12、近づく別れの刻
――そろそろ良さそうですね。
シルヴィアは剣を振り、自身の体調を確かめて確信した。
――もう、流石にこれ以上は引き延ばせません。
決意を込めれば彼は寝ていた。同じベッドで。上手いことやって彼も一緒に寝させることに成功していた。
まだ一ヶ月ほどしか経っていないとは思えない。
自分がここに来てからと言うもの、何度この理性的で紳士的で少年のように初心なゴブリンを誘惑したのか分からない。動けるようになってからは共に水浴びにも誘った。
『ゲギャッ!(待って?)』
『大丈夫ですよ、ほら、もうお互いに隅々まで見ているではないですか』
見たのではなく見せられたのだ。
と、言葉が通じていれば言ったに違いない。
そしてシルヴィアは上手いこと――そりゃあもう上手いことやって――自分の躰を洗わせ、彼の躰も洗っていた。
『あっ、これを、こうして……あっ、ドクドクしてますぅ……🖤』
『ゲギャアッ!(本当に待ってっ!? 痴女騎士がいるよぉおッ!)』
「ふふっ……、素敵でした🖤」
思い出して嗤う彼女は艶然だ。
ゴブリンはもうお婿には行けない。
ただ、念のために言っておけば、彼女は元々痴女でもなく、ゴブリンに悪戯して悦ぶ性癖でもなかった。ただ、彼があまりにも紳士的で倫理的で、女騎士のプライドが刺激され、そして誘惑したときの反応がシルヴィアの癖にぶっ刺さって目覚めてしまっただけなのだ。
それでも今までに学園で接したことのあるような貴族子息が様々な意味でマウントを取りたがるお猿さんばかりであったため、ゴブリンのような容姿で紳士的に扱われたギャップに射止められた。そうした要因もあったのだと弁護はしておく。
――……もう、お別れですね……。……いっそ犯されて彼の子でも宿してみて、ここで暮らせる既成事実でも作ってしまいましょうか。
そう思わなくもなかったが、自分はスワン辺境伯の長女であって、第二部隊の部隊長なのだ。その責任を放棄することは許されない。そして今までは森を抜けるために大事を取っていたという大義名分があったが、この様子ではそれも喪われた。
――私は、帰らなくてはなりません。……
ここでの生活は正直に言って楽しかった。まさかゴブリンとこのような想いを抱くなんて。童心――と言うには遊びは淫らだったが、内憂外患の辺境伯領に居て、楽しいと想えた生活は久しぶりだ。
名残惜しさはあり、寂しさもあった。だが、……
――明日は私が出立することを告げましょう。それで、……
くぅっ
お嬢様はたまらないとばかりにゴブリンの彼を抱き締めた。
ゴブリンを、抱き枕のように。
「グゲギュウ……(痴女だぁ、痴女がいるよぉ……)」
今は服を着ていたが、もはや慣れ親しんだとも言える感触に彼はうなされていた。
「ふふっ、可愛いですね、……ゴブリンのクセに」
「グゲェ……(おっぱいだ、おっぱいに溺れて、殺され、るぅ……)」
「ふふっ、そんなに嬉しいですか。魅力的な私は魅力的ですからね」
そう言ってシルヴィアは目を閉じた。ゴツゴツとして、お世辞にも可愛いとは言えないが可愛いと想えるゴブリンの彼を抱き締めて。
明日、あのようなことが起こるとは思いもしないまま。……
――ゴブリンッ! 大丈夫ですかッ! そんな、こんなことって……っ!
◇◇◇
「ゲギャア……」――そうかぁ……。とうとうこの時が来たかぁ……。あんなのだったけど寂しくなるなぁ……。あんなのだったけど。
大事なことだから二回言った。
朝目を覚ませばおっぱいだった。何を言っているのか分からねーと思うが事実なのだから仕方がない。どうにか一緒に寝ることを承諾させられ、一緒に寝るようになったら抱き締められるようになった。何を言っているのか分からねーと思うが……ゴブリンを抱き枕にするとはなんて女騎士だ。
――まあ、全然役得ではあるんだけどな? なんか悔しいけど!
そうして今日も同様に目覚めたのであったが、神妙な様子の彼女に身振り手振りで教えられたところに寄れば、明日にでも出て行くと言うことだった。
半分残念に思い――彼女のことではない、彼女がいなくなることである、念のため――、半分ホッとしつつも寂しいことは寂しかった。
――そうだよな、こっちの世界に来てからはじめて意思疎通らしいことが出来た相手だったもんな。
そしてエロくて美人でおっぱいの大きな女騎士だった。
……ゲギャゲギャ言って強い者が弱い者を従えているだけのゴブリン達では、意思疎通ではなくお互いにただの一方通行だ。彼女とは言葉こそ通じないし残念臭も薫ったが、少なくとも一方通行だけではない意思疎通が出来た。
――……また、独りか。いっそ孕ませて彼女に残ってもらったり……なんてするワケねぇだろうが! 冗談でも良くないよな。
同じようなことを彼女が考えていたことを彼は知らないのである。
女騎士の思考はゴブリンに近かった。
兎も角、
――今日が最後みたいだから、良い物を食わせてやりたいな。この森、食材は多いんだよな。おっ、また良い物見っけ。
「ゲギャ、ゲギャ」と声を上げ、彼は食材を籠に入れていった。
ゴブリンでありながらもシャツとズボンを穿いて腰に剣も佩いていた。その上にはレザーアーマー。元々はゴブリン部屋にあった冒険者の服や防具をつめて転用していたが、シルヴィアが動けるようになってからもう少しスマートな様子で整えてくれたのだ。むろん見た目はゴブリンであったが、駆け出しの子供冒険者のように見えてご機嫌であった。シルヴィアが。いや実際彼自身も気に入っていた。安全性は元より、彼女が自分のために整えてくれたのが嬉しかったのである。
――まあ、彼女も彼女で、よくゴブリンを受け入れてくれたどころかここまで世話を焼いてくれたものだよな……。よしっ! 良いもん食わせてやるぞ!
「ゲギャっ」そうして意気込み、次の食材へと手を伸ばした時であった。
「ッ!」
彼の全身に怖気が奔った。
『危険察知』。
もしもスキルがあったらそう言ったろう。
彼は咄嗟に飛んだ。転がった。
ドォオオオンッ!
「ゲギャアッ!?」
今まで彼が居たところに重たい轟音が鳴り響いた。
「ゲギャ……(チッ、外したか)」
「ゲギャッ!(おっ、お前はっ!)」
「ゲゲッ、ゲギャギャアッ!(そうだよ、お前に獲物を横取りにされたホブラックゴブリンだよ、あの牝の味は美味かったかよ! 餓鬼は何匹産ませたんだよこの野郎! あれは俺が使う牝だったって言うのによぉ!)」
「ゲギャアッ!(何言ってるか分かんねぇよッ!)」
お互いに。
だが彼が生きていて、殺そうとした自分が今度は殺されそうになっている。
それだけは分かった。
「ゲギャアアッ!(死ねやチビぃッ!)」
「ガギャアッ!(殺(や)られるかよぉッ!)」
とんだ、跳ねた、転がった。
ホブラックゴブリンの嵐のような攻撃を、ゴブリンの身で身軽に避け続けた。死の風圧が駆け抜け、背筋が寒くとも避け続けた。
「ゲギャアッ!(このっ、ちょこまかと!)」
「グギャッ!」――何言ってるか分かんねぇけど、苛ついてんのは分かるぞ! あの女騎士さんの攻撃に比べれば、お前のは力も速さもあるけれど、動きが素人なんだよ! うぉおッ! このまま避け続けて、……避け、続けて……。
どうすれば良い?
今、確かに剣は佩いていた。が、ホブラックゴブリンの分厚い皮と筋肉をゴブリンの膂力で引き裂けるとは思えない。魔物の皮は固い。ゴブリンである自分のものすらそうなのだ。その進化――特殊進化個体であれば尚更。
――くっそ、今はスクロールもなんも持ってねぇぞ。
あまり遠くに行くつもりも、これほどの強敵がいるとも想定していなかった。
――……いや、なまってたんだな。確かに女騎士に鍛えられて強くはなったと思うけど、彼女との生活が楽しくて、最近が平和でなまってた。くそぉッ!
「ゲゴギャアッ!(ゴラァッ! 死ねぇッ!)」
「ゲギャアッ!(死んでたまるかよぉッ!)」
黒い嵐の中で必死に抗う小さな緑色。姿形は醜悪なゴブリンであったが、その姿は紛れもなく勇気あるヒトと言えたろう。
あれから約一ヶ月が経って、シルヴィアが動けるようになったように、ホブラックゴブリンも動けるようになったのだろう。だがシルヴィアとは違って『火球』のスクロールで攻撃された彼の半身は焼けただれ、元から醜悪だったものが更に酷いこととなっていた。
――くっ、マジで地獄からやって来たみたいじゃねぇか……。それにこいつ、前よりもデカくなってやがる。……進化、したのか?
絶望がニヤリと口角を歪める。
嫌な予感を振り払おうにも、重くのし掛かって離れない。
「ゲギャアッ!(フザッ、けんじゃねぇぞッ!)」
彼は避け、この状況の打開策を練ろうと考える。
――真正面からやったら絶対に勝てない。だから俺の小回りを活かすためにも、一旦離れないと。だけど、くそぉッ!
離れようとするも力尽くで追ってきた。
ホブラックゴブリンの膂力ならば細い木なら簡単にへし折れ、太い木であっても削りながら押し通られる。遮蔽物があるのは良いのだが、こうも力尽くで押し込まれれば、彼にとっても障害物となり得た。
「ゲギャッ」――くそっ、距離が取れねぇ……っ。
「グォオオオッ!(くそがぁあッ! はやく死ねよぉおッ!)」
幾たび打ち込まれ、幾たび避けたろう。
それは運命の悪戯。
「ゲギャッ!?(しまった!?)」
「グゴギャアッ!(死ねぇッ!)」
「ゲゴッ!」
ミシメシと、バランスを崩した彼をホブラックゴブリンの棍棒がなぎ払った。細い木々がワンクッション挟まれていたが、それでも尚、レザーアーマーも貫く攻撃力。
重たい衝撃波がゴブリンの小さな躰の中で荒れ狂った。
「グゲギャ……」――ヤベェ、躰が……。
「グゴギャア……」
ホブラックゴブリンが大地を踏みしめる。ニチャリと歪んだホブラックゴブリンの半分焼けただれた貌。悪鬼とはこういうモノを云うのだろう。
「グゴギャアア(これで終わりだ、クソチビが)」
重たい棍棒を振り上げた。彼の視界は覆われ、
「ゲギャアアッ!(くそぉおッ!)」
◇◇◇
「……ふぅ、これで最後なのですね。寂しいです。ですが、私にはやらなくてはならないことがあります。彼と過ごす生活は抗い難く甘美でしたが、私は……」
洞窟とは思えないほどに整えられた室内で、美貌の女騎士シルヴィアは憂悶の息を吐く。伝わるかどうかは怪しかったが、どうにか分かってもらえたようだった。そして、
――ゴブリンでも寂しそうな貌をするのですね。……私と別れることでそのような貌をしていただけたとは……、正直やり過ぎてているとは思っていましたが、嫌われてはいなかったようでなりよりです。
衝撃! お嬢様には自覚があった!
そして今の彼女は、彼が元の巣穴からチョロまかして溜め込んでいたスクロールを含む道具類を持っていって良いと言われ 身振り手振りであったが 、その選別と詰め込みを行っていた。
「……しかし、これだけの物が溜め込まれていたとは……、彼の様子からすると彼自身は積極的にヒトを襲わなかったとは思いますが、元のゴブリンの群れは予想以上に被害を出していたようですね。そしてそれが今まで露呈していなかった……。人為的なものが絡んでいたと考えるのが自然でしょうか……。自国内にそのような輩がいると信じたくはありませんが、それも含めて他国、帝国の工作である可能性も……」
辺境伯領に被害をもたらそうとする自国内の貴族がいるのか、純粋に帝国の工作であるものか、或いは帝国に唆された自国内の工作か。
どれもそれぞれあり得そうな状況であることが悩ましい。
「……敵ばかりです。……本当に、ここでの生活がどれほど心やすいものだったか……」
人間社会に戻ることに躊躇いを覚えてしまう。
が、
シルヴィアは唇を引き結ぶと荷造りを続ける。
「……はやく彼に帰ってきてもらいたいですね。なんと言いますか、ゴブリンなのに彼といると安心も出来るようになってきているのですよね。……ゴブリンなのに」
不思議なことだったから二回言った。
あの、緑色の醜悪な小鬼の姿をしているのに初心で可愛らしい少年のような彼。
出来れば連れて帰りたいがそれはあたわない。それだったらいっそ……、
「一度くらい抱かせてあげても良いかも知れません。もしもデキたのならばそれはそれとして、ここで暮らす決心にもなりますし……はやく帰って来ませんかね」
決意はしても気持ちは揺れていた。
そうして彼を想って待っていた、その時であった。
『グゴギャアアッ!』
「ッ!? 今の声は!?」
身の毛もよだつおぞましい叫び声。それは声自体がそうしたものであるだけではなく、
「まさか、ホブラックゴブリン……? ッ!」
それに気が付いた彼女は目を見張る速度で装備を身に纏う。今作っていた荷物から必要なスクロールを手早く持ち出し装備を完了させる。
流石は騎士隊長の面目躍如と言えたろう。
――彼が襲われているに違いありません! お願いですから、私が到着するまで持ちこたえてください!
彼女は風のような速さで駆け出したのだった。
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