さないようにしていた貴族派の家々が、辺境伯家の責任を追及しようとしてくるでしょうから。……責任があると言えば、あちらの方であるというのに……私は、負けません」
その強い眼差しは、間違いなくシルヴィアにも受け継がれているものだった。
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